学歴詐称が炎上する社会



あるウェブニュースに面白い記事があった。見出しは「農業高校卒ライター、『早大卒』と詐称した後の針のむしろの人生」とある。記事を読まなくてもある程度内容の見当が付くが、中身は意外なものだった。(詳しくはこちら)。


このライターは自分から詐称したのではない。ある「人の学歴好き」のS子という女性から無理矢理、というか自然に学歴詐称をさせられた話である。特に私の興味を引いたのはこのS子の言動だった。実は私の現役時代に知り合いのあった、地域の社団法人の専務理事をしていた女性がまさにこのS子そのものだったのである。


その専務理事は仕事柄、地域の経営者や企業の幹部と幅広く交流があったが、その内のある個人を話題にする時にはいつも、「あの社長は京大卒、あの常務は慶応」などを常に枕詞にして話す癖があった。ご自身も奈良女子大卒だから、それを話題にする資格はあると見ていたらしい。出身校が判らない場合は、執拗に聞いて来て困ったこともある。従って、彼女の頭には氏名と学歴が常に密着していた。S子はどこにでもいると再認識した。記事にある「ポン女」もその専務理事から日本女子大のことと教わっていた。


我が国は学歴で人物が評価される社会である。ただ出身大学が判れば何学部を専攻したかには余り興味を示さない。一流技術系企業の社長が、農学部卒であっても神学部専攻だったとしても重要ではないのである。


小池都知事のカイロ大学卒の偽証疑惑が話題になっているが、同大学に在学していたのは事実である。在籍証明書も公開されている。私は外国語大学で学んだ経験から、当時はアラビア語が読み書き出来て話せるのは全日本総人口13千万人の中で100名に届かないと聞いたことがある。アラビア語が都政をリードするのにどんな利点があるかと言われればそれまでだが、それ程稀有な能力の持ち主であることは知っておいても良い。


政治家のエライ先生方の中に、天文学や哲学部で学んだ人がいるかも知れない。大学名だけが優先され、学部や専門は何かを問題視しない社会の象徴である。





使わなくなった固定電話



スマホを含む携帯電話の普及率は昨20193月末現在で139.8%という総務省の調査集計がある。総人口に対して100%を越えている理由は、スマホとガラケーの2台持ちが多いとの説明がある。いずれにせよ、この数値の中には昔からある固定電話は含まれていない。


私の現役時代の最初の頃は、事務所内の67人が向い合せに座る一つの係に電話器が1台という状態が暫く続いた。「電話ですよ」と呼ばれると席から立ち上がって電話器が置かれた場所まで行く必要があった。それが順次一人に1台となり、今ではその固定電話器が携帯電話(ガラケー)になって、出歩く時以外は常に机の上の充電器に置くのが定位置になっていると聞く。


我が家でも同じで、この頃は固定電話を使わなくなっている。こちらからかけるのはファックス以外は殆どなく、先方からかかって来るのを受ける受信機専用になっている。従って毎月、基本料金だけを支払うムダな存在になっている。


そのかかって来る相手も、今では知人・友人は携帯に架けて来るので、大部分が太陽光発電の宣伝やオール電化切り替えなど勧誘の案内ばかり。従って、今では常に留守電の設定にしてある。家人の誰かが在宅中でも、電話器は常に留守電の赤いランプが灯いている。着信音が鳴っても放置しておくと、留守電の自動アナウンス中に切れてしまうので、迷惑着信であったことが直ぐ判る。


我が家の固定電話番号も、電話帳から削除依頼して5年以上経つが未だに来信があるのは、当時の記録や同窓会名簿などから個人データが売買されているからだろう。その内に固定電話を解約したいのだが、インターネット回線などと連動していて面倒なので放置してある。


カミサンが固定電話への来信を唯一の楽しみにしているのは、選挙期間中のコンピュータ音声による世論調査の応答で、質問に応じて押ボタンを操作するのが面白いと言う。固定電話とは今やそれだけのオモチャなのである。



余り騒ぐ必要のない「ハイオク混合出荷」問題



今朝の毎日新聞朝刊のトップ記事に、「『独自』のハイオクガソリン、実は『混合』」の大きな見出しが目を引いた。石油元売り5社がオリジナルブランドで販売し、業界団体も「各社が独自技術で開発した」と説明していたハイオクガソリンが、スタンドに出荷する前段階で実は他社製と混合されていた。20年前から行われていたと報じた。


一見、スクープ風の報道だが、良く読むと取り立てて騒ぎ立てる程の内容でもなさそうであある。ENEOSが「当社が開発した環境ハイオク」、シェル石油が「独自のクリーン&プロテクトテクノロジーを採用」と謳っているが、他社は品質の仕様を述べているだけで、いずれも「独自のハイオク」と直接的に謳ってはいない。


記事には「混合」の表現があり、一瞬ハイオクとレギュラーの混合と思わせるがそうではなく、物流費削減のため貯蔵タンクを各社で共同利用するようになったためである。非難すべきは、如何にも独自製を匂わせるキャッチフレーズであり、貯蔵タンクの共同利用を20年も公表してこなかったことで、実態はハイオクとは各社同じ製品だったのである。


ガソリン価格は、スタンドにより温度差があるが、ハイオクとレギュラーの価格差が1リットル当たり10円程度というのは変わらない。どの会社のハイオク価格は同じだったのである。


ハイオクを使っている自動車はスポーツカーや外国車、国産高級車などである。私がセルフスタンドで赤色のポンプを握って自車にレギュラーを入れている横に、わざとらしくBMWを乗り付けたサングラス姿のオネエチャンがエラソウな顔をしてハイオクの黄色いポンプをこれ見よがしに取り出すと癪だが仕方がない。リッター当たりの走行距離はこちらの方が長いのだぞと心の中で自慢する程度である。


いずれにせよ、「ハイオク混合」記事は、今更消費者に不利をもたらすものではない。問題にしてくれるなら、価格の半分を占めるガソリン税と、尚その上に消費税が課されている税制を声高に叫んで欲しい。



人の前で足や腕を組む習慣


足を組む.jpg

上掲の写真は、米国政府のある高官の執務室の光景である。取り立てて奇異な風景ではないが、目に付くのは上司である高官の前に座って話を聞いている担当官が、男女を問わず例外なく足を組んでいることである。政府高官とのミーティングと言えば堅苦しい雰囲気を想像する日本人から見れば、如何にもくだけた印象を受ける。


昔、米国映画で上司に呼ばれてメモ用紙片手に部屋に入って来た女性秘書が、上司から何か指示を受け始めると、何も言わずにいきなり上司が座っている机の上に尻を載せて座り込み、長い脚を組んでメモを取り始めたシーンには吃驚した。尚も驚いたのは、この行儀の悪い女性秘書を上司が当たり前のように見上げて指示を与えている場面である。行儀が悪いと感じたのは、映画を見ている我々日本人の観客の印象で、米国では普通のことらしい。


上掲の写真で担当官の脚の組み方を見ていると、膝を組み合わせるオーソドックスなスタイルから、一方の踵を他方の膝の上に乗せる方法もある。男性だけの座り方らしい。


オバマ大統領が執務室で、椅子の背もたれに深く座り、靴を履いたままの脚で机の上に両足を組んで乗せている写真が時々テレビ画面や写真で紹介された。中国のネット上で「米国の最高指導者による無作法な姿」と鬼の首を捕ったような意見が飛び交ったが、米国では全く無反応だったという。夫々の国の生活習慣の違いである。


日本の閣議の光景で足を組んでいる閣僚を見ることはない。尤も総理が正面のソファーに座る閣議の光景は見慣れているが、これは報道陣用の閣議前の顔合わせらしく、実際の閣議は別室の椅子・机の部屋で行われ、その光景は公開されないと聞いた。それでも閣僚が足を組んで座ることはないと思う。


我々日本人で気を付けるべきは、最近腕を組んでカメラに向かう人が多いことである。手持無沙汰に両腕をブラブラさせるよりは、腕を組むと気持ちが落ち着く効果があるが、これは外国人にも「敵意を示す」ものとして厳禁されている。日本人には身に付いた生活習慣だが気を付けたい行為である。







指示に従い成果を出した忠臣を斬る非情



河井元法相夫婦の選挙違反容疑による逮捕前後から、日々の報道は両名の手段を選ばない数々のカネで買収の実態が報じられている。その際限のなさには呆れるばかりである。説明責任を求められてもダンマリを決め込むだけでなく、公の場に姿を見せない逃げの姿勢が世間の反論を買っている。


報道に用いられる案里議員の顔写真も、本来は美形の若い女性らしい写真が数多くある筈なのに、心持ち顔を斜めに上げて上から目線で白眼を剥き口をひんまげている憎々し気な表情を切り取った同じ写真を何度も掲載して悪女ぶりを強調している。


確かに両名のとった権力を笠に着た行動は許されるものではない。しかし歴史上の人物で悪人とされた人間を、角度を変えて見た場合にその悪行が止むを得なかったと見直された例は数多くある。そんな目で河井夫妻の行動を眺めると、両名は気の毒にも必死になってピエロを演じた喜劇役者に見えて来る。


元はと言えば参院広島選挙区は自民党議員会長だった名士の溝手顕正議員の地盤だった。その溝手議員がかって安倍首相を強烈に批判したことから、首相の強い「恨み」を買っていた。その溝手氏を引きずり落とすため刺客として河井克行議員が県議であった案里夫人を首相に提案した。克行氏のそれまでの行動が首相を補佐した実績があったため、首相はその忠義を認めて法務大臣という要職を与えた。


この時点で、溝手潰しと案里氏を勝たせるのは「首相案件」となった。長年溝手氏を擁して来た自民党広島県議会はこの中央の措置に反発。昨年の参院選は広島では自民党の内紛となったが、長年の溝手氏の地盤は強固である。新人の案里氏にはこれを覆す力がなく、終始劣勢だった。このため、自民党本部から15千万円という巨額資金を案里事務所に送り込み、地方選の応援には出ない首相秘書を何度も派遣しただけでなく、首相自身や菅官房長官も応援に出た。党中央が自党の片側を集中支援するという前代未聞の選挙戦だったのである。


党本部挙げての応援の結果、案里氏が辛勝し溝手氏は落選した。河井克行議員のなりふり構わぬ買収運動は、「首相案件」達成のための汗みずくの成果だったのである。


ところが首相は、河井夫妻が逮捕された瞬間、我れ関せずの姿勢に豹変。国会会期延長も避けて責任追及の場から逃げてしまった。


河井夫妻の拘置所拘留生活は悲劇だが、そのために演じた役割は首相に踊らされた喜劇だったのである。






一部の国産ウィスキーは日本製ではない



私は古くからのウィスキー・ファンである。20才を過ぎて胸を張って飲酒が認められた年頃に、トリスバーに連れられたのが始まりである。ジョニーウォーカー黒ラベルが一瓶1万円、赤ラベルが57千円の時代だったので、外国ブランドには手が届かなかったが、サントリーレッドとかニッカ黒ラベルクラスがその対象であった。


長じて、社用で海外出張の機会が増えると、これ幸いと憧れの海外ブランドを手にするようになった。モスクワ出張時に市内のドル・ショップ「ベリョースカ」で買ったジョニ黒が最初で7米ドル(当時の円換算で2520円)。ホテル・ウクライナの部屋の二重窓の真ん中にボトルを置くだけで冷えるので、その様子を撮影した写真は今でも持っている。海外出張から帰国する時は、免税範囲で持ち込める3本の中には必ずジョニ黒・オールドパー・シーバスリーガルが定番だった。いずれも当時の日本では買えない効果なものだが、ドル・ショップではいずれも7ドルだった。


その時の国産ウィスキーの最高級品は、ダルマの愛称のサントリー・オールドだったが、これも安月給のサラリーマンには高嶺の花で、バーに行ってもこちらがサントリー角瓶を飲んでいるのに、同席の女給にオールドを飲まれるのが癪だった。それでも、我が家で何か祝い事があるとオールドを飲むことがあったが、当時の味を知っている身には今のオールドの味が格段に落ちている。ネットで調べると改良を加えた結果とあるが、やはり支払った価格を念頭に置いての味の差に違いない。



その日本のウィスキーだが、最近の原酒欠乏でサントリーの「響」や「山崎」の高級ブランドが販売停止に追い込まれたニュースは耳に新しい。ニッカも同様である。原酒不足は日本だけでなく本場の英国にも及んでいる。この中で、鰻上りにウィスキーの需要が向上している中で、「日本産ウィスキーの一部は日本製ではない。ウィスキーですらない」との英文記事が目を引いた(こちら、ビジネスタイムズ英文)。殆どの日本製ウィスキーは英国やカナダの製品を日本製として販売しているという事実である。「ウィスキーですらない」とうのは、米国で人気の「焼酎」を“Shochu”という言葉がないので、米・麦を原料とする日本製ウィスキーとして販売しているらしい。


そう言えば、私が晩酌で楽しんでいるのはサントリーレッドからカティーサークやジョニ赤に変わっている。こちらの方が美味しく安いからである。





油断大敵、NZでコロナ感染者再発



厳しい行動規制と国民の一致団結した努力で過去24日間、コロナ感染者が一人も出なかったことで、世界に先駆けてコロナ封じ込めに成功したとして全ての規制を解除し、国民挙げて祝った一週間後にニュージーランドでまたまた感染者が2名出た。英国からの帰国者で、規制解除の影響で入国管理に手抜かりがあったと見られる。


コロナ禍がまだ猛威を振るっている国々を尻目に、ニュージーランドの成功は若いアンダーン女性首相の指導力が世界から称賛されていたが、水際作戦の一寸した脆弱性が顕わになったものである。


原因は検疫官の善意からだった。英国からの帰国者は66日に到着、両親が危篤とのことで613日に特別の配慮で検査なしで650km先の実家までドライブし、帰着後検査したところ両名とも感染が確認されたという。


他にも、コロナ自粛の緊張から解放された緩みが露見した。帰国して隔離されていた感染者が運動のため歩き回っていたホテルの大宴会場で結婚披露宴が行われた事実が判明した。その場所では他の家族の子供の誕生日祝いも行われていた。その大宴会場にいた人達は一時的に隔離されていたが、内6人は葬儀参加のため特別の配慮で外出を許可された。しかし彼らは戻って来なかったのである。検査を受けるのは自主的なもので強制力がなかったのが原因した。


世界に先駆けてロックダウンを解除し、コロナを封じ込めたと笑顔を振りまいたアンダーン首相の表情はその後、石のように固くなってしまった。失敗は許されないことであり、検査を怠ることは馬鹿げた行為であると注意している。


出典:英国ガーディアン電子版(こちら


世界は米国、ブラジル、ロシアなどまだ深刻な感染拡大に直面している国がある。日本も自粛規制を解除した途端に感染者が増え始めた。長い自粛期間からの解放感はそれまでの我慢の程度が尋常でなかっただけに、気持ちもつい緩みがちになる。コロナはそんな一寸した油断に付け込んで来る。コロナ封印優等国のニュージーランドですらこの現状である。もって参考とすべきである。





子供の頃の危険な悪戯



最近、あるウェブニュースに次のような記事が出ていた。


千葉県鴨川市のJR外房線で5月、普通電車の先頭車両が脱線した事故で、現場近くのレール上に置き石をしたとして、千葉県警が19日、往来危険の疑いで、小学生の男児(10)を児童相談所に書類送致したことが捜査関係者への取材でわかった。

 送致容疑は、5月8日午後、脱線した現場から約200メートル離れた踏切内のレール上に、石を複数置いた疑い。

 捜査関係者によると、以前にも何度か置いたことがあったといい、回を重ねるごとに石の数が増えていった。「実験で置いた」という趣旨の話をしており、反省しているという。

 男児が脱線直後に踏切付近から立ち去るのを近所の住民が見ていた。(共同通信ニュース 6月19日)』


この記事を読んで、私も経験した我々悪童達の全く悪気のない遊びのひとこまを思い出した。年の頃も丁度この記事の主人公と同じ10才前後である。年上の先輩が、真っ赤に錆びた鉄釘を2~3本、掌に載せて「これを線路に並べて汽車に轢かせるとピカピカになる」と言って、我々が通う小学校の運動場に接して走る山陰本線(今でいう嵯峨野線)の線路に入り込み、錆びた釘を線路に並べてから柵をくぐって退避した。蒸気機関車が轟音と共に通り過ぎた後、線路に戻るとくだんの赤釘はペチャンコになっていたが、目にも眩い白く美しい色に変身していた。この遊びに列車転覆という恐ろしい意図は全くない。


まだある。列車がまだ視界にも入らない遠方にある時、線路に耳を当てるとあたかも直ぐ近くを走るような伝導音が聞こえて来た。勿論、汽車の近づいて来るのが見えると、全員飛び逃げて退避したが、流石にこの実験は危険と見た年長者は、汽車が通り過ぎるのを待ってから線路に入り込み、線路に耳を当てて遠ざかる音を聞く方法に切り替えた。


丁度そんな年頃の時に読んだ山本有三の「路傍の石」という小説の中に、主人公の少年吾一が汽車の近づくのを待って鉄橋の橋桁からぶら下がるシーンがあった。下手をすれば轢死、落ちれば下は急流という設定である。


今回の外房線事故も、「実験だった」という。いずれにせよ、悪戯の結果がどうなるかを考えない遊び盛りの所業である。これを如何に事前に察知し防止する躾けをするかが大人達の知恵である。






「肌の色」の表現自重の行き過ぎた風潮



今月初め、米国ミネソタ州で起きた白人警官が黒人男性の首を膝で抑えて窒息死させた事件を契機に、人種差別に抗議するデモが全米に拡がり一部は暴動に発展している。抗議運動は世界各地に飛び火し、東京や京都でも抗議デモがあった。この運動が、肌の色の表現まで差別につながるとして禁止されようとしている。


今日の毎日新聞の「余禄」に、「オコエ瑠偉選手が子供の頃、親の似顔絵を『はだいろ』で塗るように言われ、涙ながらに茶色のクレヨンで塗った」エピソードを紹介している。クレヨンや絵の具の「はだいろ」は2000年前後に各社が相次いで呼び名を「うすだいだい」などに変更した逸話も出ている。


私がまだ20才過ぎの頃、若い女性の間でダッコちゃんと呼ぶ人形が爆発的な人気をもたらした。黒いビニールの人形で両手足が輪になっていて腕などに抱きつくようになっている。大きな目が角度によってウィンクするなど手の込んだ玩具だった。女子高生初め通勤にも腕にからませて出社する社員すらいた。この人気は米国にも伝播したが、黒人差別問題の渦に巻き込まれて販売停止に追い込まれた。


カルピス.jpg


他にも、英国から輸入された「チビクロサンボ」の絵本が日本の子供達の人気を博したが、「チビ」も「クロ」も差別用語と批判されて姿を消し、黒人をイラストしたカルピスの広告ポスターも黒人差別の理由で撤退した。


日本で人気を博したこれら黒人を主人公とするキャラは、人種差別の意図のかけらもない。むしろ愛すべき対象とされた。黒人を差別視する趨勢は、南北戦争以前の奴隷制度の考えが現代まで色濃く残る米国の白人社会である。彼らは黒人だけでなく、中南米移民をマイノリティとして差別し、日本を含むアジア人も黄色人種として腹の底では蔑視している。トランプ大統領に代表される白人優位の思想が米国を支配している。


その白人優位の国が、今やアフリカ系・ラテンアメリカ系移民の増大により、白人が逆にマイノリティに追いやられると予想されている。その中での差別抗議運動の高まりであるが、先日の「風と共に去りぬ」排除のように、従来の「ターザン」映画やアパッチ族を敵とする西部劇は全て間違いだったと否定しなければならなくなる。


人種差別とは何か。今機運が高まっている抗議活動が白人社会に向けてのものであることは明らかである。一方的な視点からでなく、全ての人種が共通の問題として取り組むべき問題である。



大部分が衣だけのエビ天



あるメルマガの記事の中で、「なぜ大阪人は殆どが衣のエビ天を文句も言わずに買って行くのか」というのがあった。大阪で非常にユニークな天婦羅屋があり、売っているのはエビ天のみ。それも手のひら程の大きさの天婦羅の衣に小指の半分程のサイズのエビが尾だけを覗かせて入っているだけだが、大阪人は詐欺と思わずに先刻承知と買って行く話である。エビの大きさにより、大・中・小とあり、小は一枚90円程度という。


食い倒れの町と言われ、食べ物にはうるさい大阪で妙な話だが、実はおかずとしての天婦羅ではなく、うどんや蕎麦に載せる具として買われるものらしい。


この話を聞いて、会社員時代の社員食堂を思い出した。そこには定番のAランチやBランチがあるが、他にカレーや丼と共にうどんと蕎麦があった。中でもうどんは麵・スープ共に京都味でその美味しさは定評があり、値段も安いとあって窓口には長い列が出来た。うどんだけでは昼食として量が少ないので、ランチをトレイに載せてうどん・蕎麦を求める者、うどん鉢2杯を両手にして席に着く者もあった。


うどん・蕎麦共に、キツネか天婦羅のどちらかを選ぶのであるが、天婦羅うどんを注文する時に、「エビの尻尾天うどん!」と叫ぶ社員すらあった。実はその通りで、うどん鉢の上に拡がる天婦羅は衣だけで、小さなエビの尻尾が覗いているに過ぎない。本物の油揚げが載っているキツネうどんに比べて20円程高いのに「尻尾天うどん」に文句は言わない。横の窓口で供給している天婦羅丼には大きなプリプリのエビの天婦羅が載っているのに、それがうどんと一緒に出ることはなかった。それでも衣天うどんのファンが多かったのである。


温かいうどんや蕎麦に載っている天婦羅は、衣だけでもその力量を発揮してくれる。うどんや蕎麦を賞味出来れば良いので天婦羅は添え物である。ところが、天ザルなど冷たいザル蕎麦に揚げ立ての天婦羅盛り合わせが出る場合は、「尻尾天」では用を足せない。この場合は、天婦羅が主役で蕎麦が脇役である。東京では天婦羅盛り合わせに蕎麦ツユが添えられ蕎麦の麺のないメニューもあると聞く。


前記大阪の小エビ天婦羅屋は、それだけで30年も続い繁盛しているという。「エビの尻尾天」は固定的人気があるらしい。




「任命責任は私にある」とシレッと何度も言える人



18日、通常国会閉会を受け安倍首相の記者会見がテレビ放映された。冒頭、現職国会議員の河井夫妻が逮捕されたことに「かって法相に任命した者として、その責任を痛感している」と述べて頭を下げた。多くの家庭の夕食時間帯でテレビを見ていた国民が多いと思うが、その顔の表情から「責任を痛感」していると読んだ人は何人いるか。「聞き慣れたセリフ」と感じた人が多いに違いない。


あまりに何度も繰り返されるので、今まで何回述べたのかネットで調べてみると、世の中には同じ疑問を持っている人がいると見えて直ぐに出て来た。2019114日付け毎日新聞に、「記者もヒマだな、と仰らないで頂きたい。数えてしまった」と前置きして、同日付までの33の本会議・委員会で「49回」とある(こちら)。201212月に発足した第2次安倍政権で7年間に辞任した閣僚9人に対するものである。「本会議・委員会での発言」とあるから、他に記者会見やブラ下がり取材での発言を加えるともっと増える。


これだけ「任命責任は私に」を乱発して、ではどんな責任をとったかと言えば何もない。言いっ放しで終わりである。安倍首相は、この表現について何か勘違いをして使用しているフシがある。「任命責任は私にある」と言って頭を下げればその責任は解消されたと理解しているに違いない。そうでなければ、これだけ頻繁に発言しておいて後は知らぬ顔が出来るものではない。別の記事には、「何だか堂々として発言」(プレジデント2019118日)とあるのも頷ける。


「任命責任をとるとは、首相の座を降りるとか、一定期間謹慎してその間は副首相に代行させるとか、歳費を何ヶ月分返上するなど、具体的な態度で示すことですよ」と野党から首相に手取り足取りでガイドしなければ判って貰えないのではないか。


与党内でも、「首相の発言は軽過ぎる」との批判がある。例の「福島原発はアンダーコントロール」と世界に向けて発信して、国際的にも首相発言は不信感を持たれている。安倍首相には「その場限り」の発言が多く、「任命責任は私に」もその一つに過ぎないようである。








逃げ切り国会



201回通常国会が昨17日閉幕した。ただすべき課題が山積しているにも関わらず、未解明のまま放置して、会期期限を待ち兼ねたようにして遁走した印象がある。本来なら安倍首相は懸案の憲法改正に向けて論議を尽くすべく、自分の方から会期延長を提案したいところだが、自分で蒔いた様々な種の疑惑の釈明に耐えきれないと見ての逃げ切りである。


学生時代は避けて通れない学期末試験を何とか乗り切った時、会社員時代は当初予算達成に向けての営業活動を締め切った会計年度最終日に覚えた解放感、その結果の如何に関わらず感じたと同じ安らぎを安倍首相も共有しているに違いない。


懸案の内容とは、進行中のコロナ禍の中での経済活動の停滞や国民生活の確保という身近な課題に加え、「持続化給付金事業」でのトンネル法人、黒川元高検検事長の訓告どまりの処分の可否、同氏の定年延長を決めた閣議決定の経緯、河井夫妻や菅原元経産相の選挙とカネ問題、それに強引に蓋をした積りのモリカケや「桜」疑惑も未解決のままである。


従来、安倍首相はかかる疑惑釈明から逃げるため、外交日程を理由に外遊で国会審議を避けて来たが、国際的なコロナ禍でこの手も使えなくなった。今までの数々の外遊実績も、本来ならその目的と成果を逐一帰国後に報告すべきであるがその説明は一切ない。我々民間企業で外国出張をした場合は、帰国直後に出張の目的と成果の報告会をさせられたものである。勿論、出張精算も行うが、首相の外遊で出費した内容報告もない。要するに、国会から逃げて外遊しても、その成果はバラマキ援助以外になかったのである。


国会が閉幕しても、一定数以上の議員の希望があれば臨時国会開催が憲法で保障されている。過去にモリカケ問題を審議するため野党から臨時国会開催を要求したが、安倍内閣は98日間も放置し、やっと召集したと思ったら直ぐに審議なしで国会を解散したことがある。安倍政権の「言論の府」である国会軽視の典型である。


この姿勢に対し、過日那覇地裁で憲法53条に照らして「憲法違反と評価される余地がある」との初の司法判断を示した。「安倍内閣の対応が違憲かどうか」の結論は出さなかったが、内閣は招集する法的義務があるとの判断である。


少々の憲法違反は意に介しない安倍無法内閣であるが、同様の訴訟が東京、岡山で争われている。野党は閉会中でも関係委員会を週一回開くことで合意したが、ここには安倍首相は出席しない。与党は懸命になって安倍首相を隠そうとしている。憲法上、条件が満たせればいつでも臨時国会を召集出来るので、強行に政府に要請すべきである。



有権者の無責任



昨年の参院選に広島で選出された河井案里議員の秘書が選挙違反で有罪判決が出ると、広島県内の有権者や政界関係者から選挙違反を主導した夫の河井克行議員や案里氏に猛烈な批判が高まった。今までに報道されて来た違法な選挙運動の内容は有権者の知るところで、それにたいして司法が判断を下したことに対する率直な反応だろう。


多方面の有権者や政界関係者からの抗議の声が一斉に報道されている。例えば、自民党広島県連の会長は、「判決を重く受け止めている。国民からの政治や自民党への信頼に関わることを踏まえ、事実の説明をして貰いたい」と他人事のようなコメントを出している。そこには、選挙期間中に党本部から次々と応援に来た重鎮に同行して河井案里氏を推した自分達の姿勢への反省や謝罪はない。


案里氏を推薦した公明党県本部代表も「推薦したが残念だ。辞職を含め出処進退を考えるべきだ」の声も、自分達の責任には全く触れていない。多数の抗議の声に同調するだけである。


県民からは、「お金で議席を買った形になり、県民の政治不信を増大させる事態だ。罪は重い」とか、「依然として議員本人から何の説明もないのは誠に遺憾。有権者のために説明責任を果たして頂きたい」、「投票したため余計に心が痛む。秘書が起訴された時点で案里氏自身が県民の信頼に背いていると感じていた。早く辞職した方が良い」、「したたかなことばかりして呆れるしかない。何故彼女に自民党本部が15千万円も出し、何をしようとしたのか一番知りたいちところ」と抗議の声が続く。


そこには案里氏に一票を投じた有権者の責任を問う声は出ていない。極端な言い方をすれば、カネを貰って一票を投じていながら、非難の声の高まりに知らぬ顔で同調している人もないとは言えない。広島だけではなく、全国の投票区でも何を基準に一票を入れるかの根拠が薄弱なのである。


選挙の度に不審に思うことがある。まだ選挙公報が各戸に届いていないのに、不在者投票所に人が足を運ぶことである。候補者の政策を知らなくても、候補者のルックスだけで選ぶ人がある。私の知る老婦人で、「顔が良いので投票したら、別のイケメンと間違えた」とシラット語る人がいた。他に、「党本部からエライ人が応援に来たので確かな人と思った」とか「お父さんの地盤だった」と本人の資質とは無関係に投票する人がいる。


今の選良は、本人の資質や政策を考慮していない層に押し出されて来たのである。今の無能で資質のない政治家を国会に送り出した責任は、すべからく有権者にある。








経産省のトンネル会社の事業



新型コロナ対策として中小企業などに支払われる「持続化給付金」の支払い業務を経産省が委託する先が、活動実態のない名前だけの組織であることがバレて、経産省はその釈明に大わらわになっている。


その組織とは「サービスデザイン推進協議会」という社団法人で、政府からの給付金支給という単純な実務を769億円で受託し、何の仕事もせずに749億円で電通に丸投げし、差額の20億円をピンハネした組織である。その電通が、また子会社やパソナなどに再度タライ回しにして103億円を懐に入れる濡れ手で粟の巨額税金泥棒集団である。


ここでは、本来は公開入札すべき政府の公共事業に対し2社だけ個別に入札説明を行ったというスタートから異例の疑惑満載の給付金実務執行を問題にする訳ではない。支払い実務作業を経産省というインテリ官僚組織がやる筈はなく、外部に委託するのは理解出来るが、問題はその委託先選定方法である。


以前、民間企業でも肥大化する管理部門、それに伴う間接費などオーバーヘッドが経営に悪影響を与えるとして、間接部門を子会社化する流行があった。私自身も所属していた本社の国際本部の輸出業務を担当する子会社設立の特命を受けた。丁度私の定年と同時だったので便利使いをされたのであろう。国際本部は自社製品を広く海外に販売する営業部門で直接会社の利益に貢献するが、輸出業務は実務を担当する利潤を生まない間接部門だったのである。


子会社設立という経験のない仕事を遂行するために、既に活動している他社の子会社を数多く訪問して経験談を聞いた。その中で参考になったのは、松下電器と京セラの子会社幹部で、両社とも「子会社の経営で親会社への依存率を30%以下に下げる」ことを親会社から指示されているという点だった。親会社は仕事を委託しその費用を支弁するが、それは子会社経費の30%が限度で、残りは外部から仕事を取って来てそれで儲けろという意味である。これは目標であり、その達成状況が子会社に天下りした人間の人事考課に関わるという。


親会社とは、仕事と社員を子会社に放り投げておきながら勝手なことを言うとも思ったが、それが子会社育成の愛の鞭らしい。


経産省も、そんな仕事が出来る企業に委託すべきだったのである。仕事を全くしないし出来ない「サービスデザイン推進協議会」とか会計事務に関係のない広告会社の電通、人材派遣会社のパソナよりも、入札の相手先であったデロイト・トーマツという国際的な会計事務所に落札しておけば正解だった。


しかし、そうすれば経産省の天下り先確保という本来の目的が達成出来ないため、初めからデロイト・トーマツは単なる当て馬としてで呼ばれたに過ぎなかったのである。





韓国の国境越え風船ビラ散布運動


宣伝風船.jpg


韓国の活動家及び脱北者グループが、北朝鮮の体制などを非難するビラを風船にくくりつけて韓国側から軍事境界線越しに北朝鮮側に送り込む活動を続けている。これに激怒した北朝鮮の金与生党第1副部長(金正恩党委員長の妹)が、「祖国を捨てて逃げた人間のクズどもの卑しい行動」と激しく非難した。


韓国政府も、かかる行動は南北間の緊張を高めるとして停止するよう求めているが、脱北者団体は「個人の自由、言論の自由」を認める法律下では違法ではないと、引き続き数百万枚のビラを印刷中で今後も中止する積りはないと言明している。


大型風船に結び付けられた袋にはビラだけでなく、チョコレートなどの物品や米ドル紙幣さえ入っている。昨年は11回、今年は5月末までに3回飛ばした。韓国統一省はビラ散布が承認なしに物品を北朝鮮へ送ることを禁じる「南北交流協力法」に違反するとして活動家グループや脱北者団体を警察に告発しているが、韓国内では賛否が真っ二つに分かれている。


2014年には、北朝鮮兵士が飛んできた風船を撃ち落とそうと砲撃したあおりで、南北軍事境界線を挟んで銃撃戦になった事件も勃発した。北側も報復措置としてヘリウムガス入り風船を飛ばし「これ以上の敵対行為とバカげた行動」を止めるよう警告したことがある。


韓国統一省では、「正直なところ、風船は境界線を越えられずに韓国側に落下したのも多数あり、環境汚染問題の原因にもなっている。土地の人による除去作業のために無駄な人件費を浪費している」とこぼしている。


出典:BBCニュース(こちら)。記事には風船を飛ばす動画がついている(1分弱)。


数年に亘って続けられて来た宣伝ビラ散布に、今回は北朝鮮が突然怒り出して、開城工業団地にある南北連絡事務所の撤廃、南北通信連絡線の完全遮断となし崩しの実力行動予告に出た。遂には、「次の対敵行動を行使する権利を我が軍隊総参謀部に委ねる」と宣戦布告のような態度に発展した。いつもなら、金正恩党委員長の強面の顔で発表されていた内容を妹の金与生党第1副部長のにこやかで優しい顔での発言だけに不気味である。


そう言えば、金正恩党委員長が死亡説を否定する51日の工場竣工式に出席した報道以降、公の場に登場しないのも何となく不気味である。



旅の土産は和菓子が主流



地方へ旅行した時に買い求める土産物と言えば、海岸地域の水産物や地方特産の漬物、蕎麦などの麺類を除けば殆どが和菓子である。その地方独特の銘菓の表示がある菓子箱が土産物店、高速道路のサービスエリア、道の駅などにズラリと並べられている。


私が生まれ育った京都は和菓子の老舗がひしめき、全国的にも名の知れ渡った多くの銘菓の集積地である。古くから茶道が盛んで良質の和菓子が求められ、発展して来た歴史ある土地柄でもある。その中で、質の高い銘菓に囲まれ馴染んで来た結果、地方の和菓子は取るに足らないものと軽視する傾向があった。従って、旅先での土産物選別に難儀したのである。


しかし、世間の評判、人から貰った土産品、地方の名産品店で試食した結果、自分なりに好みの地方の銘菓がある。例を挙げると、福井の羽二重餅、播州赤穂の塩味饅頭、甲斐の信玄餅、岡山の吉備団子、東京新宿の花園饅頭、伊勢の赤福餅など。


近場である意味もあって伊勢には何回となく行ったが、海産物の他は特段の名物は見当たらない。家族の好みもあっていつも無投票選挙のように「赤福餅」を買うが、本来ならわざわざ伊勢まで行かなくても京都駅で買える。伊勢の銘菓と言えばこれが唯一無二のものと思っていたが、最近の毎日新聞に『130年の歴史、伊勢銘菓「くうや勘助餅」、6月末廃業』の記事が目に付いた(こちら)。


「くうや勘助餅」とは全く知らなかった。そんな和菓子の老舗があることも初耳だった。写真を見ると、桜餅の桜の葉を取り去ったような姿をしている。和菓子、特に餅や饅頭は賞味期限が短い。「くうや勘助餅」もこのため県外に広く販売することが出来なかったが、「伊勢志摩地区で慶事、法事に広く利用されて来た」とあるので、文字通りこの地方に限定された特産品だったのであろう。それだけに「地元の味を消すな」の声が高まり、のれんを維持し何らかの支援の道を探るとある。


伊勢には「くうや勘助餅」だけでなく、様々なタイプの餅菓子を育んで来たと商品名がズラリと記載さている。いずれも聞いたことがない、土産物店でも目に付かないものばかりである。「赤福餅」の全国区の大きな傘のブランド名に隠れていたようである。




一時的な社会運動に抹殺される歴史的遺産



文学作品の中で稀代の名作とされ、映画史上では最高傑作作品として80年に亘り高い評価を受けていた「風と共に去りぬ」が、南北戦争前の奴隷制度と人種差別を美化するものとして、米国の動画配信作品から取り下げられることになった。米国の白人警察による黒人市民の殺人事件から発展した全米規模の人種差別撲滅デモなどによる社会変化と価値観の移り変わりで、文字通り「抗議の嵐と共に去った」作品となった。


「風と共に去りぬ」は、ヴィヴィアン・リー扮するスカーレット・オハラとクラーク・ゲーブル扮するレット・バトラーを主人公とする、誰もが知っている壮大なラブロマン・ストーリーである。南北戦争前後の南部を舞台とし、奴隷制度の恐ろしさや黒人の描写が背景にある。映画にはマミーと呼ぶ黒人家政婦が登場するが、今回の騒動で一挙に人々の脳裏に躍り出た。俳優はハティ・マクダニエルで、白人に虐げられるも従順に仕事をする役割を見事に演じ、黒人として初めてアカデミー賞助演賞のオスカー像を手にした。しかし、授賞式では白人の共演者達と離れた後ろの方のテーブルに着かされていたという。「映画を離れた私生活での行動も、マミーのイメージが終生付いて回った程の名演だった」(ロサンゼルス・タイムズこちら)とある。


今回の人種差別抗議行動は、「風と共に去りぬ」の映画作品を葬り去っただけでない。ヴァージニア州リッチモンドに建っていた南部連合ジェファーソン・デービス大統領の銅像が引き倒され、ボストン・ヴァージニア・マイアミなど米国各地に建っていたコロンブス新大陸発見者の銅像も引きずり落とされたり、塗料をかけられたり、首を落とすなどの狼藉が相次いで発見された。


米国での黒人暴行抗議行動は欧州の各地に飛び火し、ベルギーでは、旧植民地コンゴで圧政を敷いた国王レオポルド2世の銅像が各地で放火、塗料、破壊などで損傷された。


今までにも、スターリン像、フセイン像などが倒壊撤去されたことがあるが、いずれも時代を象徴した歴史遺産である。人の目から人為的に消滅させたからと言って、その国が経験して来た歴史は拭いされるものではない。


ペルーのリマ中央郵便局建物の横に、大きくはないが青銅の精巧な銅像が建っている。中南米全域に侵略したフランシスコ・ピサロ像である。ペルーの人々からすれば歴史あるインカ帝国や祖国を滅亡した不倶戴天の人物であるが、何世紀にも亘って像は受け継がれている。像の前には毎日新しい花すら生け替えられている。これが、経て来た歴史を残す市民の良識である。


ベルギー・アントワープ市では、損傷されたレオポルド2世像を修復し、元の位置に戻すことなく博物館に保存すると言う。これもリマ市民と共通する歴史観と言うものだろう。




ある民度の低い人の「民度が違う」発言



麻生財務大臣が、日本の新型コロナウィルスによる死者数が欧米諸国より少ない理由を「国民の民度が違う」と述べた。こう聞くと誰でも「欧米諸国は民度が低い」と言っていると理解される危険があり、またまた物議を醸している。


「民度が低い」を辞書で調べると、『人格など卑しいさま。スケールが小さい。低レベルな。みみっちい。低劣な。人間が小さい』とある。どれを取ってもいみじくも、特定のある人を指しているようで、その人のイメージが鮮やかに浮かび上がって来る。


麻生財務相のこの発言が出たのは、こともあろうに参議院の財政金融委員会。国の中枢の国会内である。自民党の中西健治議員が、都市封鎖したフランスなどと比べて日本は緩やかな統制で感染を抑えたとし、「自由を守り続けてきたのは価値が高い」と与党らしい持ち上げた発言があった。答弁を求められた麻生財務相は外国から電話で問い合わせがあったとした上で、「『おたくとうちの国では国民の民度が違うんだ』と言ってやると、みんな絶句して黙る」と答えた。


何故「みんな絶句して黙ってしまう」のか、ご自身ではその意味の自覚がないらしい。人口百万人当たりの死亡者数は確かに日本は欧米に比べて少ないが、本当は韓国・中国・台湾・タイよりも多い。欧米諸国がこの実情を知った上での質問に対する返事なので、聞いた欧米諸外国はそのあまりにも夜郎自大な返事に呆れてモノが言えなくなったに違いない。


ある評論家は、度重なる失言から見える麻生氏の資質を『居酒屋での雑談のようなべらんめえ調子で話し、内輪話なら楽しく、座談の名手ともいえる。だが、「公私の区別をつけられない」と切り捨てる。吉田茂元首相を祖父に持ち、福岡の実家が財閥という出自も影響しているとする。恵まれた環境で育ち、発言を注意されたことがなかったのだろう。弱い立場にある人々への想像力が働いていない』と評している。


英語で「失言」のことを「gaffe」と表現する。この単語に出会う度に麻生氏の顔が浮かんで来る。上記評論家の見解によると、麻生氏の発言は失言ではなく本心であり本音である。


「政治家の発言に重みや迫力がなくなって久しい」という話を良く聞く。今回の麻生氏の発言は欧米諸国に改めてこれを認識させた結果になったようである。





一寸ガッカリ、NYタイムズのOp-Ed コラムの姿勢



NYタイムズにOp-ed のコラムがあり、毎号4~5件の論説がある。このコラムは、どの新聞にもある「社説」が新聞社の代表意見を述べているのに対し、社内でも別の意見を持つ論説委員の寄稿を紹介する署名入りの言わば少数意見コーナーであり、社外の評論家も含んでいる。一方に偏向しないジャーナリズムの姿勢を示すもので、どちらを支持するか読者の判断に委ねている。Opposite Editorial が語源で、今では米国の一流紙にもある。


そのNYタイムズ63日付のOp-Ed欄にトム・コットン上院議員の意見を電子版で掲載した。内容は、過剰な取り締まりで黒人を死亡させた警官の暴力と人種差別に抗議する全米各地に拡がった大規模なデモに対し、「軍隊を投入せよ」と題して「暴徒の集団には圧倒的な力の誇示が必要である」と主張するもので、トランプ大統領の主張と軌を一にするものであった。


NYタイムズはCNNと同様、反トランプ姿勢で、常々大統領からフェイク・ニュースの発生源と非難されている。今回の大規模デモ騒動に軍隊を投入するトランプ大統領に反対の論陣を張っていたが、Op-Edコラムでこれに相反するコットン論文を掲載したのは流石に報道の中立を守るものとNYタイムズの編集姿勢に敬服していた。


ところが、この記事の掲載は多くの読者や社内の猛烈な反発に遭い、抗議のため出社しなかった記者も出た他、社内の従業員の800人以上が寄稿には情報の誤りがあるとして強く非難する抗議文に署名する騒ぎとなった。


NYタイムズも当初は「Op-Ed欄は多様な見解が反映されるとして、寄稿の掲載は本来あるべき姿で正しい判断」としていたが、「主張内容はNYタイムズの基準を満たしておらず、掲載すべきでなかった」と後日謝罪と訂正記事を掲載し、2016年以来指揮をとっていたオピニオン面編集長が辞任し、副編集長が異動となった。


出典:BBCニュース電子版(こちら英文)


社説と相反する意見の紹介が主旨のOp-Ed欄であるが、テーマが現在全米を騒がしている抗議運動の中で、今回の寄稿者の『警察官が暴力の最前線で最も被害を受けている』という主張は裏付けがない誇張であるとの意見や編集部の付けた見出しの「軍隊を送り込め」は扇動的で一流紙として使われるべきでなかったとの指摘に動かされたようである。


Op-Edの主旨と社の主張との両立は、時には辣腕編集長を失う社としての損失という難しい問題を抱えている。







「丸投げ」は日本経済界の企業文化



新型コロナ対策として中小企業などに支払われる「持続化給付金」や需要が落ち込んだ観光や飲食産業を支援する「Go To キャンペーン」の事務事業が、次々と異なる企業に委託され、巨額の予算がその都度ピンハネされて渡り歩く実態が明らかになり、国会でも問題になっている。


この図式は、元請け・下請け・孫請け・曾孫請けと揶揄される建設業界の実態そのものである。元請けは、総合工事業者とか総合建設業者と呼ばれ、ウィキペディアによれば「各種の土木・建設工事を一式で発注者から直接請負い、工事全体の取りまとめを行う建設業者」とある。これが日本語の機微のある表現で、素直に読めば「注文を受けて工事を行う業者」と思ってしまうが、実際には自分で手を汚す工事はやらない。英語では「General Contractor(総合契約者)」で発注者から見て契約の相手側、判り易い表現である。つまりゼネコンと言われる。


土建業界だけでない。日本の大手メーカーも下請け・孫請けの裾野を持っている。自動車業界などロボットで組み上げるので如何にも自社で全てを一貫製造している印象があるが、ロボットで組み込む半製品や部品は下請けから調達している。


円高・ドル安が急激に進んだ30年前には、国産していると価格的に国際競争に勝てないため、メーカーは雪崩を打つように海外に生産拠点を移した。このためメーカーは技術指導のため工場技術者を海外に派遣したが、彼らは本社で製造経験がない。頻繁に日本の下請けに電話して製造技術の教えを乞うたと言う。ゼネコンもメーカーも手配師に過ぎないのである。


これが今回の「持続化給付金」や「Go To キャンペーン」にも反映している。しかも、元請けを決める時の入札に、政府の息のかかった実態のない組織が落札し、選定理由の公開を政府が拒否するお得意の隠蔽工作を展開している。野党の攻撃に、あまりの幼稚な手法が曝け出され計画を見直すお粗末な結果となった。


コロナ禍で困窮して救済を待っている人達への配慮は何もない。安倍政権は次から次へとお粗末な行政で疑惑の上塗りを重ねている。支持率の低下は当然の国民の意思表示である。



検察庁法改正案、国会での成立見送りへの原動力



検察幹部の定年延長を可能にする検察庁法改正案の今国会での成立見送りが決定された。元々、黒川元東京高検検事長を次の検事総長に据える目的で法の解釈変更を閣議決定したのが発端になっている。この曲解とも言える解釈変更を正当付けるための改正案だった。


その根源となった閣議決定の内容すら、その後の国会での安倍首相の説明まで法務大臣も官僚も知らなかったらしいという疑惑が残っている。つまりそれまでの法務省の解釈は首相説明と差異があり、以降の法務省関係者の答弁は以前と変化して首相説明に合わせたものになったり、森法相の国会答弁がしどろもどろになった事実でも推察される。極めつけは、閣議決定前に法務省で相談されたと言われる文書は、実は後から辻褄合わせに作成された疑いがあることである。


黒川検事長の定年延長を合法化するための検察庁法改正案が強引に国会審議入りされるとネットで、「#検察庁法改正案に抗議します。」タグ付きツイート数は1千万件近くに達した(ニュースウィーク日本語版)。これが現在の国民の大きな声として政府を動かしたとされている。


しかし、それ以上に政府にボディブローになったのは、何と言っても元検察トップらが「検察庁のあるべき姿に重大な影響を与える懸念がある」との意見書だろう。その全文は(こちら)にあるが、そこに至る経緯は毎日新聞デジタルの『ロッキード世代の意地、14人の怒れる元検事決起』に詳しい(こちら)。何しろ、ロッキード事件で当時の最高権力者の田中首相を逮捕まで漕ぎつけた猛者連の意見書である。現政権に影響を与えない筈はない。意見書は発起から提出まで僅か4日間、「国会採決が迫る中、時間との闘いだった」と緊迫した説明がある。


この談話の中で、「当初はもっとネームバリューのある人が新聞やテレビで反対を表明してくれることを期待した」とあるがどんな人のことだろう。「何十もの弁護士会が声を上げても検察関係者は黙ったまま」とあるので、検察庁の現役上層部が頭にあったに違いない。しかし、現役は自己の昇進や収入確保で家族を守る責任がある。つい殻に閉じこもりがちである。ロッキード世代に比べ人間が小さくなっている。そんな中での当時の検察のOBの声である。最も大きな力を及ぼした意見書であった。


安倍首相としても、当の黒川氏が表舞台から消えたので将来の検察総長構想は消滅した。ご本人も検察庁法改正にヤル気を失くしたのが国会成立見送りの最大の原因だったに違いない。




爆竹入りのパイナップルを食べた象が死亡(インド)


死亡象.jpg


インド・ケララ州で、胎児を宿していた象が爆竹入りのパイナップルを食べて死亡した。ニュースはSNSで広まり、インド全土から怒りの声が上がっている。


食べたパイナップルが口の中で爆発し、大怪我をした結果何も食べることが出来なくなって川の中で立ち尽くしている象を発見した救助隊が、別の象を連れて来て引き揚げようとしたが、傷ついた象は動こうともせず、発見されて4日後に救助隊の見守る中で死亡した。


当局では犯人を調査中だが意図的な犯行ではなく、農家の穀物を野生の猪や熊から守るために果物の中に爆竹を入れて追い払うために、普通に行われている防御対策である。


出典:CNNニュース(こちら英文)

象が傷ついた状態で川の中で発見されたのが523日。奇しくも、その1週間後の我が国で改正動物愛護法が施行された。ペットの殺傷や虐待の罰則を引き上げられ、加えて、人為的に傷つけられた疑いのある動物を診察した動物病院などの獣医師の通報義務も強化された。


私の周囲にはペットの虐待どころか、逆に過保護な状態を良く見る。毎朝のウォーキング中に出会う人の中で、散歩に連れ出した筈の犬を胸に抱えて、犬を散歩させず自分だけ散歩している人、毛がフサフサして見るからに暖かそうな胴の上から厚手の服を着せられたり、最近はコロナ対策でマスクをさせられて散歩している犬に良く出会う。こうなるとペット愛護というより虐待ではないかと思いたくなる。


また散歩中に、盛んに犬に話しかけている光景も良く目にする。犬に人間の言葉、それも日本語がどの程度理解出来るのか、結局は自己満足であり、癒して貰っているのは犬ではなく、犬に自分を癒して貰っているようなものである。


ペットは今では家族の一員である。我が家でも「飼っている」というと叱られる。「一緒に住んでいる」と言い、世帯主の私よりも大事にされている。


インドでの野生動物とは言え、非業の死にネット上で非難の声が上がり死を悼むのも似たような感情からからであろう。冒頭の写真に出ている人々の表情からも良く伺える。







大統領に反する意見が出せる米国閣僚




米中西部ミネソタ州で起きた白人警官による黒人男性拘束死事件の抗議デモの対応を巡り、エスパー米国防長官は3日、連邦政府の軍の投入に反対する意向を示した。トランプ米大統領は1日の演説で、場合によっては州兵だけでなく「軍も動員する」と強硬な姿勢を示していた。米軍関係者の間ではトランプ氏の発言に批判が高まっており、エスパー氏は国防総省トップとしての姿勢が注目されていた。

 エスパー氏は国防総省で記者会見を開き「現役の部隊を治安維持の役割で投入するのは最後の手段であるべきだ」と述べた。現在の抗議デモについて「今はそういう状況にはない」と指摘し「『反乱法』を発動することは支持しない」と明言した。 (後略)

6月4日付け毎日新聞デジタルよりの引用である(こちら)。

米国民やトランプ大統領の強烈な人種差別主義については改めて取り上げたいテーマだが、ここで言いたいのは独善的・独裁的な色合いの強いトランプ大統領の政権内で、自分の意見を自由に開陳出来る閣僚がいることである。

トランプ大統領は、就任後3年足らずの間に28人もの高官を更迭している(2019年10月末現在)。個人的に気に入らない人物とか自分の意見に反する発言をする高官を即座にクビにしている。その中で臆せず自己主張する閣僚がいることに言い知れない羨ましさを感じる。自分のクビより自身の主義主張を優先しているのである。安倍首相の顔色を窺いながら、意に反した迎合発言を続ける我が国の閣僚とは雲泥の差である。

この記事には、トランプにクビを切られた元高官の意見も続けている。

『米軍の投入に懸念を示す関係者は多く、マティス前国防長官は3日、米誌アトランティックに声明を寄せ「我々の都市を戦場と見なすいかなる考えも拒否しなければならない」と強調。「トランプ氏は私の人生で米国民を一つにまとめようとしない初めての大統領だ。代わりに我々を分断している。我々はトランプ氏抜きで一つにまとまることができる」と批判した』。

エスパー氏もマティス氏も我が国で言えば河野防衛相に相当する。河野氏に米国の両氏のような発言が出来るか。日本人なら誰に聞いても答えは「ノー」であろう。開放的な米国資質のトランプと陰険な安倍のどちらが怖いかの違いである。




コロナ禍で謹慎中の年寄りのスポーツが一部解禁



高齢者の手頃なスポーツとして推奨されている中でグラウンドゴルフがある。市体育協会所属のグラウンドゴルフ協会の公式行事がコロナ感染防止のため、417日より中止または延期となり、同時に同協会管理下にある河川敷の常設グラウンドゴルフ場も閉鎖されていた。これが昨63日より再開され、待ち兼ねていた多くのファンが詰めかけた。


グラウンドが閉鎖され、駐車場への入り口ゲートの柵が閉じられたとしてもそこは広大な河川敷である。車は入れないと言っても、自転車や徒歩では土手を降りればどこからでも入れる。それを防止するために、常設されていたスタートマットとホールポストは全て撤去され使用出来なくなっていた。


市協会の月1~2回の公式行事には、毎回200名を越える参加者があるため、広大な河川敷の中といっても、密集・密接が避けられないとして8月末までは引き続きまで中止されている。解放されたのは協会所属の各クラブの行事や個人の練習のためで、「二密」を避ける注意条件がついている。各クラブは例会が重ならないよう、日と時間を分けて分散して使用しているため、多いクラブでも最高30名内外だから心配は少ない。


私が所属するクラブは木曜日が定例例会日、2ヶ月半振りに元気な顔が集まった。グラウンドの掲示板を見ると、再開はしたものの厳格な規則が出ている。いずれも感染者が出た場合のトレースが可能な措置で、まず市外者の利用は禁止、利用者は協会登録バッジを付けた帽子着用やマスクをしてプレーすることが義務付けられている。協会員ではない例えば自治会の同好会の人達は登録バッジを持たないので、何等かの形で協会に通知し承認を得る必要がある。私の所属する自治会同好会員の中で協会員でない人がいるため、自治会同好会としての名札を作成し協会に登録する準備を始めている。


掲示板に記載の利用規定の中で、これからの暑さに向かって熱中症に注意するよう助言があり、プレー中も水分補給を欠かせないよう求められている。


マスク着用の義務があるが、暑さの中でのマスクは熱中症の危険があるとの専門家の意見もある上、マスクをしながら適宜水分補給を求められるなど物理的に矛盾する注意書きで、折角再開したグラウンドゴルフも結構難しいスポーツである。








時代劇衰退はジャニーズ系タレントが原因



子供の頃の日本映画と言えば時代劇一色だった。たまに家庭劇、ラブストーリーがあっても少数派だった。日本史を学ぶには学校の教科書より映画やテレビの時代劇の方が判り易いとも言われた。特に源平時代や戦国時代、幕末の歴史はこの傾向が強かった。


時代劇は歴史物語だけではない。鞍馬天狗や丹下左膳などのノンフィクションの名作が多い。各地を回る大衆芸能の一座も多くのファンを集めた。今でも「必殺仕掛人」など、時代を経るに従って主役の俳優が変わっても人気のドラマがある。


テレビのBS放送でも、時代劇専門のチャンネルがある。テレビと言えば無料で見られる特典があるにも関わらず、時代劇専門チャンネルは有料である。金を払っても見たいという客層が多い。特に高齢者に多いと言われる。


その時代劇がテレビ番組でも最近とみに少なくなった。時代劇は新番組を編成するにせよ、費用が嵩むことにあるが、理由はその他に主役を務める俳優に問題があると私は見ている。その思いを強くしたのは、NHKの大河ドラマ「新選組」を見てからであった。それまで私は大河ドラマファンで毎年欠かさず見ていたが、以降はガッカリして見なくなった。


理由は明白である。最近持て囃されているタレントはすべからく「草食系」で、時代劇の主役には不向きなのである。近藤勇や織田信長が男らしさに欠ける色白のジャニーズ系では勤まる筈がない。加えて、最近のタレントは脚が長い。代々の時代劇の主役は容貌や態度は男らしいが、脚が短いのが共通点であった。大河内伝次郎、片岡千恵蔵、坂東妻三郎、市川右太衛門、嵐寛寿郎などはおしなべて脚短かであった。袴を両手で抓んで走る姿は足短かでないとサマにならない。


時代劇ファンにはこんな固定観念がある。かっての主役の容貌や振る舞いが時代劇のイメージとして定着している層には、ハンサムで色白の現代の土方歳三には幻滅を感じるのである。


今、時代劇が衰退気味の一因は、「草食系」タレントが主役を務める学芸会のような雰囲気にある。


#プリンター・インクは血液より高い



このブログ・ページでは何回となく取り上げた。不当なプリンター・インクの価格のことである。価格高だけではなく法律違反の疑いすらあるのに、ネット上では不満が蔓延しているにも関わらず社会問題として取り上げられていない。


同じテーマを何回も取り上げるのは能のない話であるが、徒然草にも「同じ事、また今更に言わじともあらず。おぼしきこと言わぬは腹ふくるるのわざなれば・・・」(同じ事を何回も書いてはいけないとの掟はなく、思ったことを言わないと腹が膨れて窒息してしまう)とあり、何回取り上げても構わないと今のブログを先取りした意見を述べている。これに勇気づけられてまたプリンター・インクの不埒さを取り上げる。


ネット上に飛び交っている意見は、プリンター・インクの価格は血液より高いと、実際に調査した実数を挙げている人が何人かいる。そのデータを借用すれば、プリンター・インク1g当たり68円と血液38円の2倍近い。別の人の調べでは1mℓ当たりの価格はエプソン純正インク147.60円、ブラザーインク純正124.80円HPインク純正121.90円、に対し、男性育毛剤81.70円、女性用化粧水70円、血液43.20円、香水33円、プレミアム焼酎16.60円、ハイオク・ガソリン0.20円とある。


プリンター・インクの価格だけでなく、法律に違反しているという根拠は、どのメーカーのインクカートリッジも容量が表示されていないという家庭用品品質表示法、電気機械器具品質表示法に違反している点にある。前記のインク価格を調査した人達は、高価なカートリッジの新品を自分で解体して容量を測定したと記述している。またある人の調査では、同じカートリッジでも3年後には20%減っていたとのデータもある。品質表示法の規定に関わらず容量を明示していないことを良いことにして、人知れず容量を誤魔化している。


それだけでない。プリンター・インクは書類などのモノクロ印刷でもカラーのインクを消費する設計になっているし、プリンターの電源を入れた時、電源を切った時にもプリンターヘッドのクリーニングを名目にインクを消耗する設計になっている。


こうなると、プリンター・インク商法は一種の詐欺である。私はスマホを持っていないのでツイッターやFacebookはやらないが、もし「#プリンター・インクは血液より高い」とハッシュタグを立てれば、フォローする人は多いと思う。


私もプリンターを2台持っているが、20枚以上の複写をする場合はスーパーやコンビニを利用している。その方が経済的であり、加えてA4原稿を2枚横に並べてA3用紙にプリントすればA4一枚当たりの料金は半額になる。




議事録は歴史の語り部



今に伝えられる歴史は、それが世界史であれ日本史であれ、今に残された古文書や歴史家・文学者の著作などの記録から編纂されている。巌や洞窟に刻まれて残された記録もある。企業ホームページには必ず登場する会社の沿革などは、創業以来書き継がれた日誌や製造・販売記録などを資料にまとめられたもので、その中には各種議事録もある。


私は新入社員の若造の頃から、何故か議事録作成者に指名された。私が日頃本ばかり読んでいるので文章作成の表現に慣れているだろうと押し付けられた可能性がある。私がその後組合活動に首を突っ込んだ時、工場内の工場長や管理職と労組の職場支部とのいわゆる「経営協議会」のメンバーとなった時も書記役として議事録作成を任された。


これを契機に、専門家による議事録作成講座やセミナーに参加して議事録の性格や作成方法を勉強した。その後、管理職に転身してもことある毎に議事録作成に参画し数多くの経験を重ねている。定年後老年になった今も、グラウンドゴルフなど趣味のクラブの総会などで議事録を書かされている。


今のように会議の席上にノートパソコンを持ち込んで記録する様式以前からの経験であるため、議事録はまず速記録作成から始める。今は忘れてしまったが、組合活動時代は早稲田式速記法というミミズのような記号を習得して応用したことがある。


その議事録であるが、速記録でないため見易すさが優先され、議決された結論のみを記録するのが主目的である。いちいち発言者名を記載するのは良くないとされている。発言者より発言内容が重要なのである。


コロナ専門家会議の議事録が作成されていなかったことが問題になっている。政府は「委員に自由闊達な議論をして貰うため議事録を作る予定はない」と開き直っている。これは議事録を作成しない理由にならない。議事録がなければ具体的な政策決定過程が検証出来なくなる。


ところが奇妙なことに、当の専門家会議の構成メンバーは「名前を出すのは全然問題ない。政府への提出した提言書には詳しく記載している」と話している(こちら)。


今の政府は「隠蔽内閣」と言われ、何かにつけて隠したい、折角作成した文書も廃棄したり改竄して真実を隠してしまう。コロナ専門家会議の議論の内容も専門家が開示に消極的なのではなく、政府が国民に知らせたくないのである。


将来、日本の歴史は安倍内閣時代を「空白の時代」として、検証する資料不在と非難される。それだけではない。国民は何の行動も起こさなかった無気力の時代とされるに違いない。