大き過ぎて潰せない


英語に“Too big to fail”という表現がある。「大き過ぎて潰せない」の意味だが、文字通り解釈すれば、山岳地方を走る国道などに巨大な岩石が道を塞いで取り除く場合とか、大型建造物の取り壊しが予定されているものの大き過ぎて簡単には処理出来ない場面が思い浮かぶが、この表現が使われるのは特に銀行や財閥など大きな企業組織が経営不安に陥った場合に主に使われる。頭文字をとって“TBTF”と表記されることがある。


今回取り上げるのは、本来の意味の金融・経済問題ではなく、日本国籍の大型コンテナー船がスエズ運河で座礁して動けなくなり、世界の大動脈を塞いでしまって動きが取れなくなった事件である。


私は南米駐在時代にパナマに出張した時、パナマ運河を航行する日本の貨物船を見て感動したことがある。今回スエズで座礁した貨物船程大型ではなかったが、太平洋と大西洋の海面の高度差を調整するシステムだけでなく、良くもあの狭い運河を、ゆっくりではあるが大きな船が通過出来るものかと感心した。


私の毎朝のウォーキングに利用する農道を乗用車が侵入して来て歩行者を田圃の畦に避けさせる光景に似ている。この場合は渋滞の抜け道として道路標識を無視した違反走行であるが、スエズ運河にせよパナマ運河にせよ迂回航路がないか遠方のため止むを得ず船が離合出来る余裕がなくても幅が許せば航行している。運河を管理する側とすれば、船のトン数が大きいほど通行料が稼げるので、年々世界の物流量が増える中で貨物船が大型化する流れにあり、運河の通行を制限する動きも幅を広げる計画はない。大型化し過ぎて船を壊すことも出来ないと言われる。


今回の事故は、天気の急変によるとされ人為的なミスは報道されていない。今後共、起り得る事故であり、未然に防止するにはやはり道交法のように船の大きさによる通航制限をする他はないようである。


運河を塞いでいた貨物船は今日3月30日、なんとか浮上に成功しゆっくり動き出した。BBCニュース電子版に掲載された動画を見ると、甲板上に8~10段に積み上げられたコンテナーが殆ど歩く速度で岸すれすれに移動して行くのが見られた。今回の事故で422隻もの船が渋滞し、解消に4日程かかると言われる。



ガタが来て浮足立っている社会



日本以上にコロナ禍の影響が厳しい米国で、バイデン大統領が次々と広範囲の新しい政策を打ち出しているのに対し、ほぼ同じ時期にスタートとした菅首相はバイデン氏より若いにも関わらず動きが弱いのが目立つ。来月に予定されている両首脳の直接会談がどんな対比を見せるか注目している。


米国も警官の黒人差別行為、この2~3日のコロラドのスーパーやフィラデルフィアのスポーツセンターでの相次ぐ銃乱射による大量殺人事件、極右団体Qアノンの台頭、アラバマ・ミシシッピー・ジョージアでの広範囲の大竜巻による被災など不安定な中での新大統領の幅広い積極的な動きは若々しく新鮮に映る。


対照的に我が国では、総務省幹部の会食に関わる否定発言とその撤回・謝罪の連続、国会審議に上呈する法案・条約の誤字・欠落・不祥事による取り下げの量産、政界幹部の自分達が起こした不祥事に対する「他山の石」とか「女性というには余りにお年」発言、消えない筈の聖火リレートーチの消灯(原因は燃料供給口のネジの緩み)など余りにも次元の低いお粗末な現象が多過ぎる。その環境の中で菅首相にはバイデン大統領に見られるような活動的な露出度が見られない。

                                                                   

法案ミスの件数に至っては、政府提出法案の40%と約半数に近くに誤りがあったらしい。江戸時代の昔から80~90%を誇った識字率世界一の日本人で、表現力・文章力に優れた官僚が作成する法案には今までミスは全く無かったのが当たり前だった。それが昨今のダラシサの原因は何か。例によって、新型コロナの影響で職場の人数が少ない、リモート作業ではやり難いなどと他に理由を転嫁しているが、昨今の責任逃れで沈滞した政局運営や仕事に対する実務能力が低下しているためである。


法案ミスの一例として「若しくは」とすべきところを「若ししくは」とか文字や語句の重複や欠落が多いらしい。しかし、これらは文章をワードで作成すれば誤りの箇所が色付きの下線で表示される筈である。要するに、自分の仕事に対して投げやりになっていて魂がこもっていない。仕事とは夜に会食することであると重要度・優先順位が逆になっているためである。


昨今の我が国での低次元のトラブルの連続は、国民のための政治から自分及び自分達を守るための政局運営から来ていると見て良い。




膝の破れたジーンズは風紀に悪い


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川柳に「ジーパンの破れ繕い台無しに」とか「ジーンズの膝に接ぎ当て叱られる」というのがあった。終戦前後、母親に服やズボンの破れに接ぎを当てて貰って育った世代にとって、ジーパンが登場した時に破れた部分を剥き出しにして街を歩く若者が異様に映ったと聞いたことがある。流行の先端を行く衣服を販売するファッション店では、膝が破れたままのジーパンを新品として陳列されているのにも驚嘆した。


今では見慣れたファッションになっているが世界は広い。インド北部のウタラク州で新たに就任した大臣が、「女性が膝の破れたジーンズを着用してナマ脚を見せ街中を歩くのは不道徳な行為で風紀を乱し子供、特に女の子の教育にも悪い。我が国古来のサリーなど脚を覆う衣装を着用すべきだ」と非難してSNS上で炎上している。


州議会の野党は「新大臣はインド全土の女性に対し、発言の訂正と謝罪の意を表明するか、即刻辞職すべきだ」と要求している。世論は、新大臣は女性を上からの視線で蔑視するものであり、インドで社会問題になっているレイプの増加はジーンズの破れから裸の脚を見せるからでなく、新大臣のような男が女性蔑視の古い慣習を広め、男女平等の遵守義務を果たそうとしないからなど、どこかの国と良く似た論議が巻き起こっている。新大臣は、その後女性を貶める意図は全くなかったと発言を訂正し陳謝した。


出典:BBCニュース(こちら英文)


女性が日頃見せることのない肌をチラチラ見せるのは何もジーパンに始まったことではない。歴史的には、支那服と言われた長い衣服の太腿の部分に切れ目を入れた衣装が女性の美を表すものとして定着していた時代があった。日頃隠されている部分をワザワザ見せるデザインは見る人によって受け取り方が違う。インドのサリーですら、すっぽり身を覆っている筈だが、実は腹のヘソ付近が剥き出しになることがある。私はエア・インディアに搭乗し、通路側座席に座っているとインド美人のスチュワーデスが窓際の客に食事を差し出す時に肌目細かい肌の腹部を目前に近づけたのでドキッとしたことがある。


ファッションにより、着る人とそれを見て感じる人の違いは生活習慣の違いから来る。製品研修のため来日したアラブの若い男性実習生がホテルの自室でテレビを見ていて、ワコールのCMが出て鼻血を出したと聞いたことを覚えている。






内部調査で真相が解明されることはない



総務省の幹部がNTTや東北新社から接待を受けて国家公務員倫理規定違反の疑いで内部調査の結果、一時は違法接待の事実はなかったとしていた一方、政府も再調査を拒んでいたが、最終的には谷脇政務審議官、山田内閣広報官の実質更迭となった。いずれも内部調査の結果ではなく、週刊文春初めメディアの調査で釈明のつかない証拠が出た結果である。


企業には監査室と呼ぶ組織がある。会計報告の会計監査と良く間違えられるが会計監査は外部の会計監査事務所に委託するのが会社法で定められている。企業会計の透明度を高め虚偽報告を防止するためである。会社の組織にある「監査室」は会計監査でなく、その企業の会長・社長以下役員が不正経営を行っていないか監視・監査するためで、社長になる一歩手前で退任した専務や常務など組織内の人事や活動の状況を熟知した内部の人間で構成されている。日産自動車のゴーン社長時代の有価証券報告書の不正記述など、一部上場の大企業で発生した数々の不祥事が、「企業の中に監査室があるのに何故?」と疑う人があるが、監査室での監査は内部の人間だけが行い、場合によっては自分達が現役役員時代の不祥事を調査することになるので、つい真相が隠されがちになるためである。


「モリ・カケ公文書改竄、桜問題」など数々の疑惑について、安倍元首相や麻生財務大臣が野党や世論の要求にも関わらず「再調査をする積りはない」と繰り返すのも自分達に類が及ぶからであり、内部調査の限界である。


内部調では真相解明や新しい証拠が隠され易いので、最近では外部の人間だけで構成される第三者委員会を組織する傾向があるが、そのメンバーを調べられる省庁や企業が任命したり、外部の人間では内部の人事関係や運営・活動状況の実態に疎いという難点がある。最近大手企業に任命されている社外取締役に似て、名前を連ねてはいるものの発言力が弱いのに似ている。


第三者委員会には対象団体に対する余程の力が及び調査能力に優れている人物で構成される必要があり、相当の強制力のある権限を与える法整備が必要である。世論の期待も大きい。




病院食



胃摘出手術のため1ヵ月半の入院生活から解放されて丁度4ヶ月過ぎた。大事な消化器官の一部を失ったにも関わらず、このところ食事が極めて美味しい。胃を失くした人はダンピング症候群を防止するため、三度の食事の間に必ず三度の間食が義務付けられる。栄養機能食という意味不明の名称を持つ菓子のようなものの他、一般のビスケットやカステラなど要するに「オヤツ」であるが、これらを含めても何でも美味しく、食事・間食の時刻が来るのが楽しみである。ただ食べたものを消化する胃がないので、「30回噛み」と言われる程良く噛む必要があるので食事時間が長くなる難点がある。


「美味しい」と何度も口走るので、家族から入院中の病院食が余程不味かったに違いないと言われる。まさにその通りで、入院中に食事時刻が来るのが苦痛だった。本来は何もすることのない入院生活なので食事が唯一の楽しみの筈なのに逆である。ところが、過去12年で4回の入院生活中に同じ病院にも関わらず食事の内容が都度異なっているのを思い出した。


最初の入院は12年前の脳内出血だった。血圧が高いため脳の血管が破れたためで、血圧を下げるため食事は減塩食で味が薄く全く美味くない。ところが当時は病棟内のラウンジで患者が集まって食事をすることになっており、その間に親しくなった何人かの患者とメニューが異なることに気付いた。彼らは緑内障や白内障など眼科の患者で、塩分を加減する必要がないので何でも美味いと言う。この時は強烈な差別待遇を受けていると腹が立った。


2度目の入院は椎間板ヘルニアの除去手術で、その時は消化器への影響がなかったので食事の内容は桁違いに美味しかった。寿司の詰め合わせや天婦羅盛り合わせなどのメニューは忘れられない。毎回の食事時刻が楽しみだった。


3度目の入院は肺炎、そして今回の胃摘出で、またまた食事の味の質は各段に落ちてしまった。病気の内容によって病院食が変えられるのは困ったものである。運動量の少ない入院生活で栄養豊富な食事を摂ると太るので管理栄養士のメニュー選びも大変だと思うが、退屈な入院生活が少しでも楽しみになるような食事を期待したいものである。




時代の波と差別表現



東京五輪の開会式、閉会式の演出を統括するディレクターが女性を侮辱するようなアイデアを提案したとして、自ら辞任を申し出で組織員会で了承されたニュースが駆け巡った。森前会長の差別発言が国際的な問題に発展したのに引き続き、懲りない日本の差別社会として「呪われた東京五輪」のタイトルで報道したメディアもある。


新聞やテレビ報道の範囲では、単に女性侮辱とか差別表現とあるだけで具体的にどんな表現があったのかは伏せられている。その表現を使って報道すること自体に問題があるとの配慮に違いない。「森さんと同様に、また何かマズイ言葉で口を滑らせたナ」と推察するしかない。


ところが、ネットで海外メディアの電子版をサーフィンしていると直ぐ判った。例えばNYタイムズの「今日のニュースの見出し」を見ると『Tokyo Olympics official resigns after calling Plus-size celebrity “Olympig”』とムケムケの表現をしている。ABCやBBCニュース、AFPも同様である。「プラス・サイズの著名人」とか「オリンピッグ(豚)」など、私が接した範囲の日本メディアの記事には出て来ない。海外と同じ表現をすればSNSで炎上するのかも知れない。


この報道が出た当初は、当の渡辺直美は自分が侮辱されたとは思っていない、太目体形は私の「売り」であると言っていたのでここまで騒ぎになるとは思っていなかった。


男性優位・女性蔑視は日本社会で際立っているとして最近は過剰反応の傾向すらある。ほんの一昔前は、ビートタケシが具体的にタレントの固有名詞を挙げて、「あのブス」とか「足短か」と直截的な表現を使って喝采を博し売り出した時代だった。男女平等社会は欧米、特に米国からの影響が強いが、その米国ですら最近のアトランタでのアジア系女性をターゲットにした乱射事件がヘイト思想から来ているとか、トランプ前大統領の白人優位思想が多くの支持者を得ているなどが問題にされている。平等思想の音頭取りの米国メディアですら、前記の表現を使って問題にされることはない。


基準のない話だが、日本は周囲の反応に敏感な余り、自分の意見を持たない委縮した表現をする社会に成り下がったのかも知れない。






接待ではない?NTTと総務省幹部の会食



衆議院予算委員会で、NTT澤田社長は総務省幹部との会食接待について、「単なる顔つなぎの場で業務上の要請や便宜をめぐる話をしていない。接待は常態化していない」と答弁した。


ところがNTTの総務省幹部への接待が次々と露見している他、総務相在任中だった野田聖子、高市早苗議員や坂井学官房副長官と寺田稔衆院議員も総務副大臣時代に接待されていたなど、留まることのない接待疑惑がボロボロ出ている。このまま行くと疑獄事件に発展しそうである。「接待は常態化していない」との答弁は空虚に聞こえる。


加えて、武田現総務相にも疑惑の目が向けられ、糾されると当初は「国民が疑念を抱くような会食・会合に応じたことは一切ない」などと言い切っていたが、文春報道で尻尾を捕まえられると、「JR東海の葛西名誉会長と私以外の出席者は知らず、1時間に満たない滞在でビールを2~3杯程度で1万円を支払って退席した」と利益供与がらみの話題以外はヤケに詳しい記憶の持ち主である。私など飲み会でビールを何杯飲んだかまで覚えていない。


その武田総務相だが、16日の予算委員会審議中、答弁に向かう総務省幹部に自席から「『記憶がない』と言え」と指示したか問われ、音声の録音を聞かされると、「私自身確認してみたが、『記憶がない』という所までは聞こえた気がする。無意識に口に出たのかもしれない」と釈明している。


新たな証拠が示されると前言を翻えす節操のなさの繰り返しである。利益供与の有無と行政を歪めた疑念だけが実証が出て来ない。証拠が出ないとすれば「利益供与」がなかったことになる。ここはそれを認めることにしよう。とすれば後はNTTの社内問題で「利益供与が受けられないのに、何故会社のカネを使って高額会食の接待を繰り返したか」と社員や株主がNTT社長に対して糾弾すべきである。


社長や取締役は就業規則の適用を受けないが、社員なら会社に損失を与えた場合は懲戒免職の罰則規定がある。取締役役員も会社に損害を与えた場合は監査役から糾弾される。NTT社員が社内で行動を起こすか、株主が幹部主総会で問題にすべきであろう。








記憶の秀才が「記憶にない」と言う時



衆議院予算委員会で、東北新社やNTTの社長の証言に対し、総務省幹部が「記憶にない」との答弁を連発し、「言った、言わん」の応酬で食い違いが解消されていない。国会の場で「記憶にございません」という表現は、逃げの姿勢の常套句になっているが、起源は戦後最大の疑獄事件であるロッキード事件で証人喚問された小佐野賢治氏が繰り返した答弁で、当時の流行語となったとされている。


小佐野氏は山梨県山村の極貧農家に生まれ、一代で「ホテル王」と称される実業家になり、田中角栄首相の「刎頸の友」と言われる程の有力な政商で政財界と暴力団の橋渡しを行うなど「裏世界の首領」と噂され相当のキレ者だったに違いない。ただ高学歴が頭の良さを象徴する日本社会の中では、尋常小学校卒の小佐野氏が「記憶力にない」と言っても素直に受入れられたようである。


ところが、詰め込み教育の時代で記憶力の良さを武器に東大・京大に入り、難関の国家公務員試験の総合職試験、上級甲種試験などに合格し、キャリアとして中央官庁に採用された幹部官僚は頭の良さ、優れた記憶力が自慢である。この才能と指導力、世渡り技術で省庁の中で登り詰めて来た幹部にとって「記憶にありません」と言う時は相当の自尊心が傷つけられる思いの筈である。ところがそんな発言をしている幹部官僚は全く無表情である。恥とか外聞を気にしている雰囲気はない。


「記憶にございません」の表現は今や文字通りの意味でなく、「覚えているけれどもお答えしません」との言い訳、言い逃れの意味になっている。日本の中枢である国会で堂々と通用しているのを見て国民も日常生活に使用しているのに違いない。警察の取り調べにも常用されていることは容易に想像される。


コンピュータ用語のROM(読み出し専用メモリ)、RAM(任意に書き込みし呼び出し出来るメモリ)は人間の脳の機能の一部を電子化したものと言われている。脳の中には外部からは伺えないが、本人は記憶している機能がある。今の科学では脳からこの記憶を強制的に呼び出す技術を実用化出来る筈である。これが実現出来れば、世の中からウソがつけなくなり犯罪がなくなり、日本の国会で不毛の論戦もなくなるのだが、敢て実用化しない何かがあるのだろうか。





官公庁と民間企業との会食(その2)



昨日のこのブログページで「官公庁と民間との会食」と題した記事を投稿したが、最初に題字を書いた時に意図していた内容と全く違った内容になってしまった。理由は自分の現役時代に経験した記事から書き出したためである。朝日新聞の天声人語や毎日新聞の余禄が本文とは異なる内容、特に古典や故事の引用から始まって本文に導く記事が多く、その傾向に引っ張られたようである。当初の意図は、省庁別の民間企業との会食件数調査の結果、民間との接触の多い農水省が突出しているのは予想通りとしても、防衛省がゼロという数字をテーマにする積りだった。


朝日新聞デジタルによる当該記事には、下記の調査結果が報じられている。


農林水産省 413件

経済産業省 350件

国税庁   163件

国土交通省 128件

厚生労働省 107件

文部科学省 59件

財務省   18件

スポーツ庁 14件

国家公安委員会 9件

総務省     8件

外務省     7件

環境省     3件

金融庁     3件

内閣府     2件

復興庁     2件

法務省     1件

防衛省     0件

※15~19年度の総数。内閣人事局資料から作成


私が勤めていた企業には、防衛庁(当時)に納入していた機材を製造販売する事業部があり、防衛庁の駐在官事務所の部屋を提供し検査官などが常駐していた。我々は彼らの所属を「チョウホン(調本)」と呼んでいたが正式には「防衛庁調達実施本部」だった。「調本」の要求する仕様は極めて厳格で世間では一般に防衛庁仕様と呼ばれ、余程の技術力のある精密機械メーカーでないと対応出来なかったので、調達先の殆どは大手のメーカーだった。逆に「調本」は大名商売で殆どメーカーの言い値で購入してくれるので、メーカーはこぞって自社製品の指定を競った。


そのために接待競争も激しく、東京の本庁からも幹部が頻繁に企業訪問し接待の恩恵に浴していた。「京都に来たら鱧が食えるな」とか「スッポン料理が美味いからな」と暗に催促して来る幹部もいたと言う。当時「防衛庁調達実施本部背任事件」という世間を騒がせ、本部長・副本部長だけでなくNECなどメーカー数社の重役の逮捕・有罪判決に発展しただけでなく、最終的には額賀防衛庁長官の辞任にも及んだことがある。


防衛省にはこんな民間企業との豊富な会食のDNAがある。5年間の実績ゼロの調査結果を信じる人はいない。そう言えば、最近陸続と出て来る総務省がこの調査結果では5年間で8件のみとある。内閣人事局はどんな手法で、何のために調査しているのかと言いたくなる。









官公庁と民間との会食



「飲み会を絶対断らない」と公言し、役所の後輩にも積極的に対応するよう指導していた山田内閣広報官の姿勢が賛否両論の論議を起こし、結果的にご本人は体調不良で入院して辞職した。私個人的には本音の情報交換の場を飲み食いの席に求める現在の日本社会に身を置く以上、山田氏の考えに賛成である。


現役時代、一時社内のある大きな組織の事業部に属していたことがある。当時としては私から見て雲の上の存在だった取締役事業部長が、勤務中に良く事業部内を案内もつけず一人で巡回し、時々立ち止まって社員に声をかけたり意見を聞く姿を見かけた。何か新しいアイデアとか改善案などの情報を得るのに興味を持っていたようである。


私はその後配置転換でその事業部から別の独立部に転出したが、後年その古巣に仕事上の関係が深い知人が栄転して事業部長として就任した。ところがその男は常に社長や役付役員など上ばかり見て仕事をする男で、自分の所轄する事業部内の組織には殆ど興味を持たず、事業部内を見回ったり部下との意思疎通には全く興味を持たなかった。勢い、事業部内の社員から「今度の新しい事業部長の名前も顔も知らない」と言われ、結果的には自分の事業部内の情報には全く疎い存在となった。


こんな状態では、組織内のガバナンスが働く訳はない。取締役会で自分の事業部の業績などを報告する時は、総務課長やその他管理職のレクを受けるなど、丁度今の閣僚と同じような仕事ぶりだった。


自分の仕事を自覚し責任を持って遂行するためには、あらゆる機会を利用して多くの人と接し意見を聞き情報を収集することは重要である。勤務中は自分の仕事で忙しい。飲み食いしなければ人と交流して情報を得るしか他に手段がなければその機会を利用するしかない。仕事熱心の余り、その行動が非難され、体を壊して職も失った山田報道官は気の毒だったと思う。失職させれば目的を達したと満足する非難や抗議行動は正しいとは思わない。






携帯電話ショップの役割を勘違い



私の携帯電話は未だにガラケーである。契約の当事者は私の娘で、私は家族割引の一員として彼女の名前にぶら下っている。その娘宛に、契約先のソフトバンクから「2024年1月下旬の3Gサービスの終了に伴い通話・メールなどの全てのサービスがご利用頂けなくなります」として、私の携帯電話番号を記載してスマホへの機種変更を勧める案内状が来た。娘は早くからスマホを使っており、興味ないとして封書を私に手渡した。


私は別にiPodTouch を持っているが、通信機能はなくインターネットにもつなぐ契約はしていない。主にスケジュール管理やメモ書き、写真撮影、アラームなどに時々使っている。パソコンもフルに使っている。従って、スマホに乗り換える必要性は特にない。しかも、ガラケーのサービスが後3年続くので、その間に我が命が終焉を迎える可能性が強い。しかしソフトバンクからの勧誘状パンフには、白髪に眼鏡姿の老人が楽しそうにスマホ・デビューしている写真があり、また最近携帯電話料金の値下げ予定のニュースが続くので、一寸興味を覚えて来た。


ソフトバンクのパンフが宣伝するスマホの機能がどんなものか聞くために、近くのソフトバンクのショップに訪問予約した。コロナ対策で事前予約が必要なため予めネットで予約しておいた。ショップのドアを入ると店員が出て来て用件を聞く。予約をしてある旨を伝え、「案内頂いた初心者向けスマホの機能や特徴を聞きたい」と申し出た。店員からは意外な答えが返って来た。「契約者のご同伴か、委任状が必要です」と言う。こちらは、家電量販店の店員から聞く説明を期待し、今日は乗り換え契約の話をする積りはない。その時に契約者の娘を同伴すると伝えたが、「契約者の同伴がなければご説明出来ない」として応じてくれなかった。


これを聞いて、ショップの仕事が判って来た。彼らは電気店のように機器の販売は目的ではない。回線契約をするのが仕事で、顧客は既に機器の選定を終えた人が相手らしい。ショップの業務を携帯電話専門の販売店と理解していた私が間違いだったようだ。


折角、予約までして足を運んだが、目的を達せず空しく帰った。次回、電化製品量販店に行った際、携帯電話コーナーで相談することにする。





「美しい国、日本」の国造り



安倍前首相は、「美しい国、日本」を高々と謳い上げたことがある。流石に少年時代に、家庭教師から「平気でシレッとウソをついて悪いと思ったことがない」とお墨付きを貰ったことがあるだけに、その後の言動は国民が良く知るところである。結果として美しくあるべき日本を精神的にも行動的にも乱れた社会をもたらしてしまった。


例えば、最近更迭された総務省のナンバー2である谷脇総務審議官の国会答弁のニュースをテレビ・ニュースで見ても、嘘の答弁をしている時の表情は何ら悪意が感じられない。普通の人間なら嘘を付いている時は目が泳ぐと言われるが、そのような雰囲気は全くない。その時の嘘が後程抜き差しならない証拠が出て来てバレ、釈明する時の表情も平然とした顔をしている。谷脇審議官だけではない。他にも週刊誌からあばかれて釈明する時も同様である。安倍首相の釈明や強弁の姿勢が見事に受け継がれ、今では国会での当たり前の光景になっている。「永田町の常識は、世間の非常識」という言葉があるらしいが、国を代表する議員や高級官僚のこんな振る舞いは一般世間の常識に反映することが懸念される。


口先の嘘だけではない。最近の総務省の留まるところを知らない不祥事が次から次へと明るみに出ても、皆で赤信号を渡る時の心情で、関係者の殆どに罪悪感が見られなくなっている。将に今日11日にも、坂井官房副長官のNTT会長との会食が暴露されている。「美しい国」であるべき日本が倫理や道徳に欠ける社会へ向かっている傾向がある。


長年、自民党に支配されている政界である。水は高い方から低い方へ流れる。「自民党さんだから仕方がない」と諦める人もいる(こちら)。安倍首相が「美しい国」を目指しはがら、嘘に罪悪感がない性格から日本社会にもたらしたレガシーだろう。


米国でトランプ大統領による民主主義破壊をバイデン大統領が懸命になって修復する姿勢を示し、現実のその行動を起こしているが、同様の期待を菅首相に求めるのは無理と言うものか。





購読料より手数料の方が高い



今迄ネットに掲載されている新聞記事の電子版は無料で読めたが、最近は有料化されているものが多い。初期の頃は記事の内容が電光板ニュースのように速報を重視した短いものから、新聞のようにスペースの制限を受けない利点を利用して論説や解説が質・量ともに充実した内容に移行している点と、宅配の定期購読者や駅売りの減少による業績低下を補うためと思われる。


現実に歴史ある米国の有力紙の一つ、NYタイムズが一時購読者数と広告収入の減少により、一時は倒産懸念が噂されていたのが、デジタルによる電子版の有料化で急激に業績のV字回復を果たしている。結果として大幅に経営体質を向上させたのに満足せず、従来電子版の無料登録をしていたユーザに殆ど毎週、執拗に有料登録の勧誘メールを送り込んでいる。


それも謳い文句は海外読者に対し、「一週間75セント(82円)、年間29ドル(3,200円)の会費で無制限にアクセス可能」の魅力的な価格で呼びかけを行っている。ワシントンポストもこれに習って、全く同じ価格で宣伝して来る。これは日本の毎日新聞や朝日新聞、日経などの全国紙デジタル版購読料の月間1,000円~4,000円より相当安い。加えて、毎日2回「Today’s Headlines (今日の新着ニュース)」としてその日の記事の見出しと短い要旨をズラリと並べて読む気を誘う。


値段も安いので購読しようと両紙への登録画面を辿ったが、支払い方法の欄で止まってしまった。支払いは勿論米ドルで、しかも銀行経由のカードでしか出来ない。日本から銀行経由で送金すると銀行手数料だけで最低3,500~4,000円以上かかり、しかも相手側の受取銀行から追加手数料を請求される場合がある。手許に米ドル紙幣を若干持っていて、書留で送金したいが、NYタイムズ、ワシントンポストともに現金では受取らない。銀行手数料だけで購読料より高い支払いをするのはバカらしい。


両紙ともに東京に日本支社があり電話番号も判っているが、共に記事の特派員事務所であり、購読料の受取りや有料登録などの事務的なサービスは提供していない。


海外ユーザ開拓のための勧誘宣伝には積極的だが、手続き面での配慮が欠けており、私のように登録したくても出来ないユーザがいる。機会を見て米国本社にメールで相談したいと考えている。






葬儀社の誤算


                                                          

私の家の近くに葬儀会館がある。かっての広大な農地の所有者が世代交代で後継ぎがいなくなり、止む無く不動産業者に売り出し始めた初期の頃に私が移り住んだのが後で判ったのだが、相前後して地元の葬儀社も土地を買取り葬祭会館を建設した。私の毎朝のウォーキング・コース沿いにある。


当時、私はまだ現役で葬儀の規模も派手な時代だった。社内の多くの部署と仕事上の接触があった私は、社員の親族に不幸があった都度、葬儀に参列する必要があった。ウィークデーなら勤務時間中に喪服に着替えて仕事を離れるが、香典は自腹だったため出費が大変だった。式場では他の部署の知人も多数参加していた。


葬儀会場では参列者や供花、弔電の数が故人とは関係なしに、遺族である社員の評価や格合いを反映していたのである。私は良く式場の受付をやらされたこともあり、葬儀の規模の違いを数多く体験したものである。


当時の葬儀は一般に参列者が多く、会場の葬儀会館の駐車場のスペースは不十分で、所轄の警察から道路の一時使用許可を取るのも遺族の大事な任務だった。それ程、参列者は多かったのである。


葬儀費用はボッタクリ商法と言われて高額で一時は社会問題に発展した。そのためか、或いは社会の人付き合いが希薄になったのか、葬式の規模は急激に小さくなり、最近は相当社会的地位にある人や有名人の葬儀も家族葬が主流になっている。


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私の町内にある葬儀会館も、葬儀が派手で参列者の多い時代に建設されたため、時代の要求に合うよう駐車場のスペースを多目に確保した。会館に隣接する30台の駐車場では不足と見て、歩道を跨いだ反対側に70台の第二駐車場を準備した。しかし、葬儀は殆どが家族葬で、第一駐車場すら僧侶と遺族だけでガラガラであり、第二駐車場が使われているのを見たことがない。


私と同様、土地価格が高い時代に購入したものだけに、葬祭会館も使われない駐車場のために高い固定資産税を払い続けていることになっている。




報道界の取材力は週刊誌がリード?



ジャーナリズムの原点は、権力の監視しとその暴走を国民に伝えることにあると良く言われる。「ジャーナリズム」という言葉は単なる事実の伝達だけでなく解説や論説も含んだものであり、狭い意味では娯楽分野を含まない時事問題に関する活動を指すとされる。


記事の取材には「発表報道」と「調査報道」がある。前者は記者クラブや記者会見で発表される内容を記事にするだけの受け身の取材だが、後者は自分達が書かねばならない事実を、独自の取材と自らの責任において報道することを指す。ジャーナリズムの原点である権力の監視と国民への伝達は将に「調査報道」に負う所が多い。従って、「スクープ」は調査報道の結果の発表手段である。


となると、全国紙やNHKなど全国をカバーする大手報道機関が絶大な取材力を持っている筈だが、最近の総務省スキャンダルなどは週刊誌の取材力が傑出しており、ジャーナリズムの原点を追う姿勢は週刊誌がリードし、大手報道機関は後追いに甘んじるか、豊富な論説陣による解説で補うことが多い。社会を動かしているのは大手報道機関でなく週刊誌との印象が強い。


「発表報道」などで記者会見の場に呼ばれるのは一部有力報道機関に限定され、それだけに権力の圧力を受けやすく、報道機関側からの自主的な「忖度」で報道姿勢が委縮し、国民の知る権利に貢献しないケースが良く見られる。国際的な機関である「国境なき記者団」による「世界の報道機関ランキング」では日本は77位の低位にある。


ただ、週刊誌の取材力が大きな印象があるが、豊富な取材チームを抱えている訳ではない。「週刊文春デジタル」の記事を読むと、記事の最後に「あなたの目の前で起きた情報を募集」する欄がある。つまり、読者にスクープのネタを募集しているのである。毎日新聞デジタルもこれを真似て「情報を“つながる毎日新聞”にお寄せ下さい」と募集している。


読者も提供した情報が社会を動かすことを期待して、積極的に応募しているらしい。「調査報道」の材料は巷から提供されているのが多く、一概に報道機関の取材力を示すものでもないようだが、この手法が進むと「監視社会」としてお互いが監視し合う警察国家に陥る恐れがある。




毎年変わる確定申告書類作成ソフト



僅かな年金以外に収入はないので、本来は確定申告の必要はないのだが、毎年の医療費支出がバカにならないので、確定申告をして少しでも還付を受けようとのミミッチー考えで申告書類を作成している。E-taxでパソコンから伝送すれば良いのだが、この方式が導入された時にカードリーダーを別に購入して市役所で発給されるカードが必要と判り、この購入費用を別に負担する必要があるのがバカらしく、自分で書類を作成・印刷して税務署に届けることにしている。


申告書類は国税庁ホームページに出ている「申告書類作成コーナー」からソフトが無料で利用出来る。ところが、このソフトが毎年全く同じものではない。入力方法が毎年どこか変更されている。特に不具合がある訳ではなく十分便利なソフトなので変更する必要は感じないのだが、毎年どこか手を加えられていて利用者に不便をかけている。


これで思い出すのは、現役時代に勤務していた企業がメーカーであり、多数の技術者を抱えている。いつも新たな開発テーマを抱えている訳ではないので手持無沙汰な日があるが、そうかと言って遊んではいられない。そこで今まで製品に使っていた市販の半製品、スライダック(可変変圧器)や小型モータ等を改造する試作品を設計する。改造しなくても本体製品の性能が上がる訳ではないが、自分の仕事造りである。


結果として、製品の顧客と相対峙する現場のサービスマンが、修理のため今まで市販の半製品を電気店で買って来て交換するだけで済んだものが、高価格・長納期の本社が改造したものを本社に発注しなくてはならなくなる。海外代理店からも現地で調達出来る市販品を使えず本社に注文しなくてはならないハメになる。ここには顧客志向の姿勢は存在しない。


これと同じ姿勢が国税庁のソフト開発部隊或いはその委託先に存在するのではいか。そうでもない限り、特に便利になってユーザを満足させる結果にはなっていない。毎年新鮮味だけを強調し結果が伴わないソフトになっている。


苦労して作った申告書類を、今年はコロナ対策で所轄の税務署に持ち込むには面倒な事前の予約がいるらしいので、地元の市役所が自治会ごとに指定する日の今日、出先の自治会館に持参し届け出を済ませた。




身近な男性社会



森元五輪組織委員会会長の「女性が多い理事会の会議は時間がかかる」発言が女性蔑視の姿勢として国内外から批判を受け、改めて日本の男性社会の実態が浮き彫りにされている。この発言が何故短絡的に女性蔑視につながるのか解釈が分かれるところであるが、我が国が戦国時代の「男性による家督相続」制度から綿々と続いた男性優位の社会が性差別意識の底流にある。


男性上位の考え方は日本だけではない。欧米でも、ハムレットの「弱き者、汝の名は女なり」のセリフで見られるように、現代社会では袋叩きに遭うような表現をシェイクスピアは平気で使っていた。それが時代と共に「レディ・ファースト」が紳士の礼儀とする社会に替わって来たが、それでも女性参政権など女性の社会進出が顕著になったのは極最近で、NYタイムズの訃報欄の記事に「The first woman in xxxxx」など「xxxxの分野で女性初の誰々」など「女性初」を勝ち取った人物は今でも身近にいる。世界では女性に運転免許を与えない、単独旅行を認めないイスラム諸国がまだ存在する。サウジアラビアが前回のオリンピックで初めて女性選手を送り込んだのがニュースになった。


振り返って我が身の周囲をこんな目で眺めて見ると、私の住む滋賀県は男性社会意識の強い日本の中でも各段に男性優位の習慣が根付いている。自治会の中でも女性部会以外の役職は全て男性であり、総会の席に着席する時は女性は初めから議長席の遠くを占め、後から来た男性が当たり前のような顔をして前の席に着いている。


所属するグラウンドゴルフ協会の会員約500名の内、女性会員は44%と約半数を占めるが、協会の理事会の理事47名の中で女性は3人で6.4%に過ぎない。私が理事を務めた5年前は女性の理事は1人だった。


月一回の月例コンペでは、理事は受付開始時刻より一時間早く会場に集まり、その日のコース設営やスコアカードの準備など力仕事が課せられる。冬場などまだ薄暗い早朝に家を出なければならず女性理事が出ない理由にもなっているが、本番の競技では女性参加者が上位入賞を独占して賞金をサラう時もあり、女性陣の間で「朝早い力仕事は男に任せておけば良い。私達女性は賞金稼ぎに専念すればいいや」と話し合っているのを聞いたことがある。


女性は男性優位の習慣を逆利用してチャッカリ利益を享受する特権も持っているのである。





何故菅首相長男の顔写真が出ないのか



総務省の高級幹部達が東北新社という聞いたこともない企業から37回も接待を受け、11人もの処分者を出すスキャンダルとなった。今まで霞が関の贈収賄疑惑と言えば、農水省、財務省、経産省、厚労省、文科省、防衛省など民間の利益享受企業と接触の多い省庁が思い浮かぶが、総務省にも及ぶとは意外だった。放送や報道分野などが管轄だが、許認可を受ける作業があったとは思い及ばなかったためである。


接待を繰り返した東北新社に菅首相の長男が勤務し、接待の主役を果たしていたことが判り、総務省に絶大な影響力を持つ菅首相が関与している疑惑が浮上したため、極めて熱を帯びた報道が続いている。


ところが、度重なる報道にも関わらず、事実上の更迭を喰らった総務省幹部達の写真は出ても、主役の東北新社勤務の菅首相長男、正剛氏の顔写真が一向に出ない。今は総務省を退いて内閣報道官に転出した山田真貴子氏は、総務省時代に一回74,000円もの信じられない額の豪華料理の接待を受けた報いで、テレビ画面や新聞紙上にデカデカと顔が出ている。


正剛氏がどんな顔をしているか、SNS上で「長男の菅正剛って、いつまで経っても顔写真がマスコミに出ない。随分間を持たせるなあ」など世論が騒ぎ出した。誰もが同じ興味を持っていると見える。そこで誰かが、週刊文春の記事から貴重な写真を見つけ出した。


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人の顔を見てその人柄を推測するのは不謹慎だが、成程中央官庁の高級官僚を招待し一緒に会食するには程遠い顔付きである。一人74,000円の料理を提供した料亭も、会食メンバーのアンバランスに驚いたに違いない。


しかし、何故メディアが揃って顔写真を報道しないのか。容易に想像出来るのは官邸から報道管制がかかっているに違いない。口うるさいメディアもいざと言う時には菅首相に対する「忖度」が働いているようである。日頃、国民の知る権利を追及する報道界も権力の圧力には弱い、これが日本の報道界の現状のようである。