印鑑廃止運動の急な盛り上がり



中学の卒業記念として認印と文字が読めない程細かく彫り込んだ訂正印のセットを配られた。ハンコを持つ身の社会人になることを自覚させられたものである。以降、長い人生に亘って欠くことの出来ない必需品となっている。


特に会社員となってからは、社内で印鑑を押さない日はない程毎日利用し、役職が上がる程その頻度は高くなった。会社の中だけではない。役所への提出書類、売買契約書や請求書・領収書など機械的に使用している過程で印鑑の効用、必要性について疑問を抱き、バカらしくすら感じることが何度となくあった。


印鑑とは本人を特定する証明道具とされているが、必ずしもそうではないらしい。例えば他人名義で記名して、百均で購入したその名の印鑑を押印すれば用が足りることもある。本人証明というより、あるべき所に押されていれば良いのである。


会社時代、私が起案した稟議書が長い時間かかって最終的に「可決」の大きなゴム印のある書類を見たら、ナント各部署の関係者のハンが17個あったのを見て驚いたことがある。「常務会決裁」とあり誰が最終決裁したのか判らない。


社長印の必要な書類は秘書課で押印しない。総務課扱いで、その書類には「社印・社長印捺印申請書」という所定の様式を添付する必要がある。その様式には社長印申請部署の所属長など関係者8ヶ所の押印欄があり、全てが捺印で埋められないと総務課長は社長印を押さない。当時の総務課長は私の親しい友人で聞くと、チェックするのは申請書のハンコの数の完備具合で、肝心の押印をする書類の内容は読まないという。押印する総務課長がこんな具合なので、社長自身はどんな書類に押印されたか知る由はない。


こんな訳で、押印というのは単なる儀式でハンコの意味合いは何もない。私がリマ駐在時、東京銀行でドルの引出し、日本大使館での駐在証明、コロンビア・ボゴタの日本総領事館での旅券の期限延長など、日本では数多いハンコが必要な筈の手続きが、肉筆サイン一つで全てが完了した。社会全体の合意があれば、ハンコはいつでも廃止可能なのである。


全日本印章業協会の献金で動くハンコ議連の主張は、日本経済の効率化を考えない自己本位の動きである。