社会常識の変遷とその評価



東京五輪の開会式で作曲担当に委嘱されていた小山田圭吾氏が、小学生から高校生時代の長年に亙る障碍者生徒に対する虐め・暴行を繰り返していた事実を26年前の音楽雑誌に掲載されていたことが指摘され、東京五輪の制作メンバーとして不適当と批判されて開会式直前に辞任した。


公表された暴行行為の内容は、本人も「今考えると本当に酷いことをしていた」と自認する程の残虐さで決して許されるものではない。氏は今年52才だから、いじめを繰り返していたのは30年から40年前、その事実を音楽雑誌に発表したのが27年前である。ウィキペディアによると、以降は氏の活動は極めて広く国際的にも高く評価されていたらしい。にも関わらず、その間当該の雑誌記事の内容が批判されることはなく、今回突然世間の目に晒され、日本の国家事業である東京五輪開催に暗雲を覆う事態に発展した。過去に犯した行為は決して正当化されるものではないが、「しかし、今更急に何故?」の感もある。


学校での「いじめ」は今では世間の厳しい批判を受けるが、30~40年前と言えば今の社会常識程大きな問題にはならず、子供の悪戯と鷹揚に見られる面もあった。尤も「いじめ」の内容も今ほど陰湿ではなくジャイアン的なものだった面もある。


社会常識が変わっている似たような話に、生活の中の差別表現がある。明治・大正の文豪の作品には今では許されない差別表現がワンサとある。従って、今書店に並んでいる当時の作品の但し書きに「本書のなかには、今日の人権感覚に照らして差別的ととられかねない箇所がありますが、執筆当時の時代背景を考え、該当箇所の削除や書き換えは行わず、原文のままとしました」と注記されている。文芸作品だけではない。手塚治虫や白土三平など漫画にも残っている。


これら偉大な先人が生存していて、もし東京五輪の実行委員として選任されれば、今回のように過去の許せない表現の作者として非難されるのだろうか、その年限はいつまで遡るのだろうか、そんな思いがチラッと頭をかすめた。










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