ジャーナリスト立花隆氏死去



「知の巨人」との代名詞があるジャーナリストの立花隆氏が4月30日に亡くなっていたことが今日のウェブニュースの速報で知った。最近は有名人の訃報が遅れて発表されることが多い。従来のように本格的な葬儀の習慣が廃れ、相当の有名人でも家族葬で済ませるため遺族が積極的に発表しないためだろう。今迄私より2才年長と思っていたが実際は1940年生まれで逆に2才年下だったらしい。


同氏の出世作は「田中角栄研究、その金脈と人脈」が有名で、月刊誌文藝春秋に掲載された時は発売当日に売り切れたという。私はその頃は毎月文藝春秋を愛読していたが、たまたまその月は発売日に海外出張中で買いそびれ、帰国後評判を聞いて馴染みの神田の書店に走った時は当然売り場にはなく、当時の文藝春秋社では売り切れても再版しなかった。事後に単行本で読むことになったが、時流遅れの感があり残念に思ったことを今でも覚えている。私の30才台前半のことであった。


その後は同書店の勧めで文藝春秋の定期購読を登録した結果、発売日に遅れても入手することが出来た。その頃に立花隆氏の「私の東大論」が文藝春秋に掲載が始まり、回が進むにつれてのめり込んだ作品だった。初回の「東大生諸君、教養とはどんなものか教えてやる」で始まる記述は今でも覚えている。当時、氏の言によると「東大生は何故バカになったか」が作品発表の基礎になっている。


この作品は回を重ねる程に同氏の当初の意図が大きく転換し、教養講座から東大を中心とした日本の近代史に向かった。東大と言えば、安田講堂事件で良く知られるように、左翼の震源地のように書かれており、またそのように一般的に理解されているが、「私の東大論」は美濃部達吉のライバル上杉慎吉や国体学者平泉澄など右翼思想者に光を当て、東大を右翼運動というもうひとつの反体制の震源地として詳細に記述している。連載は長期に及び東大だけでなく明治以降の近代史を理解するのに大いに参考となった。連載終了後は書名を「天皇と東大――大日本帝国の生と死」に改め全2巻の大書として発売されている。


立花隆氏は文藝春秋に多数の連載があり、テーマの範囲は医学から宇宙科学など広範囲に及び科学に弱い私には歯が立たない作品が多く到底読破出来なかった。文字通り「知の巨人」の生涯だった。多病に苦しまれたようだが安らかに眠られることを祈念する。


合掌。