どさくさ紛れで強行の都構想条例



大阪府・大阪市は、コロナ対策で緩和・規制を求めて右往左往している中、二度に亘って住民投票で否決された都構想を「一元化条例」と名前を変えて、どさくさに紛れて可決してしまった。住民投票とは一旦結果が出れば、それが最終となる筈のところを二度も強行したことに批判があった案件である。


二度目の住民投票で都構想が否決された時、旗振り役の吉村大阪府知事、松井大阪市長は「今後二度と都構想の言葉を口にしない」と敗北を認め、松井市長は任期満了後に政界を引退するとまで発表した。


その間もその後も、大阪のコロナ感染者は増えたり減ったりを繰り返し、一時は政府が緊急事態宣言発表を検討していた時には大阪は逆に減少傾向に向かっていた。そこで大阪は緊急宣言でなく、独自に自粛要請・解除を段階的に実施する大阪モデルを提唱、緊急事態宣言の対象地域だったレッドステージ(非常事態)から全国に先駆けてイエローステージに緩和した。直後に感染者数が急増して一日当たり東京を抜く程になって、果ては政府に蔓延防止策重点措置の要請を行うなど、右往左往の対策を講じた。その都度、営業時間の延長や短縮を要請された飲食業界などは堪ったものではない。


そんな混乱の最中の3月24日、市議会は府・市の二重行政を解消する「一元化条例案」を可決、4月1日施行を決定してしまった。元々、都構想は二重行政廃止を軸としていたので、単に名前を変えただけに過ぎない。異なるところは、都構想が大阪市を無くするところを、一元化条例は大阪市を存続させることだけである。ただ、一元化条例は骨子のみで細かい事業や組織などは何も決まっていない。これ程コロナ騒ぎで、吉村知事は連日テレビ生出演などで対策を提案している多忙な中を、一元化条例案可決を急ぐ必要は何もない筈である。


都構想は住民の草の根による運動でなく、日本維新の会の政治課題だったのである。住民投票の結果が出て、住民が疲れ切った後にコロナ騒ぎのドサクサを利用して都構想の名前を変えただけのごり押しの運動であった。


元々の提唱者である橋下元知事、吉村知事、松井市長の三人だけが集まった場では、絶対に公表出来ない言葉で喝采を叫んだに違いない。ただ内容不詳の条例だけに知事と市長の和が保たれている間は成立しても、愛知県のような間柄になれば実行不能となる案件である。