記憶の秀才が「記憶にない」と言う時



衆議院予算委員会で、東北新社やNTTの社長の証言に対し、総務省幹部が「記憶にない」との答弁を連発し、「言った、言わん」の応酬で食い違いが解消されていない。国会の場で「記憶にございません」という表現は、逃げの姿勢の常套句になっているが、起源は戦後最大の疑獄事件であるロッキード事件で証人喚問された小佐野賢治氏が繰り返した答弁で、当時の流行語となったとされている。


小佐野氏は山梨県山村の極貧農家に生まれ、一代で「ホテル王」と称される実業家になり、田中角栄首相の「刎頸の友」と言われる程の有力な政商で政財界と暴力団の橋渡しを行うなど「裏世界の首領」と噂され相当のキレ者だったに違いない。ただ高学歴が頭の良さを象徴する日本社会の中では、尋常小学校卒の小佐野氏が「記憶力にない」と言っても素直に受入れられたようである。


ところが、詰め込み教育の時代で記憶力の良さを武器に東大・京大に入り、難関の国家公務員試験の総合職試験、上級甲種試験などに合格し、キャリアとして中央官庁に採用された幹部官僚は頭の良さ、優れた記憶力が自慢である。この才能と指導力、世渡り技術で省庁の中で登り詰めて来た幹部にとって「記憶にありません」と言う時は相当の自尊心が傷つけられる思いの筈である。ところがそんな発言をしている幹部官僚は全く無表情である。恥とか外聞を気にしている雰囲気はない。


「記憶にございません」の表現は今や文字通りの意味でなく、「覚えているけれどもお答えしません」との言い訳、言い逃れの意味になっている。日本の中枢である国会で堂々と通用しているのを見て国民も日常生活に使用しているのに違いない。警察の取り調べにも常用されていることは容易に想像される。


コンピュータ用語のROM(読み出し専用メモリ)、RAM(任意に書き込みし呼び出し出来るメモリ)は人間の脳の機能の一部を電子化したものと言われている。脳の中には外部からは伺えないが、本人は記憶している機能がある。今の科学では脳からこの記憶を強制的に呼び出す技術を実用化出来る筈である。これが実現出来れば、世の中からウソがつけなくなり犯罪がなくなり、日本の国会で不毛の論戦もなくなるのだが、敢て実用化しない何かがあるのだろうか。





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この記事へのコメント

2021年03月19日 16:13
嘘発見器を着けるだけでいいかも?