人事問題と透明性



森さんは今回の五輪組織委員会会長辞任問題で日本社会の閉鎖性をあぶり出した。女性蔑視・性差別問題だけでない。今度は新たに後任者選出という「人事問題で透明性」を求める論議に火をつけたのである。国の指導者を国民が直接選べない議員内閣制をとる日本の政治制度は、従来から首班候補の指名は「密室」で行われているのが通例である。そこには「透明性」というものはない。


今回、森氏の後任候補として一時名前が挙がった川淵氏は、自己を推挙したのは委員会や理事会幹部の合意でなく、過去に「密室人事」にどっぷり浸かり行使して来た森氏の推薦と判り、それが露見した世間の批判を受けて一旦同意した後任人事を辞退した。この事態に早速「密室人事」の常習者である自民党のお尻がムズムズして「透明性」を求める世論に慌て出したとの報道もある。


人事問題は本来機密性が軸になっているのは世間一般の常識として定着している。従来から国会で、「人事に関わる問題につき答弁を控える」と言えばそのまま容認されて来た。


人事問題が不透明であるのは別に政界だけではない。民間企業でも人事問題は機密事項である。私は50年間の会社員生活の中で、この習慣は否応なしに身に付いている。何故あんな人物が課長や部長に昇進出来るのか不審を持っても、その経緯は判らない。会社の社長にしても、最終的には株主総会の承認によるとの形式はあるが、誰が社長候補としてどんな会合で任命されるのかは殆どの人は知らない。そこには社内だけでなく、社外の大株主の意向も強く働いているが、社外の人間が一企業内部の人材を知っている訳ではない。社長選出も「密室合意」の表れである。


バイデン大統領が副大統領としてカマラ・ハリス氏を起用したが、米国では公聴会でその人物評価の審査という試練を受けて承認される民主的手段がある。日本では政財界ともに人事問題は機密であり不透明である。今回森氏が火をつけた「人事の透明性」を求める声は今後の日本社会にどんな影響をもたらすのか、性差別以上の大きな社会問題になりそうである。