延期!命が延びた



このブログの運営企業が来週に大幅メインテナンスとリニューアルを行う予定を受け、この梓川河童のページも場合によっては存続可否に関わる問題と覚悟していたが、本日次のようなメール連絡を受けた。
去る5月14日に、ウェブリブログの大規模メンテナンスとリニューアルを「6月4日」に実施する旨をお知らせしましたが、諸般の事情により実施日を変更させていただくこととなりました。現在のところ「6月下旬」を予定しております。
直前の日程変更さらに確定した日程をお知らせできず、お客様にご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません。
実施日が決まり次第、お知らせいたします。最新情報は、ウェブリブログ事務局ブログをご覧ください。

■ウェブリブログ メンテナンス(サービス停止期間)
 開始日時 2019年6月下旬 1:00(予定)
 終了日時 2019年6月下旬 15:00(予定)
 ※ブログ閲覧以外のほぼすべての機能が止まります。
 ※メンテナンス後、リニューアルの内容に切り替わります。

なお、変更となるのは実施日のみで、大規模メンテナンスに係る時間やリニューアルの内容については変更はございません。
また、リニューアルに際し、公開中の記事ならびに未公開の下書き保存中の記事につきましては、削除されることはありません。お客様の管理画面にある記事がすべて上記に該当する場合は、改めて保存などを行う必要はございませんので、ご安心ください。

前にアップした記事の保存は必要ないらしいので、リニューアルの内容はやや緩和されるらしい。次の連絡を待つことにする。

時あたかも上野動物園のパンダ、シャンシャンが中国との契約により来月中国に返還する筈のところ、一年半延期されたと発表された。

両親が中国から借り受けたとは言え、日本で産まれ日本人に育てられたシャンシャンにとっては強制返還と同様で人権(パンダ権?)問題だが、この先送りは歓迎して良いだろう。上野まで行かなくても、近くの和歌山でより多くのパンダを見られる我々にはメリットはないが、何分首都圏は集客力がある。引き続き多くの人に癒しを与えることが期待出来る。






通り魔殺人事件への無力感


川崎市で通学中の児童16人と通行人の男女2名を刃物を持った男が無差別に切り付け、計18人が死傷する通り魔殺人事件が発生し、犯人の男もその場で自らの首を切って自殺した。治安の良さで定評の日本でもこの種の事件は後を絶たず、防備のためにスクールバスを通学手段として配慮しても防げなかった事態に挫折感すら覚える。

米国では毎日のように銃乱射による無差別殺傷事件が起こっている。銃保持を無くせばかかる事件は未然に防げるが、国民の銃保持は憲法で保障されているので無くせない。全米ライフル協会が「人を殺すのは銃でなく人間である」との詭弁が川崎の通り魔事件に照らすと現実味が感じられる。

今回の川崎市通り魔事件では犯人は自殺した。米国の銃乱射事件でも多くの場合、容疑者は自爆するか警官に射殺されていて犯行の動機が不明である。今回の場合も犯行に及んだ動機は不明のままである。

日本に通り魔殺人事件が頻繁に起こるのは決して人々の閉塞感漂う現代に限ったことではない。辻斬りと称して、刀の斬れ味を試すための無差別殺人は江戸時代からあった。この場合は動機が明らかであるが、通り魔事件の殆どはその動機が不明で、これが将来の予防策を講じるための障害となっている。法務省の「無差別殺傷事犯に関する研究」(こちら)でも“通り魔”を「人の自由に出入りできる場所において、確たる動機がなく、通りすがりに、不特定の者を凶器などを利用して殺傷する事件」と定義しているが、精神に異常がない限り動機のない行動はあり得ない。従ってこの報告書では過去の実例を定量的にまとめただけで、予防策の提起はない。

一方、(こちら)の記事では、無差別殺傷事件で判決が確定し刑事施設に入所した52人を対象にしたて犯行に至る生活環境や動機をうまくまとめている。

しかし、犯行前の不審な言動が見られても人権問題の障壁があり、ではどうすれば良いかの対症療法策はない。人間社会で共存している以上かかる危険の根絶は不可能で、毎日の自分の生活の中で常に自分で自分を守るよう注意を払うしか方法はないようである。






公立図書館の蔵書管理



丁度10日前のこのブログ・ページで、京都府南部の山中に捨てられた約900冊(その後の調査で999冊と判明)は図書館書庫の保管期限が過ぎて廃棄業者に委託したものと書いたが、宇治市教育委員会の調査で全て盗難に遭ったものらしいことが判った。

本好きの私は、図書館を利用する人々は多くが本の愛好家で、公共の持ち物を失敬するような輩はいないとの性善説に立っていたのが間違いだった。宇治市の図書館蔵書のラベルのある廃棄本226冊を調べたら「いずれも貸出手続きを経ず館外に持ち出された可能性が高く、意図的な盗難の疑いがある」として被害届を提出すると言う。

一般に公立図書館では、傷んだ本の補修・修理の講習会を開いて個人所有の本を大切にする啓蒙を行なったり、図書館で良く読まれる本に修復した跡が見られるなど、本を大事にする姿勢を示しているが、貸出・返本の手順には意外と無頓着な場合が多い。

私は地元市立図書館の他、隣接する二つの市と県立図書館を利用しているが、特に返本に対する注意が殆ど払われていない。貸出期限をチェックすることは殆どなく無造作に受け取るだけである。私が昨年の夏、入院中に貸出期限が切れて三ヶ月後に返本に行った時、係員に遅延のお詫びと事情を説明したが、「あぁ結構ですよ。どうもご丁寧に」の一言で期限の改めもしなかった。

地元図書館は取り壊しと新築の二年間の工事の末、昨年11月にリニューアル・オープンし、その間に全ての蔵書にICタグを貼り付けた。借り受けて退館する時に手続きをしなければ出口で警報が鳴るゲートもあって、今回の投棄の原因となった盗難防止の配慮がされているが、お隣の三ヵ所の図書館にはかかる防止策は何も施されていない。図書館を利用する人は全て本の愛好家と私と同様の性善説を取っている。借り出し手続きをしなくても、自由に図書が持ち出し可能なのである。

地元図書館のような防犯対策はない。ICチップの貼り付けやゲート設備にはカネがかかる。「本を持ち出す人はごく一部。防犯に投じるお金があるなら、蔵書を増やすことに使ってサービスを向上させたい」のが本音のようである。公立施設らしい考え方であり、本を大切にするという姿勢は見られない。蔵書の大量投棄が発覚しても対策はないようである。



オーディオ名門また撤退報道



「かつて一世を風靡したオーディオ界の名門ブランドが、またも事実上の撤退に追い込まれた。創業70年を超えるオンキヨーが今月、主力の音響事業を外資に売却することを決めた」。産経ニュース5月27日電子版の報道である(こちら)。

オーディオ機器はレコード盤の発展と歩調を合わせて進歩して来た。初期のレコードはSP盤と呼ばれた78回転だったが、歌謡曲や軽音楽、クラシック音楽など、従来は劇場へ足を運ぶかラジオ放送で聞く形から、いつでも好きな時に家庭で聞ける気軽さで一気に発展した。その後音質向上を追求して、ドーナツ盤(45回転)からLP盤(33回転)が開発され、音楽ファンが飛躍的に増えた。私も丁度十代の時代からその開発過程に並行して軽音楽やクラシック音楽にのめり込んだのである。

特にクラシックファンは名演奏に執着する層と音質の良さを重要視する二つのグループがあり、後者を熱狂させたのはオーディオと呼ばれた音響機器の技術発展であった。音響機器はコンポとも呼ばれる通り、アンプ・スピーカー・レコードプレーヤーから構成されている。最初はこれらをセットした機器を購入したが、音質を追求する余り夫々の構成ユニットに特に優れているメーカー品を選んで自分でセットするスタイルが生まれた。

我々マニアで評判が高かったのは、アンプはパイオニア、スピーカーはオンキョー、レコードプレーヤーはTEACかDENONだった。他にもソニーやナショナル、アイワ、日本ビクターなど、それこそ群雄割拠でマニアは夫々の好みにより装置を選んで組み合わせたものである。私も一時はオンキョーのスピーカーを4種揃え、アンプの左右と自分の座る後方の天井左右にぶら下げて立体音響を楽しんだこともある。

その後家電の中で、録音機の小型化、ウォークマンの開発などで屋外で歩きながら音楽を聴くスタイルに変わり、従来のシアター型コンポは後退した。今では当時花形だったパイオニアとかテアックなどの名前も聞かなくなっている。今回のオンキョーの撤退もその流れである。

私もいまだにミニコンポと呼ぶステレオセットやレコードプレーヤー及びLPレコードを山ほど持っているが、最近は宝の持ち腐れである。レコードを回転させてアームで針を落とす時の胸の高まりとはご無沙汰である。理由の一つにナガオカのレコード針が手に入らなくなったからである。オンキョウーの撤退と同じく、一時代の訣別である。



今日読み終わった本―『安倍晋三「保守の正体」』



今日読み終わった本:

『安倍晋三「保守の正体」』  菊池正史 文春新書 2017年1月

本の題名と副題の“岸信介のDNAとは何か”から内容は凡そ見当が付くが、その見当は見事に外れている。まるで質問に対し回答をはぐらかす安倍首相の論法に似ているが、それは書名や副題が読者をミスリードしているだけで、内容は非常に参考になるものであった。

題名から類推する「今の安倍首相の右寄りの姿勢の源泉は何か。祖父岸信介のDNAがどのように受け継がれているのか」については、“あとがき”を含め全254ページの最後の26ページに触れられているに過ぎず、その中の7ページの“あとがき”に一部要約されているだけである。

本書の流れは、戦後の保守党といわれる自由党、日本民主党及び両者の保守合同後の自民党の変遷及びその中で岸信介の極右政策がどのように受け継がれ、また反発されて来たかの歴史を時系列で紹介したものである。従って書物のタイトルは『自民党“保守の正体”』とするのが判り易く、また正しい。吉田茂、岸信介、田中角栄、中曽根康弘について述べられている量に比べ、安倍晋三は格段に少ないからである。

歴代自民党の流れの中にはハト派もあればタカ派もある。党内野党という言葉もあるように、決して一枚岩ではない。今、安倍内閣が長期政権としての座を占め続けているのは、政策や考えの異なる議員で形成されていながら自民党の名の下に集まる数の力によるものと、野党が弱いからに過ぎない。考えの異なる野党が連合して一つの党を形成しても、今の自民党と同じ集合体と一緒なのでメンツを捨てて大同団結すれば二大政党による日本の政治に変わるというものである。

では「保守」とは何か。著者は“あとがき”の中で、「“保守”と“革新”が相互に抹殺することなく急激な変化を避け、妥協を許し、共存の道を模索する。保守主義とはイデオロギーではなく生きる姿勢ではないか」と総括している。



憧れの地、こんな筈じゃ~


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ヒマラヤの世界最高峰エベレストに人類が初めて入山したのが1920年代、以降登頂を試みるごとに峻厳として拒否し、一時は頂上に人間が立つことは不可能な領域とされていたが、1953年にニュージランドのエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジンが初登頂するまで30年以上まで待たねばならなかった。1953年とは昭和28年、私が中学を卒業した年の5月のことだったから良く覚えている。

長年、人類の登頂を拒否してきたエベレストであるが、年を経るごとに登山者が増加し、昨年2018年には年間800人を越えた。入山許可期間は天候の状況などで毎年5月前後とされているので一気に押し寄せることになる。今年5月22日には200人以上が頂上を目指した。

その中で、23日には2人が登頂を果たして下山途中に命を落としている。エベレストでは標高8千メートル以上を“死の領域(death zone)”と呼ばれ、当日は大勢の登山者が列をなしていた。内1人は「12時間以上も混雑に巻き込まれ、極度に疲労していた」と言われる。翌24日も報告された4人の死亡により、混雑する頂上付近でこの1週間に死亡したのは8人に達した。

出典:BBCニュース電子版(こちら

登頂成功の報道は盛んにテレビ報道される。最近はエレベストを商業登山としてテレビ局の番組に取り上げられる。テレビの影響力は大きく、放映に刺激されて大勢が一斉に押しかける。

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最近、ネット上に京都の名所旧跡に押し寄せる観光客で風情がなくなったと嘆く記事があった。清水寺へ向かう清水坂、舞妓さんが歩く祇園花見小路、嵐山渡月橋など大変な混雑の写真が出ている。上記の写真はその中の一つで、奥嵯峨野野々宮神社から大河内山荘へ向かう有名な竹藪の小路である。私がこの場所より徒歩20分のところに住んでいた時のお好みの散歩道で、竹藪を通して霧が流れ、人の行き来の少ない場所であった。この写真からはそんな風情は全く伝わらない。

エベレスト登山料もネパール政府の重要な収入源となっている。全国の観光地も観光収入を目的に観光客誘致に力を入れているが、そのために歴史的価値やたたずまいは犠牲になっている。遠来の客はその歴史的価値を感じることなく、ただその場所に行って来たことだけに満足して帰るしかないのである。



外務・防衛両省が旭日旗説明



外務省と防衛省が、それぞれのホームページ(HP)に海上自衛隊の自衛艦旗「旭日旗」を紹介するページを新設した。韓国では旭日旗に対し「侵略や軍国主義の象徴」との批判が根強いことから、国際社会に正しい情報を発信するためらしい。
 
外務省のHPでは、旭日の意匠が海自や陸上自衛隊の公式の旗として採用されていることを説明。「半世紀以上にわたり自衛艦または部隊の所在を示すものとして不可欠な役割を果たし、国際社会でも広く受け入れられている」とした。
 
 防衛省のHPでは、旭日旗が日本国籍を示すと同時に、組織の団結や士気向上に貢献していることなどをQ&A形式でまとめた。(後略)
(産経ニュース)

韓国が同国の国際観艦式で海自に旭日旗掲揚を自粛するよう要請し、海自は拒否して参加を見送ったのが昨年10月。急に降って湧いたように半年後の今になって国際社会に情報を発信する理由は不明だが、国際社会への発信力にかけては韓国に劣る日本が声を挙げるのは一歩前進である。時間観念の乏しい中南米諸国で、遅刻した時の言い訳に“Mas vale tarde que nunca(遅れても来ないよりマシ)”という常用句がある。物事にはタイミングというものがあるが、「何もやらないより、遅い方がまだ良い」を日本でも踏襲したものであろう。

早速、外務省と防衛省の和文ホームページを開いてみた。双方ともトップページには「旭日旗」の文字は見当たらない。「新着情報」や「トピックス」など新しくアップされた記事を示す“New”の表示もない。仕方なく検索窓に「旭日旗」と入力するとやっと出てきた。これでは、「旭日旗」を知っている人にだけの情報で一般的ではない。

トップページから「English」のタブを押しても目指す記事のタイトルは出ていない。日本語のトップページから「旭日旗」を検索して、そのページの英語のタブを押すとやっと出て来る。これでは外国人がアクセスする術がない。人知れずホームページの隅にアップしただけで実用性は全くない。

折角、国際社会に発信する意図で作成された記事も全く意味をなさず、「ホームページに載せましたよ」と形だけ造って済ませるお役所仕事で終わっている。

我が国の国際社会への発信力は、まだまだ韓国の足元にも及ばないのである。




言いたいことの制約



日本維新の会を除名された丸山議員は、「言論の自由が危ぶまれる。辞職勧告決議案が審議されるなら、こちらも相応の反論や弁明を行います」と勇ましい姿勢を示していたが、戦争発言以外に「これから外出して女を買いに行く」発言が暴露されると、急に診断書を出して衆院運営委員会の事情聴取を欠席してしまった。誰もが“逃げた”と思っている。

そもそもの“言論の自由”発言が、都合の良い部分のみを切り取って表明し、議員としての立場、現憲法下での“戦争”を誘発する論理、外交面への影響などの問題点に無神経な姿勢が批判の的で、与野党から総スカンを浴びた。議員辞職要求は衆院の権威と品位に関わるとの理由である。但し、自民・公明の中には、言論の自由を守るための慎重姿勢が示されている。

このように“言論の自由”という言葉は極めて大きな重みを持っている。しかし、その表現方法で厳しい制約を課している。特に差別に関わる言葉の使用で言論人や文芸人を厳しく縛っている。有力な海外紙で平気で使用されている“deaf”、“blind”、“dumb”などは日本語では訳出することは出来ない。欧米に比べて日本は格段に厳しいが、それもここ数十年の傾向である。

夏目漱石の作品は、今から見れば差別表現の山で、そのため現代に出版されている書籍には、「文中には、今日の観点からみると不当・不適切と考えられる表現があるが、原文の歴史性・文学性を考慮して、そのままとした」の釈明が付いている。漱石だけではない。谷崎潤一郎や志賀直哉など文豪と言われる作家の作品はすべからく同様である。かかる不適切表現には独特の文学性・芸術性があるらしい。

ただ庶民の話し言葉の中には、“片ちんば”とか“めくらめっぽう”、“ツンボ座敷におかれる”、“私は芸能界音痴”など平気で使われている。放送禁止用語の筈だが、コメンテータの発言にも不用意に出て来るのは一般用語として定着しているからだろう。

ただこれらはあくまで用語の問題で、本質的な言論の自由とは異質のものである。




日本人氏名のローマ字表記



我々日本人の氏名は苗字(姓)の次に名前(名)の順で、一部中国や韓国、北朝鮮などを除く諸外国とは順序が逆である。多くの外国では、名(First Name)の次に姓(Family Name)で、多くは真ん中にミドルネームを持つのが普通である。ミドルネームは頭文字のアルファベットだけで表記するのが一般である。

日本にも昔は大久保彦左衛門忠教とか西郷吉之助隆盛などミドルネームを持つ時代もあったが、その時でも苗字(姓)は最初に置いていた。

ところが姓名をローマ字表記する場合は、西洋人に姓と名を判らせるために西洋文化に従って、名+姓と逆に表記して来た。これを今回河野外相が日本古来の習慣に従って、姓+名の順に変えるよう外国メディアに要請する声明を発表した。中国や韓国、北朝鮮が既に実施しているとの理由も付けている。

英国BBCニュースは早速、「Shinzo Abe の名前をAbe Shinzo に変えるのか?」と自分達の文化と感覚に照らして戸惑う表現の見出し記事を出した(こちら英文)。

ローマ字表記を姓+名の順に変えようとの議論は以前から出ているが、私個人的には従来通り、名+姓の順番のままで良いとの考えである。理由として、ローマ字表記は外国人に誤解のないよう理解させるための表示手段であり、何も日本人向けではない。日本人には従来通り漢字で知らせる長年の慣習がある。ローマ字表記はあくまで外国人向けであり、その人達に正しく理解されるような表記なのである。

隣国が既に実施しているではないかとの議論もあるが、その国たちの氏名は日本人のそれに比べて概して短い。習近平(Xi Jinping)や金正恩(Kim Jong-un)とフルネームで記入するだけで、ひっくるめて名前と理解すれば良いが、日本人の名前は比較的長い。“Abe”や“Suga”などは稀少な短い例で、普通は小泉純一郎(Junichro Koizumi)とか片山虎之助(Toranosuke Katayama)など外国人には隣国の名前のように、一括りにして名前として憶えてしまうには至難なものが多い。ロン・ヤスの仲と自慢した当時の総理は、中曽根康弘(Yasuhiro Nakasone)など舌を噛むような長い名はレーガン大統領にはお手上げだったので短縮したに過ぎなかったのである。

日本人名の安倍晋三の漢字表記を「晋三安倍」に変えるという案なら私も異論があるが、現在のローマ字表記は日本人には痛くも痒くもない上、外国人の理解には便利なので、今更語順を変更する必要性は何もないと考える。




新聞と週刊誌の取材能力



辣腕の有能記者を多く抱えた新聞社と週刊誌の記者に取材能力上の差があるとは決して言わないが、芸能や娯楽分野でない政治・社会分野の調査報道でも週刊誌の方が主要メディアに先駆けてスクープする記事が目立っている。一方、新聞は何らかの圧力に忖度して自主規制し報道しない、知らせない姿勢もあると言う。下記の5ヶ月前の出来事が今になって週刊誌により日の目を見たのはこのどちらが作用しているか。


白須賀文科政務官を乗せた車が“当て逃げ”

 緊急事態に備えて東京に待機する「在京当番日」のうち、就任から半年間で13日間、選挙区の千葉県に滞在していたと報じられた、文部科学政務官(科学技術担当)の白須賀貴樹・衆院議員(44、自民党)。その白須賀議員が同乗する車が在京当番日に、地元の千葉県で物損事故を起こし、運転していた公設秘書が道路交通法違反の容疑で書類送検されていたことが、「週刊文春」の取材でわかった。
 
 事故を起こしたのは、やはり在京当番日だった今年1月12日午後2時半過ぎ。白須賀議員を乗せた車が千葉県松戸市内で20代の男性が運転する車と接触。ドアのサイドミラー同士がぶつかったものの、白須賀議員の車はそのまま現場から走り去ったという。
 
 千葉県警関係者が語る。

 「被害者はすぐに110番通報しました。車は、白須賀議員の私用車だった。松戸署はその後、運転していた公設秘書と、同乗していた白須賀議員から事情聴取を行っています。公設秘書は今年3月、道路交通法違反容疑で書類送検されました」
 
 交通事故に詳しい加藤博太郎弁護士の解説。
 「当たったことを認識していたのに警察に報告しなかった場合、道路交通法上の報告義務違反にあたります。物損事故にもかかわらず、書類送検されたということは、警察側も悪質だと見て、被害届を受理して捜査したのでしょう。同乗者も“当て逃げ”の事実を承知していたのであれば、道路交通法違反の幇助に問われかねないケースだと思います」
 
 白須賀事務所に事情聴取の有無などについて尋ねたところ、書面で次のように回答した。

 「現在捜査中の案件のため、捜査等への影響を考慮し、コメントは差し控えさせて頂きます」
 
 5月23日(木)発売の「週刊文春」では、事故の詳細のほか、白須賀議員の人物像、白須賀議員との一問一答などについて詳報している。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年5月30日号)

週刊文春は、”事故の詳細の詳報”に焦点を当てているようだが、東京常時待機の特命を受けた政務官が職場放棄、特命無視を決めて地元に勝手に戻っていた方が問題が大きい筈である。





信長の家来にいたアフリカ人



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昨日のこのブログページで米国の三大ミスコンテストが全てアフリカ系美女を選出した記事を書いたが、今日も再び黒人の話題で、今度は日本の戦国時代にアフリカ人がいた話である。この時代は群雄割拠した諸大名だけでなく、講談などで良く出て来る豪傑や忍びの者など広く名前を知っているが、織田信長の家来にアフリカの男性がいたとは知らなかった。

この話を知ったのは外国からの情報で、昨日の米国CNNニュース電子版(こちら)である。何故か当日のトップニュースに出ていたので目を引いた。我が国でも知っている人が多いらしく、知らなかった私が不勉強で常識に欠けていたらしい。

主人公は、アフリカのモザンビーク(スーダン説もある)で、奴隷商人によってインドに連れて来られた。宣教師に買われた彼は従者として長崎に同行する。2年間の滞在中に日本語を習得し、宣教師が当時最大の実力者であった織田信長に会うために京都への旅に同行することになった。

当時の京都では、アフリカの黒人が街中を歩くのは珍しく、たちまち見物人が押しかけ、怪我人まで出る騒動になった。騒動を聞きつけた信長は宣教師と彼を呼びつけ、初めて黒人を見た信長は、特殊な塗料で肌を塗っているとして身体を洗わせたが、益々黒光りするので黒い肌は本物と信じた。興味を持った信長は宣教師から百両という破格の価格で引取り、「弥助」と名乗らせた。

信長の傘下となった最初の戦いは、忍者の里の伊賀攻めだった。当時の小柄な日本人の中で180cmを超す大柄な黒人は一際目立った存在だった。その後信長が本能寺で謀殺された時に駆けつけて明智軍に捕えられ、光秀から日本人でないので殺す価値がないとイエズス会に引き渡された。その後、忽然として彼の記録は消えうせ、数多くの憶測と謎を生んでいる。

今回、CNNが記事にした理由は不明だが、米国で謎の黒人武士を主題にする映画が予定されているのに関連しているのかも知れない。

自分の知らなかった日本史の一面を外国紙から教えられた初めての例となった。








米国三大ミスコン、黒人系制覇



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女性を容姿でランク付けするのかとか、男性の視点で水着姿の女性を選別するのか、差別むき出しではないかと批判される女性のミス・コンテストであるが、どの世界でも注目を浴び続けている。日本でも最高学府の大学で、ミスXX大学と称する選考行事もある。米国にある三大ミスコンと言われる「ミスUSA」、「ミス・ティーンUSA」、「ミスアメリカ」コンテストで今年はいずれもアフリカ系(黒人)女性3人が栄冠を確保した。

ハリウッドのアカデミー賞が、一時は白人俳優しかノミネートしないと批判があったように、これら米国のミスコンは当初は有色人種は排除されていた。1920年代から始まった歴史の中で、初めて黒人系が優勝したのは1983年の「ミスアメリカ」と言われるから、半世紀以上は白人独占の行事だったのである。以降、有色人種系が登場し、今年は史上初めて三大ミスコンで黒人系が独占優勝した。

かって一流有力雑誌に「勝つのは賢いブスよりバカな美人とは本当か」との検証記事もあったが、批判を覚悟で書くと美人コンテストで優勝する女性は概ねオツムが弱いとの印象があった。ところが、今回トップに選ばれた三人はかかる世間の常識を蹴散らかす傑物揃いだった。

まずミスUSAのチェスリー・クリスト嬢。サウス・カロライナのウェイク・フォレスト大学からMBAと法律学位を取得。現在は法律事務所で民事訴訟を担当し、米国の司法制度改革を目指す弁護士として活躍中。

ミスアメリカのニア・フランクリン嬢はプロのオペラ歌手。音楽を通じて成長した自分の経験から、保育園や幼稚園の子供たちに音楽の素晴らしさを啓蒙している。

ミス・ティーンUSAの優勝者はケイリー・ガリス嬢。まだ18才のため社会的活動や貢献はないが、美人の象徴とされる真っ直ぐな髪の毛が美しさの判断基準とされるコンテストに、敢えて生まれつきの縮れ毛で挑戦して栄冠を獲得した。

出典:CNNニュース電子版(英文こちら

こうして眺めてみると、米国のビューティ・コンテストは単なる容姿だけを競う基準から、人格や人間性をも加味する質的な変貌を遂げているようである。テレビのクイズ番組で、紫式部の名も答えられないアイドル・タレントが大きな顔をして出演する我が国の知的水準では、いずれ取り残される公算大である。





図書館の本100冊余が山中に投棄



小学校に入る前から本に親しみ、長じて通学・通勤途上でも常に本を手に持っていないと落ち着かない程、本には特別の思い入れがある。床の上に置かれた本を股ぐのは罪悪と感じ、ましてや踏みつけて歩くと足が腐ると躾けられたものである。従って、本を床に置くこと自体が罪悪で、見つければ必ず机か本箱に収納するクセが付いている。

本に傍線を入れたりメモ書きするのはもっての他で、図書館で借りた本に良く見かけるページの隅が折られているのを発見すると山形に折って元に戻すのも、自然に身についたクセになっている。

それ程本は大切にするのが当たり前と思っていたのに、こんな新聞記事を見て腰を抜かした。

図書館の本100冊以上が山中に投棄 京都・宇治市
 京都府宇治市や周辺自治体の図書館の本が、宇治市の山中に投棄されていたことが13日、市教育委員会への取材で分かった。少なくとも100冊以上とみられ、市は経緯を調べるとともに、府警に相談している。

市教委によると、11日に「図書館の本が不法投棄されている」と連絡があった。現場からは、宇治市の図書館や滋賀県立図書館(大津市)などのバーコードが貼られたり、蔵書印が押されたりした大量の書籍が見つかった。赤いビニールひもで、十数冊ごとに束ねられていたという。(共同)

図書館で良く本を借りる自分から見れば、これは本を借りた個人の仕業ではないことが直ぐ分る。いくら不精な人間でも借りるばかりで返本をせず100冊も自宅にため込んでいるとは考えられない。返本期限が来ても長期間返さなければ、その貸出図書券で新たに借りる時に図書館側でチェックが可能の筈である。

図書館で一定期間貸出がない書籍は、一般閲覧棚から書庫に移される。文字通りお蔵入りとなるが、所定の手続きで借りだしは可能である。私はよくこれをやる。一般閲覧棚になければ検索機で調べると「書庫職員へ」とあるので判る。書庫のスペースに限りがあるので、年次棚卸の時に長期貸し出しがない場合はまとめて廃棄される。廃棄作業は図書館がやる訳ではないので業者に委託するのが常である。

今回発見されたのは、その業者が不法投棄したものに違いない。発見された書名のいくつかを押印してある図書館に照会すれば、廃棄を委託した業者名が判る筈である。

それにしても、焼却せず不法投棄するという行為は、本の愛好家にとっては許しがたい行為である。




マチュピチュに国際空港建設



世界遺産の代表格、インカ遺跡のマチュピチュ近郊に、ペルー政府による国際空港建設計画が持ち上がり、世界の考古学界やユネスコから猛反対の声が上がっている。そうでなくても崩れそうな遺跡に、ユネスコが制限する2倍以上の、年間150万人の観光客が押しかけ、遺跡保存の必要性が高まっている中での話だけに反発が強い。

私も、約35年前のペルー駐在時代に夏休みを利用して訪れたことがある。リマから飛行機で1時間、インカ帝国の首都であった標高3400mのクスコに着く。ここからアンデスの急峻なウルバンバ渓谷に沿って列車で3時間半、当時はディーゼルカーで歩くような速度で駆け下る。客車には川崎車両の銘板が貼ってあり、昭和10年代の製造であった。麓の駅からバスで遺跡を見下ろす尾根まで約30分、今ではケーブルが敷設されていて、もっと便利になっているらしい。当時はクスコから往復一日がかりだったので、前日にクスコに着いて置く必要があった。従って、リマからは2泊3日を要する奥地だったのである。

クスコ空港は大型機が利用出来ないため、リマ及び隣国のボリビアのラパス空港で中型機に乗り換えるのが唯一のルートである。空港建設が持ち上がったのは、年々増加する観光客受け入れの便のため、この困難なアクセスの現状解決にあることは良く理解出来る。ただ、マチュピチュ遺跡付近は急峻な地形に加え、軟弱な地質のため空港建設に適した場所はなく、遺跡に隣接したチンチェロと呼ばれる湖を抱える窪地に計画されている。専門家は、この地に大掛かりな工事を行うことは、脆弱な遺跡に深刻な影響を与えると警告している。また湖はクスコ市が必要とする飲料水の半分を供給する水源となっているが、建設工事のために水量が激減するとの試算も出ている。

ペルー政府は空港建設に前向きで2023年には開港を計画しており、既にカナダと韓国が建設工事に名乗り出ているという。

出典:ガーディアン電子版(英文こちら

観光地に人が押し寄せると、本来の景観を損ねて風情が無くなることは、静かなたたずまいの筈の嵯峨野の竹藪の小路や白川郷の藁葺家屋集落が人の行列で埋まっている光景でも良く理解出来るだけでなく、物理的に損傷・崩壊させる危険もある。遺跡というものはどこでも補強・再現は出来ず、再建したとしても映画のロケのセットのようなもので、歴史的・文化的な価値は再現出来ない。

我がブログ継続に黄信号



ブログ運営会社より気になる案内が入った。

日頃よりウェブリブログをご利用いただき、ありがとうございます。

ウェブリブログは2004年3月のサービスの開始以来、少しずつ機能強化を加えながらサービスのご提供を続けてまいりました。しかしながら、システムが老朽化しておりこのままではサービスの維持が難しいため、来る6月4日(火)に、長時間の大規模メンテナンスおよびリニューアルを実施することとなりました。

メンテナンスの時間帯では、管理画面へのログインや、ブログ記事投稿等ができません。また、一部、残すことのできない記事がありますので事前に保存等を行っていただく必要があります。

リニューアル後は、お客さまのブログのデザインや操作方法等が大きく変わります。また、トラックバック機能やフレンド機能等、いくつかの機能につきましてはリニューアル後に引き継ぐことができません。

■ウェブリブログ リニューアル日時
 2019年6月4日(火)15:00(予定)
 ※いくつかの機能が廃止になります。

■ウェブリブログ メンテナンス(サービス停止期間)
 開始日時 2019年6月4日(火) 01:00(予定)
 終了日時 2019年6月4日(火) 15:00(予定)
 ※ブログ閲覧以外のほぼすべての機能が止まります。

■リニューアル詳細並びにメンテナンス状況のご案内
 詳しくは、こちらをご覧ください。
 
 ウェブリブログ事務局ブログ https://info.at.webry.info/
 公式Twitter https://twitter.com/webryblog

ウェブリブログをご愛用くださっている皆さまには、多大なご不便をおかけしますが、今後もブログサービスの提供を続けていくために必要なリニューアルでございますので、ご理解くださいますようお願い申しあげます。

デザインだけでなく、機能も大幅に変わりそうである。”残すことの出来ない記事”のコピーを勧められているが、大変な作業になりそうで、おそらく諦めることになる。また、この「梓川河童のページ」が存続可能かどうか、メンテナンスの後の状況を見ることにする。




オーストラリア新札に表記ミス



オーストラリア中央銀行が昨年10月に発行した50豪ドル(\4000弱)札に刷られている文字にスペル間違いがあったことが、6ヶ月経過した今発見され話題になっている。日銀なら大慌てで回収するところだが、そこは鷹揚なオーストラリアのこと、次回に再発行する時に修正することとし、表記ミスのまま流通させ回収はしないという。

スペルミスは金額を表す数字ではない。日本語の「責任」を意味する単語“responsibility”の後ろから3字目の“i”が欠落しているもので、三ヵ所に使われている全てが間違っているところから、作成者が誤って記憶してしまっているか、間違ったまま最初に使った単語を、そのままコピペしたに違いない。

表示されている場所は、良くもこれ程小さなサイズのフォントがあったものかと感心させる程、米粒に文字を書くようなもので、それも芝生を表す図柄の下に並んでいるので、誰が見ても芝生そのものと思ってしまう。

世の中には極端な完璧主義者がいて、重箱の隅を突くようなアラ探しをするのを得意とする性格の人がいる。それはそれで重要な特技であり、会社の文書課などで作成された資料の正確さを検証したり、出版社の校正係りなどに適した人材でもある。

今回の豪ドル紙幣の表記ミスも既に4800万枚流通し、最も頻繁に使われる紙幣だが、誰も気付く人はなかった。「字が小さすぎて読めな~い!」とハズキルーペをかけても読めない程の字を見つけたのは地元のラジオ局で、SNSに投稿したのがキッカケという。

国の中央銀行発行の権威にかかわると見る人もいるだろうが、自動販売機にも問題なく使えるし、贋札防止のために反って良いかも知れない。

尚、問題の新札は、オーストラリア初の女性議員の肖像の横に、「この場にただ一人の女性として出席していることは実に大きな“責任”で、もっと他の女性にも来て貰う必要があることを強く訴えたい」との演説の一部が併記されている。

出典:ロイター電子版



政党で議員候補公認の基準は?



衆参議員選挙などで政党が公認するには何らかの基準がある筈である。地盤・看板・カバンの有無が客観的な材料で判り易いが、その他に知名度や最近ではルックスの良さが加わる。その他に、党の選対上層部が“選挙に勝てる”と確信させるに足る何かがあるに違いない。この場合、“資質”はどのように考慮されているのか疑問に感じさせる議員も多い。

日本維新の会の丸山穂高議員が、北方四島ビザなし交流訪問団の一員として国後島を訪問した時の懇談会の席上、団長の元島民に対して酒に酔った状態で「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」と大声で質問。後日、訪問団から抗議を受け、日本維新の会は素早く反応して、本人を除名処分とする一方、議員辞職を勧告すると発表した。

丸山議員は2012年の衆院選挙で日本維新の会の公認で大阪から立候補し初当選した。同じ年の選挙で日本維新の会は上西小百合元議員を公認し、同じく大阪の別選挙区から立候補させ比例近畿ブロックで復活当選している。その上西元議員も衆院本会議を欠席して秘書と不倫温泉旅行に行ったことが発覚し党から除名された。丸山議員も上西元議員も日本維新の会から出た同期である。橋下・松井党幹部(当時)の党公認基準はどんなものだったか。

丸山議員除名に関し、同期の盟友上西元議員は、「丸山穂高議員は“維新の中で”一番まともだった。維新議員には禁酒宣誓をさせられるような下らないやつらが他にもいる。情けない」と自分のことを棚に上げた発言をしている。益々、党の公認基準を知りたくなる。

日本維新の会だけではない。自民党にも“魔の三回生”と言われる強者が集まる同期会がある。余りに多いのとお粗末な所業の連続でここに挙げるのも馬鹿らしいので、詳しくは(こちら)の記事にお願いする。

いずれも最近の議員は獲得議員席という“数”が目的で公認され選ばれたもので、資質というものは考慮されていない。問題は、何故こんな議員ばかり公認されるのかというより、何故そんな議員に票を入れるのか。責任は全て国民にある。人を見る目を涵養する何らかの対策が必要である。







日本中に知られた大津三事件



お隣の大津市、琵琶湖畔の県道の丁字路で乗用車同士が衝突し、内一台が信号待ちの保育園児の列に突っ込んで死傷者を出した事件から5日。今でも全国ニュースとして連日ワイドショーや新聞で取り上げられ、事故の直接的原因となった右折車の運転への警鐘の意味があるようである。

交差点での車同士の衝突事故で一番多いのが、強引な右折による反対車線の直進車との衝突である。「伊予の早曲がり」とか「松本走り」という“右折ファースト”のローカルルールを想起させる。右折時の瞬間的な判断と運転操作、緊張感はハンドルを握る誰もが経験するものだけに、身近な問題として今回の事件が全国のドライバーに右折時の注意を改めて再認識させる教訓となった。

大津から全国に問題提起された別の事件として、8年前の“大津中いじめ自殺事件”がある。中学校で同級生から執拗ないじめに遭って自殺した生徒に対する学校側の対応である。事件発生当時は、加害者生徒の父親がPTA会長であり、母親が女性団体連合会会長とあってか、学校と教育委員会の対応は及び腰だった。「自殺は家庭環境が原因」と一蹴したり、「いじめた側にも人権がある」と聞き取り調査もせず、世論に押されて実施したアンケートの結果も公表しない徹底的な隠蔽行為が世間の反発を加速させた。

真相解明に当時として異例の第三者委員会も組織され、遂にはこの事件を糸口に国会でも取り上げられて「いじめ防止対策推進法」が可決され、全国の学校いじめ問題対応の先駆けとなった。

極め付けは、明治24年5月に大津市で起きたロシア帝国ニコライ皇太子に対する警護警官による暗殺未遂事件である。世界の大国の将来のロシア皇帝に、新興国日本が犯した犯罪だけに外交上の難問だけでなく、即時武力攻撃を受ける恐怖が広がった。当時の明治政府の閣僚は押しなべて犯人の死刑を迫ったが、時の大審院院長(現在の最高裁判所長官)は「日本は法治国家であり、刑法に外国皇族に対する規定はない」と政府に反発して無期懲役とし、司法権の独立を守った。日本近代史の中で広く知られる「大津事件」である。

大津の事件は暗い話ばかりだが、いずれもそれを将来に対する教訓と捕え、改める礎となれば救われる。中でも「大津事件」の司法権独立精神は、政権に対する忖度の匂いがする日本や韓国に是非再認識して貰いたい例である。



老人会が不人気



新聞の読者投稿川柳欄に、「ネーミング他にないのか老人会」というのがあり、その日の秀逸句に選ばれていた。全国津々浦々に同じ名前で呼称され、他に適当な表現が見付からない欲求不満を感じている人が多いと見える。その老人会が主催する「サロン」というのがあり、我が町内の老人会からまたまた案内状が来た。その度に憂鬱になる。

我が老人会は、かって65才以上の男女が該当者だったが、高齢化がここでも進んで今では70才以上となっている。お隣の町内では75才以上に引き上げたと聞く。その老人会主催の「サロン」とは“すこやかサロン”とか“いきいき(生き生き)サロン”と言って定期的に集まる会が日本各地にある。

私も70才に到達してめでたく(?)老人会の資格者になった当座はこのサロンに良く参加していたが、最近ではずっと欠席している。理由はその会の内容が、人形劇や手品、南京玉簾を見さされたり、一緒に手を叩いて童謡や民謡を歌うなど、まるで養老院にいるようで、元気づけられるべき筈の会合が滅入ってしまう気分になったからである。サロンの世話をしている婦人から「初めは良く来てくれたのに何故?」と会うたびに勧誘されるが、「かえって老化が進みそうだから」と断っている。

「なぜ高齢者男性がサロンを利用しないのか」と日本福祉大学の調査報告(こちら)にあるように、サロンはどこでも男性の参加比率が極端に低いらしい。高齢者層はそもそも女性の方が多い物理的な理由もあるが、仕事にずっと打ち込んで来た仕事人間は地域社会に溶け込み難い点を挙げている。「おしゃべりとお遊び的な活動、飲食などプログラムが固定化する傾向があり、行きたいと思うところがない」と私と同じ意見も多いとある。

ただ隣町の知人に聞いた話では、老人会サロンで彦根の地方気象台と造幣局を見学する日帰りバスツアーを企画したところ多数が参加したと聞いた。今や高齢者は隠居ではない。まだまだ知識欲もある。かかる計画を続ければサロンも活性化するというものである。




今日読み終わった本―「安倍政治100のファクトチェック」



今日読み終わった本:

『安倍政治 100のファクトチェック』 南彰・望月衣塑子
 集英社新書 2018年12月


著者の南氏は長年朝日新聞政治部で活躍後、現在は新聞労連に出向して中央執行委員長であり、望月氏は東京新聞政治部に在職。記者クラブの会見で執拗な質問を続け、菅官房長官に「貴女の質問には答えない」と言わせた名物女性記者である。

トランプ大統領が、メディアの報道をフェイクニュースと非難を繰り返しながら、自身の発言が明らかな偽の情報が多いため、「ファクトチェック(事実確認)」として米国メディアで盛んになった手法である。この運動にならって、第二次安倍政権発足後のさまざまな発言を、①「森友・加計学園問題」、②「アベノミクス」、③「安全保障法制」、④「憲法・人権・民主主義」、⑤「官房長官会見」から100項目に整理し、夫々に○(正しい発言)、△(部分的に正しい点があっても誇張や本質からずれた発言)、×(嘘・間違い発言)で集約したのが本書である。

結果として、○は3件、△30件、×67件となっている。本書の基本は間違い発言の解明が主眼だから×が多いのが当然で、○や△はファクトチェックの公平さを表すためのお添え物の意味合いがあるが、一方で隠蔽・改竄・偽証が目立つ安倍政権の体質が現れたものとも取れる。いずれも判定は、国会の議事録や会見記録、報道機関が掲載した公文書の内容やインタービュー記事など、誰でもアクセス出来る公開情報を使っており、夫々に引用先が明示してある。

安倍政治のファクトチェックとの題目ながら、野党発言も取り上げられ、公平さにも配慮した形跡がある。

嘘・誇張だけでなく数多い失言が目立つ安倍政権なので、今後ともチェックの対象となる案件は増えそうである。一時代の日本政治の記録として将来の資料となる本と言えよう。







元気なゼラニウム


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育てたことのない花だが、次から次へと蕾が出て来て元気な花が開いて来る。草花に知識のない花だったが、植木鉢の葉陰に名札が差してあるのを見付けると、“ゼラニウム”とあった。半世紀以上も前に藤山一郎の歌で名前だけは知っていたが、どんな花かは知らなかった。

この鉢植えは、先月4月7日の県議会選挙の際、自治会長の依頼で投票の立会いに駆り出された時、投票箱の周囲に並べられていた色とりどりの花の一つである。所定の立会時間が終わって帰宅する際、同席していた選挙管理委員の人達から、「お好きな花をどうぞ」と言われ、年寄りの男性に花は似合わないと固辞したが、押し付けられたのがこの花だった。

折角のキレイな花だから毎日水はやっていたが、その内に枯れるだろうと思っていたら、一ヶ月を過ぎた今でも見事な花びらをつけている。良く見ると、次の蕾が次々を現れて枯れる気配はない。

念の為ネットで調べると、この花は育てやすい庭花の一つで、手入れによっては年中花を咲かせる。接ぎ木も簡単で増やすことも出来るという。今まで花の世話の経験はないが、我が家に来たのも何かの縁と思って、ネットのガイドに従って鉢を増やしてみようかと考えている。五月は接ぎ木に適した季節とある。

今は夜には室内に入れているが、昼には日当たりの良い庭に出している。ただ暑さには弱いらしく、これから猛暑に向かって、直射日光に曝すことは出来ない。

藤山一郎に“♪恋は真っ赤なゼラニウム・・・”と歌われたが、ゼラニウムにもいろんな形と色があるらしい。我が家のそれは、藤山一郎の言う種類そのものだろう。ただ、今では何人がこの歌を知っているか・・・・。







園児の列に車、大津事故雑感



琵琶湖畔の湖岸道路のT字交差点で、いずれも女性が運転する車同士が衝突。信号待ちをしていた散歩中の保育園児の列に跳び込んで、死者2名と多数の重軽傷者を出す痛ましい事故があった。この地点は私が京都から守山の自宅に帰る時に、渋滞する国道1号を避けるため迂回する時に良く通ったので土地勘がある。

報道によると湖岸道路を南下して来た軽自動車(運転女性62才)と、北上して来て交差点を右折する普通乗用車(同52才)が衝突し、跳ね飛ばされた軽自動車が信号待ちをしていた園児の列に突っ込んだのが事故の状況である。県警はその場で双方の運転手を現行犯として逮捕したが、その後軽自動車の方を罪が軽いとして釈放した。

園児の列に跳び込み死傷者を出したのは軽自動車である。もう一方の乗用車は衝突後、園児の列とは反対側の歩道に乗り上げて止まっており、園児には害を与えていない。にも拘わらず、釈放されたのは現実に危害を与えた軽自動車の方である。テレビのビデオで見る限り、右折する乗用車が直進して来た軽自動車の前右側面にぶつかって園児の列の方向へ跳ね飛ばしているので、これは誰が見ても乗用車に非があるので当然の措置だろう。どんな場合でも、右折車は直進車を先に通すのがルールである。

この事件で、被害者側の保育園が記者会見を行いライブで全国放送された。普通、かかる記者会見は事故を起こした加害者の方が説明責任を果たすため行うべきものである。交通ルールを守ってキッチリ信号待ちをしていた保育園側にどんな責任があるのか。風薫る快晴の五月に、園児を散歩させる保育園が悪いというのか。自由勝手に歩かせているのではない。保育士を3人も付けている。マスコミが保育園を悪者にしようとしているのでない限り。かかる記者会見は全く不要である。

今回の自動車事故の運転手は62才と52才の女性だった。この内のどちらかが75才を越えた高齢者なら、非がなくても有無を言わさず一方的に高齢者の方を悪者にして、もっと大々的に取り上げられたに違いない。







サイドミラーの盗難相次ぐ



初めてのモスクワ出張で奇異に感じたことの一つに、取引先の男性が駐車場に車を停める都度、自分の車のワイパーとサイドミラーを取り外して駐車場を離れることだった。現地ドライバーの常識らしい。周囲を見渡すと、駐車中の車にはいずれもワイパーとサイドミラーが付いてなかった。付けたままにして置くと簡単に盗まれると言う。

今のロシアがソ連時代の話である。物量が豊富になった現代から見れば昔話になっている筈である。ところが、車社会の天国である米国でサイドミラーの盗難が相次いでいると言う。被害に遭う車は、アウディ、ポルシェ、ベンツ、レクサス及びBMW等、高級車に取り付けられているカメラ付きサイドミラーである。

カメラ付きサイドミラーには二つの利点がある。一つは、駐車しようとする時、運転席に座っていながら、両サイドの下側地面を見られることと、走行中に走行ライン変更が容易なことで、周囲に誰か人が居たり車が近づいて来ると警告を出してくれるらしい。高級車は勿論のこと、普通の乗用車には盗難防止の警告ブザーが鳴って知らせてくれるが、ブザーが鳴っても「まさか自車に限って・・・」の心理が先行して注意を払わない人が多いと言う。

ここで自動車部品販売のオーナーの話がある。「サイドミラーを盗まれたという話は多いが、当店に売り込みに来た人はいない。誰が盗んで、誰に売っているのか、大きな謎だ」と言う。

出典:FOXニュース電子版(英文こちら

こんな高級なカメラ付きミラーを貰っても、私の軽自動車には似合わない。似合わないだけでなく、車内にモニターもなければ電動させる機構もない。米国内でも売り先がない筈だが、盗まれた高級サイドミラーの売り先は容易に推測が付く。それは、日本の中古家電製品無料回収業者と同様、北朝鮮への密輸に違いない。北朝鮮では、ダイムラーさえ把握出来ていない最高級車が、経済制裁をものともせず走っている。高級サイドミラーが装備出来る高級車が何台も走っているのである。




エジプト彫刻に鼻が損傷の理由



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世界の美術館や博物館に陳列されている古代エジプトの彫刻で、人間の顔に鼻が欠けているのが多い。紀元前から風雪に耐えて来たため、自然に傷みや摩耗のため当然のことと誰もが思って気に留めなかったが、実はそれなりの理由があった。

古代ギリシャやローマ、プレ・インカ、マヤ、アステカなど古代遺跡から出土した彫刻にはエジプトほど、どの顔もどの顔も共通して鼻が欠けていることはない。「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界の歴史は変わっていたかも知れない」という言葉もあるように、エジプト文化と鼻は何か意味があるのか。エジプト彫刻には、同国の文化と鼻に何か因果関係がありそうである。

この疑問に答える米国ブルックリン美術館長の見解が、CNNニュース電子版に出ていた(英文こちら)。彫刻の鼻だけが慎重に破壊されているのは、“偶像破壊への攻撃力”という複雑な作用が働いているというものである。鼻欠け彫像は、紀元前25世紀から紀元元年にかけての作品に見られ、政治・宗教機能に関わる偶像破壊への頑迷な文化の証明と言う。

彫像は立体的なため、鼻のように突き出た部位は時の経過により自然破壊されやすいとの観方もあるが、壁画のように平面的な絵でも鼻だけが破壊されているので、鼻が攻撃されるのは意図的と言える。破壊されているのは権力者であり、従者の像や絵は被害を受けていない。つまり、権力に対する反抗の意思表示であり、鼻を破壊することにより息が出来なくなって死に至らしめるため、神像の耳を破壊するのは信者の祈願を聞けないよう意図している。

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鼻と言えば、夏目漱石の“吾輩は猫である”の中に、実業家の金田夫人の偉大な鼻について、現代から見れば女性蔑視と思わせる話が長々と続く下りがある。シーザーの鼻と言い、クレオパトラの鼻と言い、鼻は顔面の中央にあるため目に付きやすく、その人の人物評価のタネになる。自慢することがあれば“鼻が高い”などの表現でも利用されるが、異常に大きいと芥川龍之介の小説の題材にされる。

鼻はやはり人間の重要部位なのである。エジプトの彫像でそれが狙われるのは、それなりの意味があったのである。








エベレストはゴミと屍体の山



世界最高峰のヒマラヤのエベレスト山で、この4月中旬から始まった集中的清掃作業の結果、45日間のキャンペーン期間で約11トンのゴミが回収された。ゴミの中には、登頂に成功して不要になった登山用具も含まれている。今回の清掃運動が終わっても、尚30トン以上のゴミや遺物が残ると予想されている。ゴミだけでなく、行方不明中の遭難者の遺体も4人発見された。

登山者は、かねがね山の美化を叫ぶが、ヒマラヤなど訓練された熟練登山家だけに入山が許容される聖域では、一般愛好家の目が及ばないのを良いことに、登頂の目的を達すると下山には使用しない登山用具は放置して帰るのが普通である。これ程、言うこととヤルことが違う身勝手な行為はない。ネパール観光局では、入山許可を出した登山隊には、岩と雪、氷以外は持ち帰るよう指示しているが徹底されていない。

エベレストには過酷な運命が待っている。1921年の初入山以降、今までに約300人が遭難死し、その内2/3はまだ雪と氷の下に埋もれている。地球温暖化の影響はエベレストにも及んでおり、今まで10人の遺体を回収したネパール政府関係者は、「山の雪や氷が溶け出すと共に、数多くの遺体が現れるだろう」と予想している。

北米大陸の最高峰、アラスカのデナリ(旧名、マッキンレー)山も似た条件下にあるが、エベレストと異なるところは人糞が多い点で、約66トンの人糞が埋もれていると見積もられており、地球温暖化のお蔭で氷河の溶融により、今後数十年に亘って人糞が流れ出す筈と予想されている。

出典:FOXニュース電子版(こちら)。

人糞がデナリに多く堆積して、何故エベレストには問題がないのかは記事には書かれていない。





今日読み終わった本―「承久の乱」



今日読み終わった本:

『承久の乱』 本郷和人  文春新書 2019年1月

「歴史を知るには小説を読むのが一番早い」とは良く言われる話である。まさしくその通りで、日本史の中で最も多く小説の舞台に取り上げられるのは「戦国時代」と「幕末」が双璧だろう。書店や図書館の小説の書棚を見ても判る。次いで「源平時代」か「太平記の南北朝」くらいか。物語を良く読んでいる人は、誰でもこれらの時代の推移に詳しい。従って、NHKの大河ドラマはこれらの時代に集中している。

ところが、日本史の流れの中でこれらのはざ間にある時代は、小説には殆ど取り上げられないか全く無視されている。古代の「乙巳の変」の前後など、ドラマチックな展開がありスターも多いのに何故か人気がない。今回取り上げた「承久の乱」もその時代の一つで、「応仁の乱」と同様、魅力ある登場人物が多い割にはこれらの時代を舞台にした小説は少ない。参考となる文献が少ないのかというとそうでもない。結構豊富な当時の古文書が残されている。「歴史を知るのは小説」と言われるが、その元は立川文庫や歌舞伎などに取り上げられた講談や浪花節などが原典かも知れない。

私はこれら人気の時代から離れた頃の物語に結構興味がある。小説に取り上げられなかったので特に探究欲をそそのかされるためだろう。或いは、「徒然草」や「方丈記」から僅かに推察するだけでは物足りなかったのかも知れない。

本書の著者は、日本中世史の研究に一生を捧げている専門家である。日本史の中で本当の天下分け目の戦いは「承久の乱」と位置付けている。天皇や法王、上皇或いは摂関政治から武士の天下に移った日本史のターニングポイントの視点から解説したものである。

通常日本史研究家は頑迷で、一般人向けに本を書くなど良心的な研究者のすることではないとする姿勢があるが、本書の著者は知る人の少ない時代の推移を極力判り易く、池上彰スタイルで平易に解説している。一ヶ月で終わった「承久の乱」の実戦記録は簡単に処理し、この乱が起こった背景説明に焦点を当てている。



ネシアを見習うべき湾岸都市



インドネシアの首都移転計画の発表は、その背景が明らかになると、湾岸に位置する世界の大都市を驚嘆させる程の内容だった。この大決断は、ジャカルタの地盤沈下と海面上昇による壊滅的な大洪水警告の正しさを証明したからである。米国ワシントンを含む世界の多くの首都に深刻な目覚ましとなった。

ジャカルタ政府は、世界の環境変化の脅威に直面している現状で、過密人口を支えることは不可能な上、交通渋滞や飲料水欠乏の心配がある。最大の理由は、極点の氷山溶融による海面上昇と地盤沈下の影響を受けて、首都が過去30年で10フィート(約3.3メートル)も沈んでいることである。

ジャカルタほど極端ではないが、米国のニューオーリンズやノーフォークにも地盤沈下が認められている。地盤沈下がなくても、温室ガス効果による海面上昇は全世界に及んでいる。インドのムンバイやカルカッタ、上海、ナイジェリアのラゴス、マニラ、ダッカ、バンコック、コペンハーゲン、東京、ロンドン等々。災害に対して脆弱な点で共通している。首都だけでなく、地方都市も含めて“危険が予想される”状態から既に洪水・浸水被害を受けている地域は多い。

被害を受けた地域や危険が予想される都市は、巨額の費用を投じて補強工事を進めているが、海面が1フィート(33cm)上昇するだけで劇的な浸水被害を及ぼし、イタチごっこの争いである。

今回インドネシアの先を見越した決断は、“賢明な選択”として他の湾岸都市の将来計画に対する参考になる。温室ガス削減は最悪の辞退を先延ばしにする効果があるかも知れないが、海面上昇は止めることが出来ない。既にこの地球は華氏2度暖かくなっており、極点の氷山溶融は止まらない。

津波や洪水対策のための土木工事は、激変する地球環境に追いつかない。先延ばしたくなる問題ではあるが、地球は待ってくれないのである。インドネシアは1千万住民の命を守るため首都移転を選択した。“海面は上昇続けている。我々も潮目と同様、立ち上がらねばならない”時である。

出典:ワシントンポスト5月3日電子版(こちら


「再発防止に全力」では不可



連休もたけなわのこの時期に、次のようなウェブニュースが出た。

国交省、JR東日本に警告文書
相次ぐ障害、10連休や受験影響


10連休中の4月28日に発生した上越新幹線のトラブルなど、利用客への影響が大きい時期に輸送障害を相次いで起こしたとして、国土交通省がJR東日本に警告文書を出したことが2日、同社関係者への取材で分かった。
 
JR東では、昨年末や今年の国公立大の2次試験当日にもトラブルが発生。警告では防止体制の検証と改善策の報告を求めた。国交省が個別トラブルの再発防止を求めることはあるが、相次ぐ輸送障害を問題視して、警告するのは異例だ。
 
関係者によると、警告文書は4月29日付。
 
JR東は「結果的に重大な事象が続き、誠に申し訳ない。再発防止に全力を挙げる」とのコメントを出した。(Yahooニュース)

官公庁や民間企業で何か不始末や不祥事を起こした場合、幹部が記者会見で数人が並んで頭を下げて陳謝し、「再発防止に努力します」と表明するのは謝罪会見の定番になっている。この表現は、安倍総理が大臣辞任ごとに「任命責任は私にある」というだけで、具体的にどんな責任を取るかを言わないのと全く同じで、言いっ放しの無責任な表現である。

私も現役時代、不始末で労基局や税関支署で釈明に出頭した際、散々油を搾られた後に必ず言われるのは「“再発防止策”を書面にして提出せよ」だった。言いっ放しでは済まされない脅迫感すらある。

言われる通り書面にして再度出頭することになるが、その書面の内容を幹部が寄ってたかって指摘して来るので、通り一遍の内容では済まされない。納得が得られないと、始末書を書かされるハメになる。始末書となると会社の社長名で社印の押印も求められるので、これは絶対避けねばならない。“再発防止策”は文字通り入魂の内容でなくてはならない。そのため社内の法務部に応援を求めたことも何度もある。法務部に相談に行くと、「また何か仕出かしたのか」とツライ言葉も浴びるが止むを得ない。

“再発防止策”とはそれ程強制力のあるものである。単に口先だけで済まされるものではない。謝罪会見でこの言葉が出たら、具体的に提出日を求め、それを審査する機関を作って公表し、成果を検証するような社会的なシステムを構築すべきである。





警察署内で車上荒らし



警察署内のガレージに止めてあった乗用車が車上荒らしに会い、車内のカバンなどが持ち去られるという何とも締らないニュースがあったが、それ程車上荒らしの技術水準は高く官憲の警備も行き届かないレベルにあると言える。

静岡県警静岡南署は27日、同署の車庫に止めてあった乗用車の窓ガラスが割られ、車内からバッグなどが盗まれたと発表した。同署が窃盗容疑で調べている。
 同署によると、乗用車は自動車盗の証拠品として26日に関係先から押収。敷地内の車庫で保管していたが、27日午前9時ごろ運転席の窓ガラスが割られているのに署員が気付いた。車内にあったボストンバッグ3個とナンバープレート9枚が盗まれていたという。
(時事通信)

この記事の中で「自動車盗」という聞き慣れない言葉があり調べたら警察用語で、「自動車の窃盗のことを指し、警察白書では窃盗の一形態に分類される。自動車の積荷や車両内の現金や品物を盗むことは車上狙いという」とあり、自動車そのものを盗むことらしい。そう言えば、何か事件で犯人が乗り捨てた車は盗難車だったというのは良く聞く話である。

私の車が車上狙いに逢ったことはないが、グラウンドゴルフ場の同じ駐車場で他の車が車上荒らしに逢ったのを四件目撃した。“目撃”と言っても襲撃している現場を見た訳ではない。プレーを終わって駐車場に戻って来たら、窓ガラスが叩き割られ、粉々になった青いガラスが散乱し、補助席側の窓が尖ったガラス片を残すだけの無残な姿を“目撃”したのである。

四件共、駐車場の真ん中ではなく、隅の歩道に近い位置に駐車してあった。狙われるのは高級車との印象があるがそうではなく、近くにベンツがありながら軽自動車がやられていた。ご丁寧にそのムーヴは二回目の遭難だったという。いずれも車内の財布入りカバンを取られた。監視人の小屋があったが、監視人は頻繁に広い河川敷を巡回して不在である。多くのグラウンドゴルフ・プレーヤーがいるにも関わらず、窓を叩き割られた音に気付かなかったのは、新幹線が橋を渡る轟音を発する時に狙うとの穿った見解もある。

いずれにせよ、警察署の中でも犯行を起こすハイテクニックを有している。これから酷暑に向かって駐車車内が高温になるのを避けるため、車内を空っぽにして窓を開けて風通し良く駐車するのが最善の予防かも知れない。しかし、車ごと持って行かれるかな?




新天皇挨拶、政府が事前検閲?



新天皇が即位後初のお言葉の内容を、政府が事前に閣議決定したとあり、内容を検閲したと疑わせる新聞記事があった。

天皇陛下即位のお言葉 政府が「即位後朝見の儀」前に閣議決定

政府は1日午前、首相官邸で臨時閣議を開き、天皇陛下が「即位後朝見の儀」で述べられる即位後最初のお言葉と、安倍晋三首相の「国民代表の辞」を決定した。
 
天皇陛下が「三種の神器」の一部を受け継がれる「剣璽(けんじ)等承継の儀」と、国民の代表に即位を宣言される「即位後朝見の儀」は国事行為として1日午前に執り行われる。   (毎日新聞こちら


この報道に関連して別の記事には平成天皇即位時のお言葉の内容が記述されている。

前の陛下が初めておことばを述べたのは、即位2日後の1989年1月9日に臨んだ「即位後朝見の儀」だった。「日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより、皇位を継承しました」と説明し、天皇像を語った。「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません」。象徴天皇としての歩みはこのメッセージから始まった。
 
昭和天皇の喪が明け、90年11月に行われた「即位礼正殿の儀」でも「日本国憲法を遵守」と発言。改憲を主張する保守派国会議員や右翼勢力に「護憲派なのか」と波紋が広がった。     (毎日新聞こちら


今回の新天皇のお言葉にも憲法に言及されたが、前回のことがあって事前に内容を閣議で検討したためか、「自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、寄り添いながら、憲法にのっとり象徴としての責務を果たす」とかなり弱めた表現になっている。

天皇は象徴であっても憲法上は日本国民ではない。基本的人権や言論表現の自由は認められていない。ということは、お言葉の内容を事前検閲し変更させることは“合憲”と言える。一方、天皇は国事に関わる意思表示や発言は認められていない。なんとも窮屈なお立場である。