話す英語力と大学教育は別物(その5)


【昨日の続き】

昨日の『「話せる英語」を実現するにはどうすれば良いか』の続きである。


エジプト」からイラクへ直行便があった平和な時代に社用出張でカイロからバグダッド行きのエジプト航空に乗り込んだ時の話。機内には頭の先から足首まで黒い衣服に包んだ男ばかり40~50人の団体がいた。当時盛んだったエジプトからの出稼ぎ労働者である。


ベルト着用解除になって暫くして、男性パーサー2人が手分けして乗客に入国カードを配り始めた。団体一人一人には手渡さず話しかけてパーサー自身が各自の名前、生年月日、住所、入国目的などを書きつけた後で手渡している。黒衣の男達は読み書きが出来なかったためである。しかし会話は自由に出来る。「話す」には学校教育は必要ないことが判る。江戸時代に日本へ来訪した外国人が日本の識字率の高さに驚嘆した事実はいろんな文献に残っているが、それでも読み書きが出来なかった人が多数いたのと同様である。

                                                                                                

人間が話せるようになるのは何と言っても母親の力が大きい。産まれた直後のまだ目が見えない時から母親は赤ちゃんにのべつまくなしに話しかける。赤ちゃんが返事出来ないことを承知で話続ける。赤ちゃんが反応して笑い顔でもするようになると、益々勇気づけられるのか話続ける。その内に、周囲から赤ん坊に声をかける人が増えて、言葉のシャワーを浴び続ける。やがて、赤ちゃんは自分でも真似をして言葉を口に出すようになる。


要するに、話し言葉は真似ることから始まっている。ただ赤ちゃんは音を聞き分けたり真似をすることにかけては驚嘆すべき天分の能力があるが大人はその能力が低下している。自然に身につく能力は期待出来ない代わりに、真似をした表現を執拗に繰り返すことにより強制的に体に覚えさせることは出来る。


【以下、「いずれその内に」続く】


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【追記】このテーマは暫く続きそうだが、あまり同じテーマの繰り返しではくどくなりブログ記事がマンネリ化するきらいがある。「その内に続く」としたのは、梓川河童の管理者の気分によりテーマに変化をもたすもので、ブログとは本来そうしたものである。









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