通り魔殺人事件への無力感


川崎市で通学中の児童16人と通行人の男女2名を刃物を持った男が無差別に切り付け、計18人が死傷する通り魔殺人事件が発生し、犯人の男もその場で自らの首を切って自殺した。治安の良さで定評の日本でもこの種の事件は後を絶たず、防備のためにスクールバスを通学手段として配慮しても防げなかった事態に挫折感すら覚える。

米国では毎日のように銃乱射による無差別殺傷事件が起こっている。銃保持を無くせばかかる事件は未然に防げるが、国民の銃保持は憲法で保障されているので無くせない。全米ライフル協会が「人を殺すのは銃でなく人間である」との詭弁が川崎の通り魔事件に照らすと現実味が感じられる。

今回の川崎市通り魔事件では犯人は自殺した。米国の銃乱射事件でも多くの場合、容疑者は自爆するか警官に射殺されていて犯行の動機が不明である。今回の場合も犯行に及んだ動機は不明のままである。

日本に通り魔殺人事件が頻繁に起こるのは決して人々の閉塞感漂う現代に限ったことではない。辻斬りと称して、刀の斬れ味を試すための無差別殺人は江戸時代からあった。この場合は動機が明らかであるが、通り魔事件の殆どはその動機が不明で、これが将来の予防策を講じるための障害となっている。法務省の「無差別殺傷事犯に関する研究」(こちら)でも“通り魔”を「人の自由に出入りできる場所において、確たる動機がなく、通りすがりに、不特定の者を凶器などを利用して殺傷する事件」と定義しているが、精神に異常がない限り動機のない行動はあり得ない。従ってこの報告書では過去の実例を定量的にまとめただけで、予防策の提起はない。

一方、(こちら)の記事では、無差別殺傷事件で判決が確定し刑事施設に入所した52人を対象にしたて犯行に至る生活環境や動機をうまくまとめている。

しかし、犯行前の不審な言動が見られても人権問題の障壁があり、ではどうすれば良いかの対症療法策はない。人間社会で共存している以上かかる危険の根絶は不可能で、毎日の自分の生活の中で常に自分で自分を守るよう注意を払うしか方法はないようである。






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