日本語の変遷



言葉というものは時代と共に変わるのは洋の東西を問わず同じである。「源氏物語」や「枕草子」の中の表現が現代人では理解出来ないのと同様、シェイクスピアの英語は現代英語とは発音や表現が格段に変わっている。言葉とは時代の変遷と共に変わるものである。ただ、前者は全くどうしようもないほど変わり果てているが、後者は日本の時代劇や歌舞伎のセリフ程度の違いで、慣れれば問題ないと西欧人から聞いたことがある。


現代日本語も、新聞界など言論世界で正当な日本語表現を頑なに守っている分野もあるが、テレビやSNSでこれを否定し、新たな表現を追うことに興味を覚える輩が多い。我々日本語を話す人種で日本語文法に拘泥する層は殆どいなくなったが、それでも中学・高校などで必須科目として習得している。その若者たちが、教室を離れれば日本語文法を否定する新しい表現を駆使している。


我々の年代で最初に違和感を覚えたのは「ら抜き言葉」だった。恐らくテレビの影響が大きかったと思うが、今では一流新聞の記事にも表れている。流石にニュース記事には各社の規準があって使われないが、評論家や世論の言葉をそのまま引用する場合、「見られない」とすべきところを「見れない」とする表現が定着している。テレビの富士写真のCMの「写ルンです」から来たのか、TVキャスターが「~するのです」というべきところを「~すルンです」と言っても違和感を覚えない程浸透している。


「赤い」とか「小さい」など「い」が付く言葉はすべからく形容詞であると習った。ところが今の若者言葉で顕著なのはこの「い」がない。「速い」というべきところを「速っ!」と言う。高い山を見上げて「高っ!」、スローモーな動きを見て「遅っ!」、美味いと感じると「旨っ!」と言う。


今や「い」と付けば形容詞という日本語文法では説明がつかなくなっている。では「黄色い」とか「可愛い」などはどう表現すれば良いのだろうか。





ガラパゴス島沖合に中国漁船の大群



南米エクアドル海軍は、世界自然遺産のガラパゴス諸島沖合に、中国漁船団約260隻の大群が現れて操業しているのを発見、エクアドルの排他的経済地域に入り込まないよう警戒を強めている。


2017年には中国漁船1隻を拿捕し取り調べたところ、船内からは絶滅が危惧されているシュモクザメを含む約6600匹が見つかった。殆どがフカヒレ目的のサメだった。この先例があるためエクアドル海軍は、今回現れた中国漁船団の動きに神経を尖らせている。彼らは毎年定期的に出現するが、本件に関する中国政府の公式コメントはない。あくまで、公海上で合法的だとの立場である。


ガラパゴス諸島海域は豊かな漁場であると同時に、地球にとっても生命の宝庫で、国際的にも種の保全の重要性が叫ばれている。今回の警告は中国政府に乱獲しないよう自制を求めた形だが、同時に中南米の他の太平洋沿岸諸国であるコロンビア、ペルー、チリ、パナマ、コスタリカなどに中国漁船群の“脅威”に注意するよう呼びかけた。


出典:BBCニュース(こちら英文)


中南米沖まではるばる出かけるのは何も中国だけではない。日本のマグロ遠洋漁業も毎年ペルー沖まで出かける。リマ市に日本料理店が6店あるがその内、一世の日本人板前が経営しているのか一軒だけあり、「レストラン・フジ」と呼ばれていた。他の店は日本料理と言っても何となくペルーの香りが漂っていたが、この店だけは静岡県富士市出身のマスターがカウンターの対面で寿司を握る純粋の日本料理だった。それだけに、リマ駐在の日本人社員達に人気があった。


この店に毎年日本から来たマグロ船の船長が、カヤオ港から取り立てのマグロを一匹、トラックに載せて寄贈する習慣があった。マグロの解体も公開はしなかったが、店内で主人と一緒に乗組員が行い、店の常連にはお披露目をする日を予告してくれた。普通、日本で食べるのは冷凍マグロを解氷したものであるが、「レストラン・フジ」で供されるのは文字通り「トレトレ」で何とも言えない柔らかさと新鮮な香りさえ楽しめた。加えて、値段も夢のような安さだった。懐かしい想い出である。(オット、この話はエクアドルでの中国漁船密漁疑いとは全く関係がない)。



視覚障碍者がホームから転落死



今月27日午後、東京のJR総武線阿佐ヶ谷駅で視覚障碍者(51)が一人でホームの線路沿いを白杖をついて歩行中、足を踏み外して転落し、進入して来た電車と接触して死亡する事件があった。悲報を聞いた妻は「ホームドアがあれば」と悔やんだとのニュースが出ている(毎日新聞デジタルこちら)。


コロナ渦中とは言え東京は人出が多い。特に時刻は白昼午後3時前だったというから、ホームにはそれ相当の人混みがあったと予想される。電車が入線して来る時刻にホームの線路際を白い杖を突いて歩いている視覚障碍者を見て、誰も声を掛けなかったのか、ご本人の後ろから肘を添えてホームの中程に誘導する人はいなかったのか、「混雑の中でもお互いに疎遠な東京人」と言われる光景が目に浮かぶ。


ホームドアが叫ばれて徐々に実施され始めたのは、ほんのこの数十年の間である。それまでは、ほぼ百年近くもホームには柵がなかった。視覚障碍者や走り回る子供がいなかった訳ではない。それでもホームをかすめて通過する特急列車や貨物列車から、周囲には自ずから弱者を守る社会ルールが存在していた。


新幹線が開業して暫くの間でも通過駅に柵はなかった。最高時速200kmを超える列車が、スピードを落とさずに通過するのは流石に危険と各駅に順次ホームドアが設置された歴史は決して古くはない。1974年に通過退避線路のない新幹線熱海駅が初めてという記録がある。在来線や私鉄・地下鉄にも混雑する駅には順次、ホームドアが設置されている。時を同じくして、スマホが普及し「歩きスマホ」で前方を見ないで歩き、スマホに熱中してホームで衝突して二人とも線路に落ちて列車に轢かれて死亡する事件も多発した。ホームドアはこんな不埒な行動を予防する効果を生んだ。


ホームドアはこんな変遷を経ているが、同時に隣人同士の配慮が希薄或いは無視の社会を生んでいる。


かって私が海外出張中、オランダのロッテルダムからアントワープを経てパリまで列車で移動したことがある。途中、ブラッセルで下車したが、欧州の各駅は殆どがプラットホームすらないのを目撃した。日本の市街電車の停留所程度の低い乗降場所を急行列車が通過する。それでも危険を回避する市民の習慣が根付いていた。かっての日本と同様である。


プラットホームでの危険は、ホームドアがなくても市民の協力で回避可能なのである。






感染者急騰の中で「弱り目に祟り目」



「弱り目に祟り目」という言葉がある。「悪い状況に更に悪い状況が重なる」という意味だが、日本語とは表現力豊かである。余程、腹に据えかねると見えて、似たような言葉が沢山ある。一寸頭に浮かぶだけで、「踏んだり蹴ったり」、「泣き面に蜂」、「ダブルパンチを喰らう」、「虎口を逃れて竜穴に入る」、「一難去ってまた一難」など。


世界の国の中でも、爆発的にコロナ感染症や死者を出し、ロックアウトで閉じ込まれている米国で、今年初めての大型ハリケーン「ハンナ」がカリブ海よりテキサス州に上陸した。幸いにして上陸と同時に、当初の予想より勢力が弱まったが、それでも最大風速23m、高潮や土砂降りの豪雨のため各所で浸水被害が発生、海岸の船舶が沖合に流されるなど大きな被害が出た。「ハンナ」は上陸後、メキシコとの国境沿いを北上し、今後も更なる大雨が予想されている。


ある病院では、医師と看護師が夜を徹して患者を治療中、雨水が天井から壁を伝って流れ込んだり、コロナ菌拡散を防ぐために減圧措置を講じたばかりの通風孔から浸水して床が水浸しになった被害も報告されている。「抑えねばならないのはコロナ菌蔓延でけでなく、病室への浸水で、電気も来なくなった中で行わねばならない」と医師は話す。


コロナ感染者を収容している医療施設では、入院患者をヘリコプターで引き上げて内陸の大病院に搬送を続けているが、いずこも収容能力限度一杯で、搬送先確保に苦慮している。


この騒ぎの中で、ハワイにもハリケーン「ダグラス」が真珠湾付近を襲撃したが、幸いにも人的被害は報告されていない。


出典:クリスチャン・サイエンス・モニター(こちら英文)


まさに「踏んだり蹴ったり」の騒ぎが記事から窺えるが、明日は我が身である。長い梅雨が明けてもコロナは収まることなく、そのまま台風シーズンが到来する。一昨日、米国を襲った二つのハリケーンの結果を参考に我々も備えを怠らない覚悟が必要である。





古ぼけた記憶の隅から掘り出された名前


De_Havilland.jpg

不謹慎な表現だが、「あの人はまだ生きていたのか」と思わせる人達の名前を折に触れて耳にする。特に、自分の少年時代に好みだった歌手や俳優に多い。外国映画や軽音楽が津波のように日本に押し寄せた時代、それに熱狂した時に耳にし、スクリーンで見て印象に残っている名前である。今日のニュースで目にした名前は、オリヴィア・デ・ハヴィランドである。


米国の女優で、一昨日の7月25日に104才で老衰のため亡くなったとの速報をネットで接した。この女優の名が印象に残っている理由は、私が中学生の頃、友人と良く京都市内の二番館や三番館に出かけたことがある。お目当ては洋画で、西部劇や中世の騎士が活躍する活劇が多かった。


その時の私のファンだった男優にエロール・フリンがいた。鼻の下に八字髭を蓄えた二枚目で、西部劇の騎兵隊やフェンシングでやり合う騎士の役が良く似合った。今でも覚えている題名は、「海賊ブラッド」、「ロビンフッドの冒険」、「壮烈第七騎兵隊」、「進め龍騎兵」などがある。これらの作品に登場する相手役の女優はいつもオリヴィア・デ・ハヴィランドだったので、遂その名前と顔も覚えてしまった。その彼女が後年見た映画、「風と共に去りぬ」に出て来た時は胸が躍ったのを覚えている。演技もアカデミー助演賞にノミネートされる程の名演だった。


オリヴィアは当時、美人女優ともてはやされたヴィヴィアン・リーやエリザベス・テーラーのような卓越した美女ではない。また美人に良く感じられる表情の冷たさもない。むしろ、普通に見られる家庭的な女性で、同年代のジューン・アリスン(「グレンミラー物語」に登場)タイプのほのぼのとした温か味を感じさせる容貌である。


「風と共に去りぬ」を見て以来、彼女の映画を観ることはなく、半世紀以上の時が経っているので、とっくの昔に故人になっていると思っていた。


今回の訃報に接し、改めてWikipediaで調べると、舞台女優でもあり映画の主演を務めた上、ハリウッドの改革にも関与した活動家であることを初めて知らされた。


少年時代のファンがまた他界したが、恐らく私の記憶の中の最長老だろう。今日のNYタイムズ訃報欄には、『「風と共に去りぬ」登場者の最後の生き残り』とあった。




国会での質疑答弁はメモの朗読会


国会は「言論の府」と言われ、侃々諤々の論議を展開する立法機関である。憲法第51条にもそうあるべきと規定されている。にも拘わらず、テレビで本会議や予算委員会の中継を見ていると、質問する方も答弁する方も、下を向いて事前に用意された紙を読むだけの朗読会である。お互いに目を合わせて、場合によっては指差しして議論する場所になっていない。


何故こんな状態になったか、どうすれば良いのかを官僚と議員の両方を経験した松井孝治元官房副長官の話をまとめた記事がある(こちら)。一方に偏らない、目から鱗の明快な解説と提案で、与野党議員も国民も一読すべき内容である。


我々身近の老人会、同好会、同窓会でも総会を開催する場合、「会員の2/3以上の出席をもって成立する」と規約の冒頭に規定されている。これと同様国会も「定足数」の厳格な考え方があるという。定足割れをすると審議がストップされるから、各党の国対委員から質疑に参加しなくても出席を強要される。


「質疑に参加しなくても」との言葉は言論の府ではオカシナ表現だが、実は与党による法案の「事前審査」の制度があり、与党はこの場で「ああでもない、こうでもない」と白熱の討議が展開される。こうして完成された法案が国会に提出されるので、与党議員は改めて国会で議論する必要はない。


一方、野党は法案が国会に提出されて初めて内容を知ることになるが、議会の過半数を既に議論を尽くた与党が占めている限り、どんなより良い改定案を出しても通らず、法案の中身は変わらない。勢い法案と関係ない質問を続けるため国会審議は時間潰しの場となる。


質問と答弁が前以って準備されているので、国会とはその脚本通りに進める儀式の場となっている。「言論の府」などどこかへ飛んでいる。従って、出席議員は何もすることがないので、議会で推理小説を読んだり、スマホで蛇と鰐の格闘の動画を見て時間を潰すことになる。


かって、上西小百合議員が議会をサボッテ秘書と不倫旅行をして問題になったが、根源はこんな議会運営にある。国会は単なるセレモニーの場に過ぎないことを良く知っているのは安倍首相である。首相が国会を開催したくないという気持ちは、こんな国会運営のバカバカしさを一番良く知っているからに違いない。これが民主国家日本の姿である。






「帰れ」と言った時代と「帰るな」という時代



全国的にコロナ感染者が増え続ける中、岩手県だけが全国ただ1県、いまだに感染者ゼロが続いている。連続記録を更新し続けることは、スポーツなど勝負の世界でも判るように、反って重圧になる。岩手県では、「第1号になりたくない」、「最初の感染者を出したくない」と他府県に住む肉親にも「絶対帰るな」と呼び掛けているという。


本日の毎日新聞朝刊が伝えた(こちら)。「岩手1号になるとニュースだけではすまない」として「帰省した子が感染していたら、田舎では直ぐに噂が広まり何が起こるか判らない」という。未婚の妹が嫁に行けないとの切実な心配もあるらしい。事実、今日別のネットニュースでは長野県で長野銀行の職員が感染したことを公表したら、銀行の窓ガラスが割られたと報じられている。


この記事を読んで、忽然と50年前に大ヒットした下記の二つの歌謡曲が脳裏に浮かび出た。青木光一の「早く帰ってコ」と松村和子の「帰って来いよ」である。


一つは、青木光一の「早く帰ってコ」

『♪おふくろも 親爺も みんな達者だぜ

炉端囲んで いつかいつしか東京の

お前達二人の話に 昨夜も更けたよ

早くコ 早くコ 田舎に帰ってコ

東京ばかりが なんで良いものか』



もう一つは、松村和子の「帰って来いよ」

『♪きっと帰って来るんだと

お岩木山で手を振れば

あの娘は小さくうなずいた

茜の空で誓った恋を

東京暮らしで忘れたか

帰って来いよ 帰って来いよ 帰って来いよ



田舎の生活は苦しい。多数の若者が東京に仕事を求めて雪崩れるように移動した時代である。二つの唄に共通しているのはメロディの明るさだが、その奥底から何とも言えない寂しい気分が滲み出ていることである。


田舎に残った者は、すべからく東京に行った肉親に逢いたい、帰って来て欲しかったのである。歌詞の中で、「帰れ、帰れ」と絶叫している。ところがコロナ時代の今は、「帰るな」と叫んでいるのである。どんな悲痛な思いで叫んでいるのか、想像するだけで胸が痛くなる。





Go To初日とコロナ新規感染者数



『新型コロナウイルスの感染者は22日、全国で新たに795人が確認され、毎日新聞のまとめで1日当たり最も多かった694人(4月11日)を101人上回った。大阪府で121人となって過去最多を更新するなど都市部を中心に増加が目立っている。国が進める旅行需要喚起策「Go To トラベル」事業が始まった22日に過去最多の感染が確認される事態となった』。今朝の毎日新聞朝刊一面トップ記事の出だしである。


ザット流し読みすると、「Go To トラベル事業が始まったと同時に感染者が過去最多となった」と理解されそうな記事である。尤も、そこは一流紙でそうは言い切っていない。「その日に感染した」のではなく、「感染が確認される事態」と正しく報道している。この二つの表現は同じ意味ではない。


感染者が確認されるのは感染した日に検査して4日後と聞かされている。これが正しければ、日々発表される感染者数は、実は4日前に発症していたものである。ここにタイムラグとも言われる時間のズレがある。Go To トラベル実施と共に出発した旅行者がまだ目的地に着かないのに「Go To トラベルが始まったから感染者数が鰻上りに増えた」のは理屈に合わない。


Go To トラベル実施直前に政府の対応が二転三転した迷走ぶりがあった。これに伴って国民の意見も推進派と一時見合わせ派に二分されている。報道各社の論調も同じく二つに分かれている。前記毎日新聞記事の見出しは「新型コロナ Go To 初日 新規感染、 最多795人 大阪121人、埼玉62人」との大見出しである。どう見てもGo To トラベルの精と言いたげな態度が透けて見える。


Go To トラベル見切り発車のウラに、二階幹事長・菅官房長官陣営に「Go Toキャンペン受託団体から4200万円献金」との文春スクープがある。また政府の二転三転の対策は誰がどんな場で決められたかの経緯の説明がない。コロナ対策で各国首脳が連日表舞台に出て対策を発表しているのに、我が安倍首相はこの一ヵ月以上完全巣籠りで公けの前に出て来ない。


こんな状況では毎日新聞が「感染者激増はGo To トラベルの精」と言いたくなるのも判る気がする。





今日読み始めた本―「戦争と平和」



今日読み始めた本:


『戦争と平和』 レフ・トルストイ 中村白葉 訳 

 河出書房 昭和30年11月発行


いつもこの梓川河童のページで取り上げて来た「今日読み終わった本」ではない。「読み始めた本」である。この世界の大作を読み始めた日を記録するための投稿である。


尤も、この齢になって初めて読む訳ではない。中学生の頃から京都の丸太町通りや京大の南門向かいの古本屋に足繁く通って河出書房の世界文学全集を片っ端から買って読んだ本の一つである。我が家の書棚にズラリと並んだ全集は壮観ですらあったが、転居を繰り返す内に大部分を処分し、一生の内にもう一度読むために敢えて残したのが本書と「ジャンクリストフ」の夫々上下巻だった。


本書を読んだのが中学三年生の時と記憶している。実に65年振りに箱入り菊版の分厚い本を取り出した。表紙を開くと「世界文全集」とか「中村白葉」などの旧活字が目に付く。やおら読み出すと、旧ロシア貴族の社交界での語らいから始まっている。胸を躍らせて読んだ若い頃が鮮やかに蘇って来るが、ストーリーは断片的にしか覚えていない。今回読み始めて当時受けた感動とは別の新しい発見が出て来る予兆が感じられる。


ストーリーそのものは間違いなく面白いものであるとの期待は、決して外れるものではないことは明らかである。それだけにズッシリと重い本書を手にするだけで、物理的な重さ以外の文学的な豊かさを覚える。


この長編を我が生涯の期間中に読み切れるかだが、予想される難事業はこの物語の長さではない。今まで名だたる長編小説は数々読んで、その長さ故に挫折したことがないのが自慢である。問題は物語の長さではなく、本書の菊版三段組みの活字の小ささである。こんな小さな字を当たり前のように抵抗なく読めた若い頃が羨ましい。


従って、本書に対する挑戦はその小さな字を如何に克服するかである。間違いなく読むスピードに影響し、勢い時間がかかる難事業となる。従って、本書と平行して他の本も読み進めることになる。結果としてこの「戦争と平和」上下2巻がいつ読み切れるかは判らない。





酷暑を乗り切る食べ物、ウナギ?


今日と来月8月2日は土用の丑の日。年を通じて一番暑い日に巡り合わせるので、この日はウナギを食べて精力をつけ暑さを乗り切ろうとする習慣があった。しかし、昨今は価格高で庶民の手に届かないレベルにある。ところが同じ暑さ乗り切り食としてお隣韓国ではもっと簡単に手に入る食材を持っている。


7月16日は、韓国で三日連続の「犬の肉を食べる日」の初日だった。同国の伝統的な年中行事で、この日前後は韓国でも最も暑い日が続くとされ、多くの人達はこの日に犬の肉や鶏のスープを飲むと暑さを克服する力が付くと信じている。


先週のこの日にソールで10人の活動家が、「世界に食用の犬は存在しない」と伝統の習慣に抗議する集会を行い、今まで犠牲になった犬を弔う葬儀が行われた。同時に「犬の肉を食べるのは止めよう」と大書したプラカードを掲げて気勢を上げた。


韓国では、犬の肉を食べるのは合法ではないが、と言って法律で明確には禁止されていない。昔ながらの犬肉を提供するレストランや精肉販売店が営業を続け、根強い需要がある。最近の若い世代からそっぽを向かれて、この業界も徐々に縮小傾向にあり、国民の約80%は犬の肉を食べないと昨年の調査結果もある。ただ、益々廃れていくこの業界にも多くの人が信用している強力な謳い文句がある。「犬の肉を食べるとスタミナが付いて性的な精力が漲って来る」。


出典:abcニュース(こちら英文)


私が中学生の時、同級に在日朝鮮人の友人がいた。北か南かを詮索する気持ちもなく、その必要性も全くないクラスの中でも平等な付き合いだった。差別をがなり立てていたのは大人達だったが、我々の耳には届かなかった。その友人が言うには、犬肉は常食だった。そのためか、在日の人達の目尻にいつもヤニが溜まると言っていた。目ヤニが付いている人を見たら半島からの人と思って良いと教えてくれた。


犬の肉をどのように調理して、どんなメニューで食べるのかを聞く気持ちも起らなかった。気持ちが悪かったのである。しかし、後年外国の人と広く付き合った中でスペインからの来客が、夜食に「エビの踊り」の接待を受けて見ただけで気分が悪くなり、何も食べずにホテルに逃げ帰ったとの話を聞いたことがある。国による食文化の違いである。





日本ならではの文化、「貰い水」



今日の毎日新聞の「余禄」に、使い捨てペットボトルを無くするために、マイボトル携行を推奨する一文がある。香川県など一部自治体でその運動を応援するため、県挙げて飲料の湯水を見知らぬ人にも提供する取り組みを紹介している。「空気と水はタダ」が当たり前の言葉として使われている日本ならではの話と思いながら読んだ。


京都に住んでいる時は、広沢の池の近くの嵯峨に家があった。徒歩15分程の場所に嵯峨釈迦堂があり、隣接して「森嘉」という嵯峨豆腐の老舗がある。市販の豆腐の2倍はする高級豆腐で、近隣の嵯峨豆腐料亭だけでなく一般にも供給している。朝早くから行列が出来る人気で、店の前に水道栓が建っている。京都水道局の水道ではなく、良質の冷たい地下水が湧出し、嵯峨豆腐はこの豊富な名水を使って作られる。この路上に立っている水道栓も、近所の人達が無料で自由に汲めるので、私も大きなボトルを両手に頻繁に汲みに行ったことがある。名水をタダで提供してくれていたのである。昔からこんな地方文化があった。


出張で海外に良く出かけて驚いたのは、殆どの国でタダの筈の飲料水がカネを払う必要があったことである。特に水道水が硬水の欧州では、蛇口から出る水は飲料に適さない。ドイツなどでは、ビールより炭酸水の方が高価だった。今でも変わらないと思う。


ペルーのリマに住んでいた時は、家の中に大きな陶器製の水甕が設置してあり、水道水で満たしておく。下の方に蛇口があり、濾過された水を取り出す。それをヤカンや鍋に入れて煮沸し、冷ましてから飲むという面倒な手続きが必要だった。アンデスの鉱山から流れ落ちる川の水は重金属がふんだんに含まれているからである。それでも現地の人は公園に設置の水道栓に口を当ててジカに飲んでいる姿を何回も見た。


いろんな国に行ったが、ホテルの水道水がそのまま飲めた国は知らない。お隣の韓国でも、飲料水は買った方が良いとの助言を受けた。


我が日本は、豪雨水害で生活が悩まされることはあるが、飲料水は無料で手に入る世界でも稀有な国なのである。




レトロ文房具の仲間入り


鉛筆削り(3).JPG

我が家には上掲のような手動式鉛筆削り器がまだ現役で、いつでも取り出せる場所に置いてある。しかし、最近は滅多に文字を書くことはなく、たまにメモをするとかカレンダーの予定表に書き込む場合はボールペンやシャープペン、マジックペンが主流で鉛筆の出番が少なく、従って鉛筆削りを使うことは殆どない。


スーパーの文房具売り場などで見かける鉛筆削りは最近は電動式のものが多く、写真のような手回しの機械式は殆ど見かけない。以前、統一地方選挙の時に頼まれて、投票所で立会人を務めたことがあった。投票に来る人波が途絶えた頃を見計らって、選挙管理委員会の女性が票を記入する場所に置いてある鉛筆を、携帯鉛筆削り器で尖らしに回っていたのを見て、ここまで技術が発展しているのかと驚いたことがある。電池式なのか充電式なのか、また削り屑がどこに溜まるのかを聞くのを忘れた。


ここまで便利な文房具が登場すると、手持ちの手回し式はもう黒電話の世界である。今の小学生の中には知らない生徒もいるかも知れない。


しかし、我々が小学生の頃は、こんな便利な手回しの機械式はなかった。誰もの筆箱に入っている鉛筆削りと言えば「肥後守」と称する折り畳み式ナイフで、刃の背を親指で押して削っていた。友人の中には「肥後守」を起用に使う者がいて、鉛筆の先端の削った木の部分の幅が見事に同じ幅で、削り跡も芸術的に整うような技術を持っていた。


また、戦後の物資不足とあって、「如何に鉛筆を短くなるまで削るか」を競争したこともある。残り1cm位まで削り込むと鉛筆を握れず文字を書くことも出来なくなるが、鉛筆と同じデザインで先にアルミの金具がついて短い鉛筆でも保持する文房具すらあった。従って、新品の場合は長かったトンボ鉛筆でも殆ど使い切っていたのである。


手回し式鉛筆削り器はここまで短くなると使えない。精々5cm位までが限度だろう。今はレトロの仲間入りをしたと言っても、残り1cmまで削り込んだ我々の時代から見れば贅沢な文房具なのである。






ジョニーウォーカーが紙製容器入りになる



200年の歴史を持つスコッチウィスキーの名門、ジョニーウォーカーが2021年より紙製の容器に入れて販売される。従来、四角いガラス瓶で売られて来たのを、地球環境保全に配慮した措置で、他の一部酒類に取り入れられているプラスティック容器は採用する考えはないと発表した。


ガラス瓶は新たなガラス製に再生可能だが、製造過程でエネルギーを消費し、大量の二酸化炭素を排出する難点がある。


ジョニーウォーカーだけでなく、他の酒類のメーカーも、例えばビールの大手カールスバーグも紙製ボトルの開発に着手、また一部ワイン業者も既に紙製ボトルで市場に供給している。


一方、コカ・コーラは現在の使い捨てペットボトルに根強い需要があるので、当面継続の意思表示をしている。


紙は液体には弱く、そのまま使うと液漏れの懸念があるが、現在市場に出回っている紙製パックは内側をプラスティックでコーティングして水漏れを防いでいるが、これでは脱プラ運動に反するので、ジョニーウォーカーはボトルの内側にコート剤を塗布してボトルと内容物が直接触れないようにするという。


出典:BBCニュース(こちら英文)


上等のウィスキーを飲む場合、ガラス瓶の蓋を開けて最初にグラスに注ぐ時に聞こえるトクトクトクと言う音色は、この世のものと思われない何とも言えない美しい響きで、思わず目を大きく見開き、生唾を呑込む程の感動がある。紙製ボトルになるとこの緊張感がなくなると思うと寂しくなる。


とは言うものの、我が晩酌時には紙製ボトルに入ったワインや焼酎が既にテーブルの上に登場しているので、後は慣れの問題であろう。大事なのは容器でなく、あくまでその中身なのである。



党名なんかにこだわっている時か?


安倍政権をここまで長続きさせた責任は野党にあるとは良く言われる話で、恐らく最も的を得た見方だろう。相次ぐ不祥事で除名されたり、離党させられた議員の殆どが自民党員で、議員の劣化とか資質に疑問が評されているが、この点では野党議員も同様である。


人間は一人一人個性が異なり考え方も違う。お多福飴のように均一ではない。人間社会はそれらの多様な人達の集合体である。にも拘わらず、野党が今のように分裂し、二大政党制が実現しないのは、小グループでも個々のお山の大将になって組織をリードしたい、目立ちたいという無意味な競争原理、自己顕示の仕業に違いない。


現在の自民党も一見、結束が強そうだが決して一枚岩ではない。7つの派閥の集合体で、それぞれ政策や見解が微妙に違っている。一つの派閥とは党のようなもので、7つの党が政権担当の名の下に参集して、絶対多数を形成するための「数稼ぎ」の団体である。事実、現在7つの派閥の領袖の中で二階幹事長や石破議員などは、一時自民党を離れたものの再び復党して来たものである。


これら派閥間の意見の違いに比べると、立憲民主党や国民民主党の主張の方がより近いものがある。自民党のように一つになってN党などその他の小野党を糾合し、内部で派閥を作っても良い。


その動きが今、立憲民主党と国民民主党の間で協議が進んでいる。両党の役員会では、双方を解党して合流し新党を結成する方向で話が進んでいる。そこで今障害となっているのは、「消費税」に関する主張でも「憲法」についての見解の違いなど政策上の調整ではない。ナント新党の名をどうしようかという次元の低い問題らしい。


今、安倍政権崩壊の兆しがあり、衆院解散の時期の囁き声が大きくなって来ている段階にある。このチャンスに「立憲」・「国民」両党が党名論議をしていられる時かと呆れてしまう。小異を捨て大同に付く重要な時期にレベルの低い話である。ここにも政党劣化の一端が覗える。





今日読み終わった本―「公文書危機」


今日読み終わった本:


「公文書危機 闇に葬られた記録」 毎日新聞取材班 

 毎日新聞出版 2020年6月発行


「森友・加計学園」「桜を見る会」「検事長の定年延長」などなど。安倍政権による権力の乱用が続くこれらの問題に共通しているのは、検証に必要な記録が残されていない点にある。首相官邸や中央省庁の内部では、残されるべき記録がどのように隠蔽され、闇に葬られているか。本書は、その時々にメディアや識者に指摘された疑惑を解明するために、その手口と実態について、首相経験者ら元政府高官や多くの現役官僚らへのインタビュー、情報公開制度を通じて明らかにしようと活動して来た内容の報告である。


新聞記事には「発表報道」と「調査報道」がある。日々の新聞記事は速報性から前者の情報が主であるが、特集とか解説記事には後者が多い。報道各社の記者による足で稼いで得たスクープなどがこの範疇にある。文春砲と言われる週刊文春の記事は調査報道が基本であるが、スクープと社会的な影響力が効を発してタレコミもあるという。


本書はその調査報道の最たるものであり、新聞記事になった裏話が満載である。ポイントと思われる記事は随所にあるが、下記にその一部を引用する。


それから2年半におよぶ取材で見えたのは、想像を超える隠ぺい体質だった。わたしたちの取材に、20人近い現役官僚が重い口を開いた。彼らが明かした公文書を隠す手口は大胆かつ巧妙だ。

 表に出せない公文書を開示請求されると、「私的な文書」にすり替える。保存期間を1年未満にして請求される前に捨てる。請求時点に存在していても捨てたことにする。電子メールで重要なやりとりをし、それが残っているのに「メールは電話で話すのと同じだ」という理屈で公文書にしない。ウェブで公開される公文書ファイルの名称をわざとぼかして国民に中身を知られないようにもしていた。

毎日新聞による「公文書クライシス」の特集は引き続き継続されるが、本書に「米国大統領執務室での議事録がある」と引用されている海外での公文書取扱いの実情を幅広く調査し、我が国の隠蔽体質と後進性を立証する報告を期待したい。


いずれにせよ後年、立証記録がないため歴史の空白を生じた理由を本書により説明する重要な資料となることは明らかである。





コロンブスの銅像も撤去すべきか



「Black Lives Matter (黒人の命は大切だ)」と差別反対の世界的運動の中で、米国各地にある南北戦争で奴隷制度を守ろうとした指導者ジェファーソン・デービスや南部軍の指揮者ロバート・リー将軍の銅像のいくつかが引き倒されている。ベルギーでも植民地にしていたコンゴで暴政をふるった当時の国王の銅像が破壊されるなど、世界各地で植民地時代の政治家の銅像が撤去されている。その中に、アメリカ新大陸を発見したコロンブス像も攻撃の対象になっている。


コロンブスがインドに着いたと思ったのはカリブ海のサン・サルバドル島、二回目の航海でも同じカリブのキューバなどで、アメリカ大陸を発見した訳ではないが、上陸した各島々で原住民の大量虐殺や奴隷支配を行った。ヨーロッパ人による白人中心の歴史の先鞭をつけた人物とみなされての攻撃らしい。


私が南米駐在時代、中南米各国を駆け回っていた時、どの国の首都にもコロン広場と称する場所があり、大きなコロンブスの立像が建てられていた。中南米の人はコロンブスをコロンと呼ぶ。コロンブスは中南米には来たことがないが、ピサロなどスペイン・ポルトガル人が次々とやって来て植民地を拓き、欧州風の新国家を建設した時に建てられた像である。


私が現地で接した大部分の人は、先祖が海外からの移民或いは現地人との混血の末裔だったが、中には原住民の後裔もいた。彼らは「コロンが発見したのは新大陸ではない。元々存在していて先住民がいた。もしこれら先住民がコロンより先に欧州を見付けていたら、ヨーロッパこそが新大陸だった」というのを聞いたことがある。


ドボルザークの有名な交響曲第9番は「新世界より」の副題が付いている。米国に移住してから作曲した曲だが、この題名も本当は正しくないのである。


昨日の毎日新聞朝刊に、毎日小学生新聞からの転載として池上彰氏の「コロンブスは偉人か否か」の記事の中で、「あなたは、(これら銅像の撤去)の動きをどう考えますか?」と小学生に問いかけている(こちら)。


大人も一緒に考えたい問題である。




暴力は角界の風土病



大相撲の中川親方が弟子3人に暴力や暴言を伴う不適切な指導を行ったとして、同親方を委員から平(ひら)年寄に降格させ、中川部屋の閉鎖の処分を下した。相撲界には弟子の教育で前時代的な暴力が横行して、その都度問題視され、「暴力問題再発問題委員会」すら設置されているが、なかなか実効が伴わない。その理由は何か?


一昔前、NHKに高橋圭三という報道番組だけでなく娯楽番組の司会も行う人気アナウンサーがいた。その人の言葉に「関取に口を開かせる程、至難な仕事はない」と言わせた程当時の力士は無口だった。照国や鏡里などがインタービューを受けている時、質問されても「あ~う~」を繰り返すだけで目を宙に浮かせて口を開かず、「ごっつぁんです」と言うのが精一杯だった場面を覚えている。


相撲界の教養の程度を問題にする訳ではないが、古くは角界のどの部屋も中学生或いは中卒の若手を採用して指導する徒弟制度が一般だった。年少の頃から相撲界の因習の中で体を鍛え訓練に励んだ。師匠、先輩から旧陸軍式の暴行に耐えて成長したのである。新聞を読み本を読んだ生活ではない。指導に必要な言葉、語彙の量は極端に少ない。話すより手を出す方が速かったのである。現代社会で言うパワハラはまだこの10年来に問題にされたもので、企業でも相撲界でもパワハラが横行していた。


古い慣習を持つ相撲界で、いくら暴力問題再発問題委員会を作っても簡単には機能しない。部屋の親方や相撲協会の役員は、すべからく先輩から暴力を受けて大成した人達である。弟子の教育は自分が受けて来た経験がそのまま応用されている。加えてその肉体的強靭さは一般人の比類ではない。ゲンコ一つでもその効果は激甚である。事実、角界の暴力事件の中で一発の殴打が殺人事件になった例もある(2007年6月、時津風部屋力士暴行死亡事件)。


現在の相撲界には大学相撲の出身者もいるが、社会経験の乏しい中卒で角界入りする人が多い。相撲協会の度重なる再発防止セミナーに参加する現役力士に徹底させる特別な教育の力量が求められる。





沖縄駐留米軍コロナ感染者63名に



「ついに大感染が起きた...恐れていた事態が、ついに現実になった。沖縄の米軍基地で新型コロナのクラスターが複数発生し、感染者は今月に入って12日までに63人にのぼった」。7月13日付けYahooニュースがやや衝撃的な表現で新聞休刊日の今日、他の新聞社電子版より詳しい現地情報と解説を加えている(こちら)。


記事の中に、「沖縄県内では8日に69日ぶりに県内で2人の感染がわかり、9日に1人増えて合計3人の感染が確認されているが、沖縄県民の人口約145万人のうちの3人に対し、在沖縄米軍は2万5843人(2011年6月現在、沖縄県調べ)のうちの63人となり、異常なほど高い感染率を示している」とある。


これだけを読むと米軍の感染者は63人に対し沖縄の感染者は3人と読めてしまうが、米軍の数字は7月9日までの累計、沖縄の3人は8日と9日の2日間の数字で同列比較にはならない。沖縄の感染者数は政府の公式発表では現在までの累計は151人である。沖縄と米軍基地の発生人数の違いを強調したいのだろうが、却って読者をミスリードして報道内容に不信感を生じる。


しかしながら、米国人旅行者の受入れを拒否していながら米軍関係者は対象外であること、沖縄に出発する前に米国で厳重な出国前検査をしていながら、沖縄入国時にはフリーパスであること、基地内の感染発生情報は公開しないなど日米地位協定の不平等さが暴露されている。あまつさえ、7月4日の米国独立記念日には基地の外に繰り出して公園内でバーベキューなどドンチャン騒ぎをしたとのケシカラヌ話も伝えている。


コロナ感染防止は国際的な共通の対処事項である。軍事機密とは全く別次元の話である。政府は沖縄の地方案件とするのでなく、国として直接交渉するべき問題である。


このニュースに接して、「日本人は欧米人にはないコロナに対する潜在的な抗体を持っていて、これが感染者数の少ない理由である」という説が何だか現実味を帯びて来た。同じ沖縄の地で生活をしながら、これだけ感染者数の差が短期間で出ている。部屋に入っても靴を脱がない、帰宅時の手洗い・うがいをしない、ハグ挨拶など生活習慣の違い以外の何らかの理由がありそうである。





毒蛇に噛まれた死亡者は120万人にのぼる


コブラ.jpg

何が嫌いと言っても蛇ほど嫌い、というより怖いものはない。ウォーキング中の農道脇に見付けると脚がすくんで、ソロリソロリと後ずさりし、隙を見て速足で元来た道を引き返す。翌日は同じ道は絶対に通らない。その癖、テレビやYouTubeの動画など身に危険がない状態では喜んで見るし、蛇に関する記事には自然と関心が向かう。


「インドで蛇に噛まれた人数は百万人以上」の見出しがある英国BBCニュースに目を奪われた(こちら英文)。過去20年間に毒蛇に噛まれた人数で実数は120万人に達するとある。広島県の全人口と同数で、いくら広大なインドと言っても厖大な数である。


原因となった上位4種は、ラッセルクサリヘビ、アマガサヘビ、インドコブラ、カーペットバイパーで、その他に12種類の異なった毒蛇に咬まれたというから、犠牲者の数と共に多くの毒蛇と共棲している社会であることが判る。これだけ多くの異なった毒性に対処する血清の作製・貯蔵の程も思いやられる。犠牲者の70%が海抜の低い農村がある8州で、人口2億6千万人、その内最も蛇の被害を受けやすい地域に4百万人が住んでいるというから、これらの地域の住民は常に何らかの種類の毒蛇と一緒の生活ということになる。想像するだけで逃げ出したくなる。


被害の多い農村地域では特にモンスーンの季節に多発している。これらの地域の人々には、被害を最小限に抑える最も簡単な手段として、常にゴム長靴、ゴム手袋を着用し、夜間外出の場合は懐中電灯や“たいまつ”を携行することを勧めている。


記事には、「世界で毎年蛇に咬まれる人は540万人、内死亡する人は毎年約10万人、何らかの後遺症で身体障害或いは傷痕が残った人が40万人(WHO調査)」のデータも添えられている。



Win10 のお節介な自動更新騒動(続き)


去る7月6日に自動更新されたWindows10 Edge で困ったとこのブログページに述べたところ、同じ問題を抱えている人がMicrosoftに照会された結果をブログのコメントの形で連絡頂いた。今までこの「梓川河童のページ」には多くのコメントを頂戴したが、これ程長文で詳しい内容を貰ったのは初めてである。ネット上では同じトラブルに見舞われたユーザの苦情が飛び交っているので参考になると思い、下記に全文紹介する。尚、引用に当たってはご本人の事前了解を貰っている。


**************************************************** 

◆コメント

《ニックネーム》

ととろ

《内容》

こんにちは!


ひょっとすると河童さんの場合は、元々「その他のお気に入り」の中に旧データが入っていたと書かれているので、旧データのインポートはすでに済んでいて、不要なのかもしれません。

私のほうも改善後、同じですから。「その他のお気に入り」の中が前は空だったのが、インポート後、旧データがそこに現れた、という事です。


念のため、もう少し詳しく記しますね!

あ、ここに記載した事は、自由にお使い頂いていいです。


【第1段階】


Microsoft Edgeを開いて左上のURL欄に


edge://flags/#edge-legacy-import


をコピペしてページへ移動します。

一番上に黄色で目立つ

Import data from Microsoft Edge Legacy

という項目が現れるので、右側の選択肢から「Enabled」を選び、右下に現れる「再起動」ボタンを押すと、変更が反映します。


【第2段階】


そのままの状態から、Edge画面の一番右上の「・・・」を押し、輪っかの部品のようなマークの「設定」を開きます。

「プロファイル」という文字が中央上に現れるので、その下を見ていくと、一番下に「ブラウザデータのインポート」とあるのでクリックします。

小さな縦長のウィンドゥが開くので、「インポート元」の欄が「Edge従来版」となっている事を確認して、インポートを押します。

「インポート中」の文字が出て、終了も表示されます。


尚、「たくさん同様の問い合わせが来ている」と、電話口のスタッフは言っていました。ほんとに、ビックリしますよね・・・。

「お気に入り」ページを以前のように右側にピン留めして、安定した帯の状態で使っていく事は、できなくなってしまいました。

元々Chromeで「不便だ」と思っていた事を、マイクロソフトがわざわざ導入して、使いにくく改悪しちゃったわけです。

あまりに不便ならEdgeは去って、ちゃんと「帯が出る」Firefoxを使おうかと思います。


河童さんの「お気に入りが左側に出る」とおっしゃるのは、画面右側の範囲内の、左側に表示される、という事であれば、私も同じなので特に問題はありませんが、画面の完全に真左側に「お気に入り」が表示されるという事であれば、それは不明なので、問い合わせられるといいと思います。

電話が繋がる前段階のアナウンスで、「有料サポートへの誘導」みたいなのもありますが、お金など払う必要ないので、ちゃんと目的に応じた番号を電話機で押していけば、ちゃんとテクニカルセンターの人に繋がります。

そんなに待ちませんが、待つ間は受話器をスピーカーオンにして、他の事をしていてもいいと思います。待たされて諦めて切ってしまうと、また1からやり直しなので・・・。 7/11

***********************************************************************


今回のお節介な自動更新で変更になった機能の中から、「お気に入り」の表示変更に焦点を当てた対処法だったが、その他ブラウザ画面の大幅変更で使い方が判らない点も多く、Microsoftのサポートデスクに電話しようと思っている。別電で電話番号までも教えて貰っている。(0120-54-2244)
MSに対し多くの人から電話攻勢をかけて困っていることを知らせ、適格な対応マニュアルの発表を促す必要がある。



都道府県別睡眠時間ランキング



世の中にはいろんな調査があるもので、総務省統計局が5年毎に行う調査の一つに「都道府県別睡眠時間ランキング」というのがあると知った。尤も天下の総務省の公式調査である。正式名称は「社会生活基本調査」とお堅いタイトルが付いている。


この中で、「最も眠らない県民」として埼玉県が7時間31分で最下位とある。一方、トップは秋田県の8時間2分と30分以上の差がある。同じ基本調査の中に、「通勤・通学時間の長いランキング」で埼玉が神奈川、千葉と共にワースト3を占める。つまり、通勤・通学時間のため睡眠時間が犠牲になっている。


現役時代、30才代半ばから10年余り東京に転勤し、埼玉県大宮市から通勤していた私の経験でこの調査結果に大きく頷けるものがあると同時に、約半世紀たった今も変わっていないと思いを新たにした。


当時の私は大宮市と言っても西の端、大宮と川越の中間に住んでいた。通勤はバスで無類の渋滞で有名な国道16号を片道35分かけてJR大宮駅へ。大宮駅ではバイト学生に背中を押されて列車に押し込まれ赤羽駅へ。ここで「赤羽ジャンダルム」と呼んでいた2階の東北線ホームから地下道の連絡通路へ下り、再び3階の赤羽線ホームへ超満員の通勤客に混じって登り池袋行電車に乗る。池袋駅では満員階段止めの待機を喰らってから新宿へ向かう。朝の通勤時間だけで1時間55分だった。今では埼京線が出来て一本で行けるので、開通当時は通勤時間40分短縮という効果が発表された。私はこの恩恵に浴していないが、仮に当時埼京線があったにせよ、最寄りの駅の指扇駅まで徒歩30分かかる。それでも乗り換え時間がない分、大幅に短縮されている筈である。


帰途も同じルート。しかも私の仕事は夜の9時過ぎまでオフィスにいたため、帰宅はいつも午後11時。大宮駅からは最終バス時刻を過ぎているので、同じ団地の住民同士が乗り合いの白タクで帰る。それから夕食、入浴となると就寝時刻は毎日午前1時である。翌朝は午前5時半に起床のため就寝時間は毎日4時間半だった。ナポレオンと同じ毎日である。今回の調査で埼玉県民の就寝時間は男性平均7時間35分、55~64才男性で7時間3分とある。ナポレオン就寝時間に比べ羨ましい改善である。


私のこの生活は10年続いた。高校・大学とも夜学生だったから、生涯の累計睡眠時間は普通の人よりかなり少ない筈である。老齢期に入った今は昼寝も含めて取返しに努めている。


出典:毎日新聞デジタル(こちら



1億5千万円という数値の根拠は何か



河井元法相夫妻の起訴に関わる報道が賑やかである。その中で、自民党本部から選挙資金として援助された前代未聞の1億5千万円についてメディアから追及されたり、いろんな憶測が飛び交っているが、今までの報道の中で奇妙にも触れられていない疑問点がある。それは「1億5千万円」という数値がどうして出て来たか、自民党本部が何を基準にしてこの数字を設定したかという問題である。


通常、党本部からの資金援助は1千5百万円、その10倍だったと報道されている。では何故10倍のカネが必要だったかの意図が判らない。普通、何かの事業を計画する時には、それを実行するための経費見積もりを行う。同時に、その資金を投下した結果期待される効果も予測する。それらを総合的に検討した結果、投下すべき資金が決定される筈である。


今回の1億5千万円提供の目的は、従来の地盤を堅守していた古参議員に新人候補が対抗し覆すためと推測されている。資金を提供する側はその為に必要な選挙費用がいくら位かかるかを総合的に考慮して算出されている筈である。選挙に必要なビラなどの印刷費、沿道に立てる幟、ウグイス嬢にかかる経費など、百戦錬磨の自民党本部選対チームをしては先刻承知の筈である。その結果出て来た費用が1億5千万円という数字なのか。それなら今まで劣勢候補を何人も応援して来たのにこんな突拍子もないカネを出したことはない。


過去に実例のないレベルの資金を河井元法相が党本部に要求したとはまず考えられない。それなら党本部はその金額の必要性を糺した筈だがそのような報道はない。ハッキリしているのはその金額が党本部から出て、それを承認した幹部がいることである。


にも拘わらず党本部の幹部は、「使途は本人たちが説明するしかない。説明責任を果たして欲しい」とあくまでも本人達に責任を押し付けてダメージを回避しようと躍起である。確かに使途の説明は本人達にあるが、1億5千万円と決めた基準及びその意思決定の経緯は本人達では説明が出来ない。その説明責任は党本部の幹部にある。




Windows10 自動更新で混乱の極み



一昨日7月6日の夜、就寝前にパソコンをシャットダウンしようとすると、「自動更新中、電源を切らないで下さい」と表示が出た。長い場合は30分近くシャットダウン出来ないケースもあり、勝手に電源が切れるので、「付き合い切れない」とばかり放置して眠ってしまった。その間に、飛んでもない更新が行われていたらしい。Windows10のMicrosoft Edgeのブラウザの大幅変更や従来の「お気に入り」消滅である。


翌日新しい画面を眺めると、更新に同意するかの確認画面が出たが、更新された限り厭も応もない。指示に従って「OK」のボタンを押して行くと新しい派手なブラウザが現れた。見慣れないアイコンや記事の見出しが並んでいるのを確認したが、これは選択しなければ良い話だが困ったのは今まで丹念に蓄積して来た自分の「お気に入り」バーが消滅していたのである。


従来の「お気に入りバー」のアイコンを押すと、ズラリと見られないタイトルが17項目も並んでいる。いずれもパソコンが勝手に選んだ自分としては「気に入らない」項目ばかりである。その一番下、18番目に「その他のお気に入り」という項目があり、これを選ぶと今まで蓄積した私の「お気に入り」が出て来た。但し従来のように画面右側でなく左側に出る。


今回の自動更新は多くの使用者に大きな混乱を与えているらしく、パソコン相談コーナーに「旧Edgeのお気に入りデータが消去されてしまいました。回復は出来るのでしょうか」とか、「お気に入りなどの色んな表示が変更されてしまいました」、「Internet Explorer 11 を便利に使っていたのに勝手にEdgeに替えられ、私のお気に入りが消えました」など似たような質問が並ぶ。中には「文字を打つごとに何故か赤線が引かれます」という自分でも経験したことがないトラブルもあるらしい。


中には『「設定→回復→前のバージョンのWidows10に戻す」を実行したら、「お使いのPCは10日以上前に更新されたため、このオプションは使えません」と返って来た。10日以上どころか今日更新したばかりなのに』と笑い話のような質問もある。ご本人は笑い話どころではなく必死なのが良く分かる。


これら質問に対して助言・回答は出ていない。皆同じ経験をしていて、高度な技術を持っている人達が解決策を探っているに違いない。いずれ助言が出て来る筈である。それにしても、勝手に強引に自動更新したMicrosoft から何も説明がないのは無責任ではないか。


梅雨の季節は天気予報が当たり難い



天気予報の当たる確率は、高額なスーパーコンピュータの働きもあって、最近は格段に信頼性が高まっている。台風進路予想は言うに及ばず、日頃の天気も一週間先の週間予報も高い確率で当たり、旅行や屋外行事を計画する場合の絶好の手助けとなっている。ところが、毎日ジメジメと降り続く梅雨になると何故か予報が当たらなくなる。「明日も雨」と言っておけば間違いのない簡単な天気の筈がこれが当たらない。


私はパソコンに「守山市の天気」というスポット予報を登録してある。頻繁に「24時間の予報詳細」が更新されて発表される。1時間ごとの予報が表示され、その時刻になると予報通りの天気になるので結構便利使いしている。それが梅雨になると見事に外れることがある。事実、今日午前11時の天気は傘マークで降水確率50%と出ていたが、外は青空が広がり太陽の光すらさしていた。


関西の人にしか馴染みがないと思うが、昭和の終わりから平成の初めにかけて、関西テレビのお天気オジサンと人気のあった福井敏雄という天気予報解説者がいた。大阪管区気象台天気相談所長を最後に退官した人で、今でいう気象予報士の走りであるが予報士の資格は持っていなかった。気象予報士の制度が出来た1994年には既に降板していたからである。その人が梅雨時期になると「この頃はゲタを放り投げて占いたい気持ちです」と言っていたのを覚えている。「全国的に雨」を「ジェンコク的に」と発音して親しまれた。


梅雨と言えば、ジトジトと弱いけれども執拗に降る雨だが、今年の梅雨は台風に伴う豪雨以上の男性的な降雨である。熊本・鹿児島だけに留まらず九州全域に甚大な被害と犠牲者を出している。熊本のお殿様、細川元総理が安倍政権に「この期に及んで人の命より大企業優先なのか」と悲痛な声を上げている。我々はそんな高尚なコメントはないが、「この期に及んで連日高級料亭通いか」との次元の低い意見がある。政権末期を自覚して、今の内に「喰い逃げ」に違いない。



日本でコロナによる死者が少ないミステリー



英国のBBCニュースが「日本では新型コロナによる死者数が不思議なほど少ないのは何故か」と題する記事を出した。人口10万人当たり死者数が世界で一番多い英国としては何としても知りたい事情だろう。同社の日本特派員が日本での数多くの実例、専門家の意見を蒐集した報告である(こちら英文)。


コロナによる死者の数がダントツに多いのは米国の126,140人で英国は43,659人だが、人口10万人当たりでは米国38.6人に対し英国は65.7人と逆転する(数値はいずれも6月末現在)。一方、日本では972人、10万人当たり0.8人なので注目されるのは当然である。しかし、日本よりもっと死亡率が少ない国に韓国・台湾・香港・ベトナムがあるが、ここでは日本に焦点が当たっている。日本はこれら近隣諸国のような厳しい対策を取らなかったのに驚かされたのがその理由としている。


記事には、日本は高齢者人口比率が高い、東京に代表される大多数の移動手段が恐ろしい程過密状態の電車など悪条件の中でも、WHOの検査数を増やせとの勧告に耳を貸さず、欧州のような大規模の厳密なロックダウンもしなかった。


では何が功を奏したのか。日本人が以前にCovid-19でなく、それに似た何か「X因子」が国民に「歴史的免疫」を植え付けたという説、挨拶の時にハグや頬キスをするスキンシップの風習がない昔ながらのソーシャル・ディスタンスが自然に守られているとの説、また日本人には100年以上前からマスクをする習慣が定着している、外出から帰宅すると手洗いやうがいをするのはコロナ騒動以前の生活習慣だったとの意見などが記述されている。極めつけは、現役の大臣から「欧州と日本の国民は民度が違うんだ」と一蹴されてしまったともある。これらはいずれも、決定的な説明にはなっておらず学会から異論もある。


記事は、「従来の日本人の生活習慣を他の国の人達が再現するのは難しい。またそれが死亡率低下の確固たる理由ではない」と結んでいる。結局、判らず仕舞いなのである。新型コロナはその発生原因から感染経路、ワクチンや治療薬など何一つ判っていない。


見出しにつられて長文の記事を読まされた英国人は、結局結論のない話に欲求不満を感じたに違いない。





米大陸諸国の独立記念日


MtRushmore.jpg

昨日74日は米合衆国の独立記念日。その他の中南米諸国は今日75日がベネズエラ、7月9日アルゼンチン、720日コロンビア、728日がペルーと今月は独立記念日が多い。8月にはエクワドルとウルグワイ、9月にコスタリカと集中している。先月6月にはメキシコだった。合衆国を除くその他各国は、それまで植民地として支配していたスペインを北部からボリバール、南からサン・マルチン将軍が次々と放逐し、各国を同じ年に解放し独立させたためである。


米合衆国は昨日サウスダコタ州のラシュモア山国立公園で、トランプ大統領を迎えて盛大な独立記念の祝典があった。ラシュモア山にはワシントンやリンカーンなど歴代4人の大統領の巨大な彫像が切り立った崖に刻まれていることで有名である。ヒッチコックの映画「北北西に進路を取れ」のラストシーンでスリリングな逆転劇でハッピ-エンドとなった場面は良く覚えている。


この彫像が見下ろす舞台でトランプ大統領が演説したが、この中で日頃非難を浴びている白人至上主義、人種差別をあからさまに述べた。黒人奴隷制度を続けた南部連合を称える銅像や記念碑を破壊する抗議運動を「無差別な暴徒」と呼び、「この国の歴史を消し去り、英雄達を侮辱し、米国の価値観を否定し、子供達を洗脳しようとする暴力的運動」と非難し「我々は決して屈しない」と強調した。

(この項、BBCニュースこちら英文)


私は少し前のこのブログで、「歴史を消し去る彫像破壊」には反対と述べたことがある。過去の行為が善悪は別にして先人が遺した歴史的遺物を現代の我々が消し去る権利はない。トランプ演説のこの部分だけを切り取れば同じ意見である。しかし、それが否定された事実を現代に適用しようとする姿勢、例えば人種差別による分断社会の推進には反対である。


ラシュモア山に刻まれている4人の大統領の中で、ジェファーソンとルーズベルトは多数の黒人奴隷を支配した人と言われる。しかも、ラシュモア山周辺は先住民スー族の聖地と聞く。その聖地の山に欧州から侵略して来た先祖を持つ白人大統領を掲げ、先住民を放逐して独立した記念祝典を臆面もなく行うというのは白人至上主義の最たるものである。



レジ袋の有料化



スーパーで買い物をした籠に、レジで支払いを済ませると店員が購入品を収納するに足るビニール袋を目測して一緒に放り込んでくれた。コンビニでは店員が買ったものをビニール袋に入れて渡してくれた。この袋は店の無償サービスだったが、これが去る71日より有料になった。


私の周囲で白いビニール袋を手にして歩く人を見始めたのは約50年前。私が東京に転勤した時である。コンビニが街角に登場し始めた頃で、レジ袋をぶら下げて街を歩く外人には何故かイラン人が多いと聞いた。事実その通りだったのである。今ほど規模は大きくはないが、スーパーマーケットも出始めていたが、中はまだ従来の公設市場風の対面販売が多く、野菜や魚などの食料品は店員が新聞紙で包んでくれ、客は自分のショッピングカートか買い物バッグに入れるのが普通の光景だった。


その後、レジ袋がその手軽さから急速に普及したが、これが河川や海を汚染させ国際的な環境問題を引き起こした。大型スーパーは早くから有料化に踏み切った店が続出したが、最後まで頑強に抵抗したのはコンビニだった。理由は万引き防止策だったが、環境汚染の高まりにより遂に有料化に同意した。


私は毎朝のウォーキング途上に自治会のゴミ集積場があるので、毎日異なる分別ゴミを持って行く。プラゴミは週2回に市の回収車が収集に来るが、早く行かないと集積場に入り切れない程の量が集まる。市指定のゴミ袋は透明なので収納されたプラスチックゴミが透けて見える。殆どが食品トレイや菓子箱の中箱、菓子袋などサイズが大きいもので、その中にレジ袋が丸めて入っているのを見ることは殆どない。それ程レジ袋の量は少ないのである。


市の広報誌によると、レジ袋のプラゴミ全体に占める量は10%以下の1桁台、その他のプラゴミの減量化を強力に進めるよう要請している。しかも、再資源として利用するため分別しているが、大部分は焼却しているとの報告もある。


こんな状況下でレジ袋だけ有料化を進めても、河川や海をキレイに出来るほどのプラゴミの減量は見込めない。プラスチックゴミ全体の排出減に知恵を出すべきである。







安倍擁護言論人の店仕舞い



今も現役のある自民党古参議員が「安倍政権は長く続いたが、足跡となる遺産は結局何もない。一番の功績は、国民に政治を諦めさせたことだ」と言うように、この政権も愈々終りに近づいた感がある。


あるウェブサイトに毎年「安倍政権御用ジャーナリスト大賞」が発表されるように、安倍ヨイショ言論人は多数存在する。今まで歯の浮くような論調で安倍首相を持ち上げて来たこれら評論家は、安倍首相退陣後はどうするか。


ジャーナリストと政治評論家とは必ずしも一致しないが、ジャーナリズムの原点は「権力を監視し、国民の番犬としてその圧力に屈することなく、国民の知る権利に応えること」と言われる。政治評論家にも半世紀前にはその姿勢が伺える言論人が輩出していたが、今では分断社会の中、右か左のどちらかに色分けされている。


ネトウヨが台頭し、ヘイト本が書店の店頭を賑わすなど、右傾化した意見は歓迎され書物も良く売れるらしい。テレビに出る評論家も保守系論者が盛んに登場し著書も多い。要するに儲かる商売なのである。この流れの中で儲けさせてくれた安倍首相が表舞台を去るとなると、これら言論人はどう対処するか。


安倍首相担ぎ上げの第一人者である百田尚樹氏が昨年突然引退表明したことがある。先を見越しての行動に違いない。成程、こんな身の処し方もあるのかと思った。流石に時期尚早と見てか直ぐに引退表明を撤回し、尚暫くの収入源を確保した。


私が毎日読ませて貰っているブロッガーの方が、「田崎スシローがモーニングショーから消えた」として、田崎史郎氏が自主的に番組出演を辞退したことを伝えている。私は、「ひるおび」を含め、同氏が出てくるとその知ったかぶりに気分が悪くなるので最近は見ていないが、自分の余りの安倍擁護発言に対する世論の反発にやっと気づいたらしい。これも安倍以後の身の処し方の一例だろう。


太平洋戦争勃発時は、当時の言論界は盛大に軍の肩を持って国民に戦意を高揚させる論陣を張った。それが終戦と共に、「当時、私は戦争に反対だった」と平気で言い放っている。双方の文献が残っているから言い訳の方法がない。最近、ある憲政史研究者の論文に「保守言論人は恥を売るのが商売」とする一文があった。現在、HanadaWillの常連、桜井よしこ、小川榮太郎、岩田明子氏など、安倍儲けをした人達がどう変身するか、後任首相人事以上に興味あるテーマである。



豪NSW州のコアラが向こう30年で絶滅の恐れ


コアラ.jpg

中国のジャイアントパンダが他の国には棲息しない動物として世界に知られ愛されているのと同様、オーストラリアだけにしかいない動物で世界中で人気のあるコアラがいる。カンガルーも同国の代表的動物だが、こちらはオーストラリアの他にニューギニアなどでも広く棲息している。コアラは広いオーストラリア大陸の中でも、ニューサウスウェルズ州とビクトリア州など南東部にしかいない。


そのコアラが、昨年オーストラリアを長期間にわたる大規模な森林火災で5千頭以上が犠牲になったことから、その後の実態を調査されていたが、ニューサウスウェルズ州では元々36千頭いたのが実数は不明だが急激な減少傾向にあり、何らかの対策を施さないと2050年には絶滅するとの報告書が州議会に提出された。


原因は昨年の森林大火災でコアラの棲息地の4分の1が焼失したこととクラミジアなどの病気の発生、コアラの常食であるユーカリの質が落ち量も少なくなったことなどにある。


調査報告書では、国立公園の新設や無計画な開墾の規制・縮小し、コアラの保護を強化すべきと提言している。


出典:BBCニュース(こちら英語)


私はパンダは日本初のランラン・カンカンを上野動物園で見たのを初め、和歌山のアドヴェンチャーワールドで何回も見ている。特に和歌山では名前を忘れたが、生後初の一般公開の日に偶然訪問し、多くの報道陣のカメラの隙間から見たこともある。しかしコアラは見たことがない。テレビ画面でその愛くるしい表情は何回もお目にかかっているが、日本では7ヶ所の動物園にしかいない(ウィキペディアより)。その理由は、あの小さなコアラが一日1kg以上のユーカリを食べること、それも特定の種類のユーカリで、しかも若芽のものしか食べないという美食家で、ユーカリ栽培に適しない日本で定期的に入手するのが困難な事情があるらしい。


中国には国立のパンダ保護区があり、世界各国に貸し出す場合の一定の契約があり、パンダの保護に留意しているが、オーストラリアにはコアラ病院はあるものの国家の保護施設がない。原則は野生である。世界の特定地域にしか棲息しない動物をどう保護育成するか、国際協力が必要な課題である。





行き過ぎのマスク強制着用



「マスク警察」という言葉が流行っているらしい。コロナ感染防止のためのマスク着用運動が進む中、マスクをしていない人に「何故マスクをしない?」とお節介に言葉を投げつけたり嫌がらせをする人のことと言う。マスクをすることの効用の有無を承知の上で着用しているのでなく、付けろと言われているからとか皆が付けているからという単純な理由である。


明治天皇が崩御して暫くは、喪章を服に付けていないと町中から「愛国心がないのか」と絡まれることがあったらしい。このように大衆と同じ行動をすることを「ステレオタイプ」という。思い込みや固定観念に捕らわれ、型に嵌められた行動をする人のことを言う。


私は毎朝のウォーキング中にはマスクをしていない。殆ど人に逢わない農道を一人歩きしているためで、咳や会話などに伴う飛沫感染を受けたり与えたりする惧れが全くないためである。マスクはこの予防のために推奨、受け取り方によっては強要されている。


時たま農道で、マスクを着用してジョギングをしている人に行き違う人があるが、定めし息が苦しいだろうと気の毒になる。


広い河川敷でのグラウンドゴルフ中でもマスク着用を上部団体から求められているが、一方では熱中症予防のため時折マスクを外すという相反する要請も受けている。水分補給の必要もあるからで、多くのプレーヤーはこれ幸いとマスクを顎の下に引き下げている人が多い。


そんな訳で私はマスクを常時携行していない。洗濯した後はビニール袋に入れてグラウンドゴルフの道具と一緒に入れてある。これが問題で、今日家の蛍光ランプが切れたので急遽いつもの家電量販店に向かう途中の車の中で、マスクを持って来るのを忘れたことを思い出した。取りに戻るにしても家を出てから距離も時間も経っている。ままよとばかりマスクなしで店に飛び込んだ。今日はウィークデーとあって店内は空いている。店員もマスクなしの客には気もとめず丁寧に応接して貰った。


要するに、ソーシャルディスタンスを守っていればマスクなしでも害はないのである。別にステレオタイプにマスク着用に固守する必要はない。シッカリ説明出来れば良い話である。