「政治家にとって言葉は命」



「政治家の言葉はとてつもなく重い」とは良く聞く言葉である。政治家にとって言葉は政治の推進力であり自分を位置付けるツールでもある。重みを感じさせる発言は国民を引き付けるが、発言が軽いとみなされると人心は離れてしまう。


従って政治家の言葉の軽重は脚本のような国会審議の質疑の場では出て来ない。記者会見やぶら下がり取材の中で、紙に書かれた原稿以外の表現が出て来るが、ここでも言質をとられたり揚げ足を取られることのないよう慎重に言葉を選んで発言される。しかもその言葉が後々の言質として記録され記憶されるので本音や真実が表現されることはない。


従って、最近の政治家の発言は心がこもっていない。逆に国民軽視でバカにしたような発言が多い。好例がある。昨年の参院選で広島の河井案里候補に自民党本部から異例の1.5億円の選挙資金が拠出された。内緒で出した筈のカネが自民党本部から出たものと早々と暴かれたのは当事者にとっては見込み外だったかも知れないが、これ程の巨額のカネが党総裁や幹事長の決裁なしで出る筈のないことは党内議員だけでなく世間の誰もが判る事実である。ところが、総裁も幹事長も「関与していない」とシラを切った。その釈明で国民が納得すると発言したのは国民をバカにした証左である。今回は国民からの突き上げでなく、党内からそんな説明では秋の衆院選挙は戦えないとの声が高まり、二階幹事長はあっけなく前言を翻して関与を認めてしまった。


大体二階幹事長の過去の発言の中には国民を軽視した、説明のつかない内容が多い。会食自粛下で8人もの人を集めてステーキハウスで会食した際も「会食するために集まった訳ではない」と訳の分からない釈明をした。河井夫妻の巨額の選挙買収事件を「他山の石としたい」と表現し、「自山の石ではないのか」と揶揄された時も「それぐらいの表現は許されてしかるべきだ」と発言し失笑を買った。「他山の石」の意味を知らないに違いない。


二階氏の筋違いの表現は他にも掃いて捨てる程ある。森喜朗氏の失言の数に比肩する程ある。要するに政治家としての発言の重みは全くない。その根底には国民軽視・蔑視の姿勢があるから始末に悪い。遅すぎた定年到達者として早々に表舞台から追い出して頂くべきである。





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