まずいと判っていたが、後で謝れば許される寛容な社会



本来は正しい表現ではないらしいが間違って使われる言葉に「確信犯」というのがある。調査によれば、この言葉を使っている人の70%は間違いらしい。間違いでありながら、そのまま正しい表現として定着してしまっていて、私もそれを聞かされながら間違って使っている。


コロナ禍で緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置で、公的に夜間の飲食を伴う会合の自粛や禁止を要請されていることを承知していながら歓送別会などで会食が暴露されるニュースが相次いでいる。マスコミに取り上げられる大部分は自粛要請を発表したご当人の公的機関の関係者であり、国会議員や地方議員、官僚も含まれる。中でも自民党幹事長などは私の知る限りでも二回ある。つまり「確信犯」である。従って、民間人は余程の大手でない限り表面には出ない。


名前を暴かれて釈明する言葉は、「今から思えば配慮に欠けていた」とか「不謹慎だった」が多い。禁止されていることを承知していたことを暗に認める言葉であるが、ここには謝罪している気持ちはない。


「民間は余り表面に出ない」と言ったが、あまりに悪質な「確信犯」と大きく取り上げられたのに、『愛知密フェス』と略称される名古屋中部空港横の国際展示場で開催された野外音楽イベント「波物語2021」がある。許容人員を大幅に超える8000人が密集、酒類を提供し、マスクを外し、唾を飛ばす歓声許容など禁止条件を全て逆なでする好き放題のご乱行である。愛知県はこのところお騒がせイベントが続くが、流石の大村知事も「主催者と連絡も取れない。極めて遺憾だと厳しく指弾し、今後の県施設の利用を拒否する考えを示した」とお冠である。


主催者のコメントはなく、出演者は「国民の皆さんに多大なご心配とご迷惑をお掛けした事、ヒップホップシーンを牽引する立場として責任を感じています」と発表した。ここにも謝罪の表現はない。まずいと思っていたが後からコメントを出すだけで事足りるとの姿勢が明らかである。



リモート同窓会



京都の企業に中卒で入社した同期の会合を早くから開催している。終戦後7年で当時の中学卒は「金の卵」と言われながらも超就職難時代で、入社合格率は社内でも記録に残る難関を突破した78人(内、女性10名)の集まりである。その内、多くは夜の大学を出た後に大卒の肩書で転職した仲間が多かったが、転職後もこの同期会に幾人かが出席を続けた。会社に居残った人間もその能力を買われて地方の支社・支店に転勤したが、事情が許す範囲で参加したので、長期に亘って参加人数の多い社内でも評判の結束力の強固な会合だった。


毎年一回の総会には多数が参加し、別に年一回の貸切バス旅行に多くの出席があり、加えて10~15人で構成される定期幹事会が3ヶ月に一回開催され結束と懇親を深めて来た。全員が定年退職した後もこれらの行事を絶え間なく65年以上も続けたが、この集まりにも新型コロナの影響を受けることになった。遂には、コロナ終息まで自粛する申し合わせとなったが、会員の年齢が80才を越して仲間の中から物故者が出始めた今、再開の希望は極めて薄い。


そこで、仲間の中で早くから私学の有名大学の教授になった男がいて、ZOOMによるオンライン同期会をやろうと持ち掛けて来た。彼は職業柄、オンライン授業には馴れている。80才を過ぎた仲間から何人が対応出来るか反応を求めた所6人の経験者がいた。大学の社会人向け講義にZOOMを使って参加していたと言う。私はSkypeの経験があるがZOOMはやったことがない。ネットで調べて見ると日頃PCをやっている人には簡単にソフトがインストール出来ることが判った。


結局7人でスタートすることになった。今迄の同期会に比べ大幅な人員減だが止むを得ない。代わりにその中の1人は東京在住で今まで殆ど同期会に参加出来なかった友人がいてZOOMメンバーに参加することになった。リモート会合の利点である。


その第一回会合を本日開催した。Tシャツ1枚着用でコーヒーカップ片手の気楽さがある。予定の1時間が瞬く間に過ぎ、来月の再開を約して閉会した。新しいメディアであるが有意義な会合だった。






組織のトップの関与と責任



政治家の不祥事が摘発される都度、「秘書がやった」と自分の関与を否定して自分の責任を回避するのが良く取られている手段である。事実、最終的には秘書が全ての責任を負わされて罪に服し表舞台から追い出され、疑惑の政治家は無風状態で知らぬ顔をしているのが一般的である。世間ではこれを「トカゲのしっぽ切り」と表現している。


一方、企業犯罪などでトップがタッチせず、その事実も知る立場にある筈がないと一般的に理解される実務的・事務的なミスでも、トップが監督責任・管理責任の名で責任を問われ、給与の何か月間を返納するなどの責任を取らされることも良くある。組織の上下関係という点では企業も政界も同じでありながら処罰の扱いに差別がある。


そんな組織の長の関与を糾弾する裁判が福岡地裁で特定危険指定暴力団である工藤会総裁とナンバー2というトップに対して行われ、死刑と無期懲役という極刑が求刑された。過去4件の殺人や傷害事件に対する二人の関与を認めた判決であるが、認定する重要要素である具体的な自白がなく間接証拠の積み上げによっている。刑事裁判でのトップ関与の立証は困難だっただけに画期的な判決となった。


専門家は、『上位下達の特殊な集団という前提などを基に共謀を認めており、今回はそれをさらに進めた判決と言える。直ちに企業犯罪に応用されることはないだろうが、強固な組織性を持つ政治集団などへ適用できる考え方でもある』として、従来の政治家に対する甘い取り扱いへの適用を示唆したコメントを述べている。「強固な組織性を持つ政治集団」とは不祥事多発の政権与党を差すのは明らかである。


今回の裁判はまだ先の最高裁まで持ち込まれることはほぼ確実だが前記専門家は、『以前に組長のボディーガード役による拳銃所持で組長の共謀が問えるかどうかが争われた通称「スワット事件」で最高裁(2003年)は上位下達の特殊な集団という前提などを基に共謀を認めていた』例を引いていることから、これも最高裁の良き判例となる期待がある。











日本は首相を国民が選べない



東京五輪が終わると、政局は自民党総裁選挙とそれに続く衆院総選挙に焦点が当てられる。その動きは既に東京五輪以前から水面下で動いていた。総裁選挙日は五輪の評価如何により日程が決められたのである。総裁選は自民党という一政党の内輪行事に過ぎないが、現在の政権党であり、その総裁が自動的に国の首相となるので非常に重要な国家行事である。


ところが日本は世界の他の多くの国々と同様、議員内閣制であり国民が直接投票で首相を選ぶことが出来ない。大統領を直接選挙で選ぶ(厳密な意味での直接投票ではないが)米国の昨年秋の選挙戦のような熱気は生じない。しかし日本と同じ議員内閣制の英国やドイツで首相を選出する場面では日本と違った国民の関心と運動がある。これらの国では、首相候補者が夫々の政策や主張を国民に向けて発表する政策論争を展開し、国民の評価を議員が受け止めて選挙に反映するので、国民の意思が目に見える形で現れる。


一方、日本では首相候補の政策が発表されることはなく、党内の派閥の支持・推薦に従う議員の数と地方の党員数の多寡により決められる。派閥を牛耳る長老の政治と揶揄され、議員は国民の声を代弁することなく自己護身と利益のために投票するのが普通である。そこには首相候補者のみならず、投票権を持つ議員や地方の党員の政策・主張が開示される機会や場がない。従って、自分の国家観や政策、主張を発表する能力のない首相や議員が誕生する由縁がこんな所にもある。国会で、聞かれたことに答えない、説明能力がない、自分の言葉がなく官僚の作成したメモや資料を棒読みするだけとなるのは当然である。


その顕著な例が菅首相である。政策を発表する自分の言葉がなく、従って国会や記者会見を忌避し、権力による人事権の行使にのみ魅力を感じるやり方が猛烈な批判を浴びて支持率は最低を記録した。自民党内でも菅下ろしの声が表面化し初め、支持を表明した派閥の長老も落ち着きがなくなった。元々無派閥で、勝ち組に乗るだけの多くの派閥の支持を得て首相になっただけに風雲急を告げて来た。チャンスと見て名を挙げたのが岸田氏である。ところがこちらも政策面で優位を誇示出来る意見を持たない。


「不毛の選択」という言葉がそのままピッタリの自民党総裁選である。






滋賀県にも緊急事態宣言



不謹慎なことながら、東京や大阪などで過去繰り返し発令されていた緊急事態宣言であるが、その都度対岸の火事として外野席から眺めていた。総人口や人口密度、人の動きなどコロナ感染の危険が高い条件は我が滋賀県は比較的軽度だったのである。勿論、県や各市町村は早くから地域内の感染状況を毎日発表し県民に注意を促していた。


県内にも企業大手や大学も多く進出しているが、歴史的には大阪・京都に勤務、通学する人のベッドタウンの性格が強い地理的な性格を持っている。人の流れはこの二大都市との往復に多くが集中している。一方、他府県から押し寄せる魅力的な観光スポットは夏季に琵琶湖周辺に散在する水泳場やぬいぐるみの草分けである“ひこにゃん”の彦根を除いては特筆すべき場所もなくテーマパークもない。日本で動物園のない唯一の県としても知られ、都道府県の中で印象の薄い、魅力に欠ける県として有難くない評価を得ている。


それだけに新型コロナ感染は大阪・京都との人の流れの過程でもたらされた印象が強い。ところが一端県内に導入されると、鼠算のように拡がり遂に緊急事態宣言の対象となるところまで来てしまった。あたかも琵琶湖に生息するブラックバスのような外来魚のようである。


昨日、県及び各市町村から緊急事態宣言の適用期間が始まる今日8月27日より9月12日まで、不要不急の外出自粛、公共施設の利用制限或いは閉館などの施策が発表された。私が所属しているクラブの上部機関である市のグラウンドゴルフ協会からも緊急事態宣言中は、河川敷の常設グラウンドゴルフ場を閉鎖するとの通達があった。丁度、クラブの月一回のコンペを昨日開催した直後で運が良かったところである。


しかし、高齢者として数少ない楽しみの一つが、常設グラウンドゴルフ場の閉鎖で実行不可能となった。暫くはウォーキングだけで運動不足を解消する生活を続けることになる。歩けることだけが幸いである。





障碍者スポーツ用具の板バネ



今日から東京パラリンピックが始まる。世論が分断された東京オリンピック開会前の騒ぎに比べ、何となく静かである。組織委員会の公式コメントもなく、小池東京都知事も表面に出て来ない。自民党総裁選挙や衆議院選挙目的の政治的効果が期待外れだった菅首相の露出度も低い。一寸した差別的扱いすら感じる。


差別的印象と言えば、昨日甲子園で行われた全国高校女子硬式野球選手権大会の決勝戦の扱いでも感じた。球界歴史上初の女子チームによる甲子園出場である。記念すべき出来事の筈だが、男子の桐蔭・近江高校の試合が終わった直後、それまでの実況放送が途切れ、今朝の新聞スポーツ欄の扱いも思ったより少なかった。負けた方のチームだけでなく、優勝した学校も記念の甲子園の土を持ち帰って良い程の記念大会だったのに残念だった。


私のパラリンピックの差別的な印象として記憶しているものに、跳躍競技で使われる競技用義足がある。踵側に大きく湾曲したブレード(板バネ)と呼ばれるカーボン繊維製の義足で跳躍力を高める。カーボン繊維製と聞いて私が若い頃利用していたスキー板を想起した。しなやかで豊かな弾力がある印象である。こんな補助具をつけるのは障碍者の越権ではないか。北京パラリンピックで南アフリカのピストリウス選手が好タイムで優勝した時に特にそんな印象を強くした。


しかし、その後この考えが間違いであることを思い知らされた。バネの力を借りると跳躍力が飛躍的に伸びるのは当たり前と言うのは健常者の思い上がった見方である。パラ競技でこの補助具を付けるのは片脚を失った又は少なく共、膝下を切断した選手である。失った脚が健常者のような跳躍力を発揮する筈がない。しかもこの特殊な義足は競技用に使用するもので、日常生活では使用していないと言う。つまり日常使い慣れていないのである。その用具を使って見事な記録が出せるのは驚異的ですらある。


パラリンピックは脚を失った人だけの集まりではない。視力・聴力を失った人、走ることはおろか歩くことすら出来ず車椅子生活を余儀なくされている人が人智を越えた能力を発揮し競技する場である。残念ながら観衆なしとなるが一部学童だけは招待されると言う。障碍者を見世物にする訳ではないが恰好の教育の場となる。学童だけではなく、他の障碍者も招待して勇気を与えることは出来ないのかと思う。






菅総理を支持する理由は何か



選挙前後とかことある毎に「内閣支持率」とか「菅内閣支持率」と称した世論調査結果が発表されるが、正しい表現は「菅首相個人の支持率」のことではないか。現在の閣僚も自分の評価のことではなく、首相のことだと他人事のように理解しているに違いない。発表するマスコミも支持率が下がる毎にイキイキとした勢いづいた論調すら感じる。本日23日の横浜市長選挙後のANN調査では支持率は実に25.8%、「支持しない」は現政権発足後最高の48.7%となった。


世論調査結果の評価では、不支持の理由として「新型コロナ対応評価せず」、「コロナ禍の中での五輪強行」、「ワクチン接種の進捗の遅さ」などいつもと変わらない原因が挙げられているが、それだけで調査のたびに評価が下がる理由にはならない筈である。首相個人の資質としては「期待が持てない」と「リーダーシップがない」が最多の27.1%で並んだとあるが、どれも具体性に欠けるのは質問項目が限定されている都合と思われる。


それでも支持する人が25%強もある理由は何かのトップは「他に適当な人がいない」で、次いで「首相を信頼する」、「誰でも同じ」と続く。「首相を信頼する」(6.5%)だけが本当に首相個人を評価する層だが、他はどちらかと言えば「支持する」カテゴリーに入らない。では「信頼する」とした人達はどんな層の人で、その具体的な理由を首相としても知りたいところだろうが、これも世論調査という画一的な質問項目に縛られている結果である。世論調査の限界はこんなところにあり、本来なら自由な意見を逐一取りまとめたいところだろうが、支持・不支持の大枠だけの調査が主眼なので止むを得ない。


支持する層に対し、菅首相が国会を開かずテレビ・ラジオで国民に話しかけることもしない、やっと記者会見を開いても質問には答えない、答えても「真摯に受け止める、謙虚に受け止める」と自分の言葉ではないこんな国民軽視の姿勢で支持が得られると思うかなど具体的な例を挙げて質問するとまた違った調査結果が出るに違いない。




再々々々々々発防止策の作成と公表



多くの企業や商店などの給料振込や支払いが集中する20日にみずほ銀行にまたシステム障害が起こり窓口業務がストップした。「また」と書いたが実際は5回目である。過去4回の事故を含めて、障害の原因は究明されていない。少なく共、公表されていない。


私は現役時代、メーカーに勤めていたが営業部所属だったので直接クレーム対応には当たっていないが、顧客との窓口であるため「お宅に点検・修理を頼むと、海外にも関わらず3人の技師がやって来る」と皮肉を言われたことが良くある。3人とは電気系・機械系の専門家に加えコンピュータ技師である。私の先輩技師から、「昔はコンピュータ(CPU)が内蔵されていなかったため、電気と機械面を一人でやらされた」と聞いたことがあるが、最近は先端技術導入により夫々の専門知識と技量が求められ、一人で対応出来ないらしい。丁度病院で「内科」と言っても、消化器内科・呼吸器内科・小児内科など細部に亘っているのに似ている。


みずほ銀行の過去4回の事故について、その都度再発防止策が検討され、第三者委員会も介入したと言われるが、ではその時の報告書に記載された原因・再発防止策はどんなものだったかは公表されていないようである。私は所轄の税関支署長から業務上のチョンボを起こした時に「では再発病施策を講じます」と口頭説明しても許されなかった。再発防止策の具体的内容を文書にして提出せよとの指示である。高度先端技術の専門用語満載の文書にして目を眩らませようとしても通らない。最近はお役所も技術系の職員を多数採用していて誤魔化しが効かないのである。勢い真面目な対応となる。同じ失態を起こすと、それこそ輸出不許可とか営業停止などで息の根を止められるので、再発防止策には技術部門、品質保証、法務部など多くの部門を総動員した真剣なものであった。


今回のみずほ銀行もコンピュータのハード(機械)の故障か、システムそのもののトラブルかを解明し、今まで4回の再発防止策を含めて内容を公表し世間の評価を受けるべきである。みずほ銀行が富士銀行など旧3銀行の合併により、夫々のシステムを統合した困難を挙げても「それはオタクの内部事情」として世間は承知しない。






スポーツマンシップのモラル欠如の乞食巨人



日本ハムの中田翔選手は、今月4日に同僚選手に対して暴力行為を行った結果、日本ハムよりは無期限出場停止、コミッショナーよりも同11日に野球契約規則により「出場停止選手」として公示されていた。ところが、その僅か9日後の20日に突然巨人移籍が発表され処分解除となった。誰もが唖然としたが、巨人ならやり兼ねないとの感を持った。


移籍を受け入れた巨人原監督は、「有能な選手をこのまま見殺しにする訳には行かない」との理由で引き取るらしいが、野球契約規則に「出場停止選手」に該当することは余程の暴力行為である。野球王国の日本で頂点の位置にあるプロ球団の選手はその技量・能力を誇示すると共に、スポーツマンシップを実行する鑑とならねばならない責務がある。それ相応の報酬も保障されている。


出場停止の罰を喰うとそれ相当の謹慎期間が必要である。それが9日位の期間では世間に対する示しにもならないばかりか、罪を犯した本人の反省を促すことにもならない。むしろ、暴力行為を起こしてもプロ球界は罰することはないとの実績を残すことになる。そんな人物を喜んで引き取る巨人も球界のリーダーを自認する組織の態度ではない。9日で禊ぎが済むのであれば不祥事連続の自民党議員は喜んでそれに習う。


野球少年時代、ガチガチの巨人ファンで銭湯に行って16番のロッカーが使用中なら、使用者が戻るまで待ち続けた私であるが、長嶋監督になって新人を育てず、他球団で出来上がった有名選手を引き取って補充するやり方に嫌気を差して巨人に熱が冷めた元巨人ファンOBの私であるが、今回の理不尽な行為に益々厭になりアンチ巨人に転向する結果となった。


今まさに甲子園で熱戦を繰り広げる高校球児に対し、少なからず悪影響を与えあるのは必至である。









黒塗りの文書開示の意味



名古屋入国管理局に収容されていたスリランカ女性が死亡した問題で、弁護団による関連資料開示要求に対し、提出された文書1万5千枚余りが全て黒塗りされていたと発表された。開示された文書の費用は16万円だったと言われる。


なんとも人をバカにした行為である。資料開示要求は事件の経緯を検証する目的であることは入管も先刻承知の筈である。資料要求をしたのは、文書の中に記載されている「情報」の開示要求であり、文書として情報が記載されている紙ではない。ソフト(情報)の開示であり、ハード(紙)ではない。私はこの関連法律には詳しくないので、文書の開示ではなく情報の開示の規定の有無を知らない。従って、「開示を要求しているのは情報であって文書ではない」と条件を付けて請求出来るかどうかの知識はない。


総務省による現在の情報公開制度のトップページには「開示出来る文書と出来ない文書」との説明があって、「開示請求出来るのは文書」であり、「情報」の言葉は「不開示情報が記載されてある場合」とか「不開示情報としては次のようなものが定められています」と開示出来ない場合に使用されている。端的に言えば、開示出来るのは文書であり、情報は不開示と使い分けられている。このことから、開示請求出来るのは文書に限定されているようである。


総務省の規定によれば、開示出来るのは「開示請求があった時、行政機関の長又は独立行政法人などは、不開示情報が記載されている場合を除き、行政文書又は法人文書を開示しなければならない」と冒頭に2行だけ記載されているが、「不開示情報」は「開示請求の対象ではないもの」を含めて30行以上も長々と微に入り細に亘って規定されている。つまり情報公開制度の説明は、情報の非開示を主に置いたものになっている(こちら)。


これが根底にあれば、今回の黒塗り文書の提示は法律にかなっているようだが、では1万5千頁に亘って消された部分は非開示出来ないどの項目に該当するのか逐一説明されなければならない。一方的に黒塗りして隠した紙で説明責任を果たしたことにはならない。


今の総務省の情報公開制度の規定も、その名の通り「情報を公開する制度」に改めるべきである。






今日読み終わった本―「風林火山」



今日読み終わった本:


「風林火山」 井上靖 国民の文学20(河出書房)昭和42年8月版 


昨年秋、胃の摘出手術を受けて以降、コロナ対策で外出自粛の影響で定期的に利用していた市立図書館に行かなくなった。図書館で本を借りると返本の時に新たな本を借りることになり、三週間毎に通うことになる。勢い読書の機会が増えることになるが、それがこの9ヶ月間途絶えている。読書好きとしては今まで考えられないことだが、小さな字が読み辛くなって来たのが後押ししている。しかし、不要不急の外出自粛で巣籠り生活が増えると時間を持て余す日が増えて来た。加えてこのところの大雨続きである。我が家の本棚に並んでいる書籍の中から長年手を付けていない本から選び出す気持ちになった。


目に付いたのがこの本で、昭和42年発刊という古いものである。河出書房の「国民の文学全集」シリーズの一つで、菊版箱入りの豪華版で一冊590円とあるからかなりの時代ものである。肩の凝らない小説を収めた全集で本箱にズラリと並んでいる中から引っ張り出した。


たまたま目に留まって選び出したが、夏目漱石や芥川龍之介のような繰り返し読んだ文学作品と異なり、中味をスッカリ忘れてしまっていることも読み始めた理由になっている。「風林火山」という題名から川中島合戦の歴史小説とは思ったが主人公は武田信玄ではなく山本勘助の物語である。他に主人公がいて後年の信玄になった武田晴信の側室の由布姫で後の武田勝頼の母となる女性を配置している。戦国物語には珍しく女性を表舞台に出した物語で、主人公の山本勘助がこの姫のために活躍する物語となっており、従来私がイメージしていた智謀と戦略士とは異なる人間味の深い人物として描かれている。


期待していた上杉謙信や川中島合戦に関する記述は奥に押しやられた寸景としての取り扱いだった。





日航機墜落事故から36年経った現在



日航機ジャンボ123便が御巣鷹山に墜落し、乗員・乗客520人が犠牲になった世界最大の航空機事故が起こったのは1985年8月。丁度私が海外駐在から帰任したほんの数ヶ月後のことなので良く記憶に残っている。まるでバスに乗るように頻繁に航空機を利用していた駐在から帰国直後のことで、思わず戦慄が走ったことも良く覚えている。この大惨事をめぐって未だに裁判が行われていること、長年に亙って原因が解明されていないことなど今に至る問題が山積していることを今回の回想特集記事で知らされた。


その中で、今は聖地とされている事故現場保存に地元の村が多額の費用負担をしていることを初めて知らされた。毎年事故の悲惨さの回想、遺族の行動に焦点が当たった報道が中心となり、聖地保存管理の状況まで及ばなかった精もある。ところが、事故よりこれだけ年月が経過すると、事故現場の尾根に至るまでの整備された登山道やアクセスの道は劣化して来る。管理が行き届かねば雑草が生えるままになり、最近のような豪雨が続くと土砂崩れ、落石、などの被害が出て来る。経費は当然日本航空と国が支弁して来たと思っていたが、3年間で計4億円の復旧工事の内の8割までであり、残りは人口1000人の過疎化が進む地元の村が乏しい一般会計から負担している。


この事実は意外だった。事故には何ら責任のない地元が何故支払わねばならないのか。村長は「御巣鷹の尾根を守ることは村を守ることであり使命でもある」と言い切るが、理解に苦しむところである。


一方、事故の原因そのものについては調査報告書が出ており、世間の同意を得たものと思っていたが、今回毎日新聞デジタルの政治プレミアムに出た特集によれば未解決の疑惑が凝縮している(詳しくはこちら)。航空機事故究明の最も重要な証拠資料とされるボイスレコーダーの開示要求も拒否される信じられない事実や自衛隊訓練艦からの誤爆説を裏付ける証拠となる尾翼が静岡県沖の海中に沈んでいるのが発見され、簡単に引き揚げ可能な場所だがその後の動きがないなど、数多い謎が全て隠蔽されているとこの記事は指摘している。是非精読の必要のある記事である。


これを読めば、日本は如何に証拠を隠蔽する社会であるか、全てが開示されて検証されれば、我々が教えられた日本の歴史が書き換えられるのではないかと思わせられる程である。








連日の大雨の影響



テレビでは終日、佐賀・長崎・福岡・広島などで大雨特別警報を発令、最大級の警戒を呼び掛けると共に、各地の被害状況を生々しく報じている。


我が滋賀県もこの数日、昼夜を徹して大雨が続いており、全県に土砂災害警戒情報が発表されている。事実県内の一部で川の護岸崩れと流出、県道の冠水、住宅の床下浸水、河川の氾濫などの被害が出ている。


私の住む守山市は、市名に「山」がついているものの実際には県内で唯一山のない市で崖崩れの心配はない。氾濫の惧れがある一級河川も遠いので浸水の心配はなく、天災フリーの安全地帯とされていた。ところが意外な所に危険が潜んでいた。下水道の処理能力の限界、鉄道のガード下(アンダーパス)の浸水など人為的な生活設備による被害である。


この度、市の下水道事業所より下記のようなメールが配信され、市のホームページにも掲示された。


『昨日から続く大雨の影響により、市の下水道施設の処理能力が限界に近づき、マンホール等から汚水が溢れる可能性が増しており、上下水道の使用の自粛をお願いしております。現在、施設の監視を行っておりますが、依然として使用自粛を解除するには至っておりません。ご迷惑をおかけしますが、引き続きお風呂の水などの大量の水を流すのを控えていただきますようお願い申し上げます。なお、自粛の解除につきましては、回復の目途がつき次第ご連絡いたします』


成程、こんなところに盲点があった。今のところ、隣接する市や町で報じられているようなマンホールからの地下水の吹き出しやマンホールの蓋の流失などの被害は市内では報じられていないが、事業所が点検に見回った結果の予測なので現実味がある。


しかし困った。「上下水道の使用自粛」と一言で言っても現実には実行は容易でない。上水道の使用自粛は殆ど実行不可能である。下水道の使用自粛もトイレを我慢することは出来ないし、流し出すことも控えられない。市も妙案がないらしく、精々風呂水の大量放水の自粛くらいしか例に挙げられないようだが、これもいつまでも貯めておけない。


生活水準の向上は衛生環境を劇的に改善したが、こんな不利益も伴っていたことを知らされた。




相次ぐベテラン議員の引退



今秋に予定されている衆院議員選挙に出馬せず引退を表明したベテラン議員が相次いでいる。伊吹文明元衆院議長、竹下亘元自民総務会長、塩崎恭久元官房長官、川崎二郎元厚労相、太田明宏前公明党代表、赤松広隆元衆院副議長、最近では大島理森現衆院議長などでその人数は本日現在で25名を越え、自公が政権に返り咲いた2012年の衆院選で出馬しなかった43名に次ぐ世代交代の波と言われている。


上に名前を挙げた人々以外の面々を含めて眺めて見ると、流石はベテランを言われるだけに今の現役閣僚や党幹部の資質や不十分な議会対応とは一味違う力量の持ち主で、現行でも既に世代の格差が存在していたことを想起させる。


中でも私の特に印象に残っているのは大島衆院議長で、政府による公文書の改竄や隠蔽、虚偽のデータの提供などが相次いだことについて「民主的な行政監視、国民の負託を受けた行政執行といった点から、民主主義の根幹を揺るがす問題」と指摘し行政府と立法府の双方に自省を求めた所感を安倍首相と菅官房長官(いずれも当時)に提出した。この時、私は日本の政界にもかかる骨のある議員がいたのだと見直した。大島議長は首相や官房長官より年長者だから言えたのではない。議員や官僚の中で年長者でも、自分の首を握っている二人に反抗する意見を言えた人はいない。いくら三権の長と言っても、この二人が裏で策を弄せば議長の座が保証されるものではない。


議長の所感は将に正論で反論の余地はない。官邸がこの所感を受けてどう反応するか興味を持って見守った。結果的には官邸は回答を求める意見ではないと握り潰してしまった。二人は議長に反論する程の所見と表現力に欠けていたので、自分達の公文書改竄・隠蔽を暗に認めてしまったことにある。この経緯は後世に長く語り継がれるに違いない。


日本の学生や若者は、諸外国と異なり社会の中で自分の意見を発表したり行動を起こさない、ディベート能力がないと韓国や香港からバカにされているが若者だけではない。国の指導者にして既に同じである。菅総理は国会を開くのはおろか記者会見すら行わない。引退を表明したベテラン議員達に比べると、現役の議員達の質的な劣化は益々顕著である。






噛まれた金メダル



昨日の英国BBCニュースを見ていたら大きな写真付きで「噛まれた東京五輪金メダル交換へ」の見出しが目に入った。海外有力紙の現地報道記事だから「まさか」と思ったが案の定河村名古屋市長の失態報道だった  (原題:Tokyo Olympic gold medal replaced after first gotten bitten)。


金(gold)は硬い性質のある金属類の中で珍しく柔らかい物質である。純度が高くなる程、柔らかさが増す。純度は普通パーセントで表示され、ファイブ・ナインと言って99.999と表示のあるものは純金と位置づけされているらしい。


南米コロンビアは世界有数の金の産出国であり、首都ボゴタ市にある中央銀行の横に黄金博物館(Museo de Oro)が隣接していて私も数回見学したことがある。


最初に案内される一室に入ると一寸先も見えない真っ暗闇である。ガイドが最初の説明をしている間に眼が闇に慣れてしまうと、「ではこれから内部をご覧頂きます」の声と共に明かりが点けられると周囲は全ておびただしい黄金がガラスケースに収められ、一瞬全室黄色の波の中に身を置く演出になっている。館内では原石の産出から精製の工程が紹介され、最後の純金の延べ棒や遺跡からの発掘物の他に薄い板が陳列されている。微風の中でゆらゆらしている様子が純金とは如何に柔らかな物質であるかを理解させる。


オリンピックで金メダルを噛む習慣は、貰ったメダルが本当に純金なのかを確かめるために始まったと聞く。メッキでなく純金なら噛むと歯形が残るので容易に確かめられる。歯形の残り具合で純度の度合いが推定出来る。実際に五輪会場で授与される金メダルに歯形が付くかどうか私は知らないが、貰った選手が自分の歯型が残るメダルなら知人に自慢して見せられる。その意味で、銀メダルや銅メダルまで噛むのは歯形が残らないので意味がない。


咬まれた金メダル.jpg

河村名古屋市長は、今回とは別にこの春地上に下ろされた名古屋城の金の鯱も噛んだと言われているので、金の純度を確かめる方法として知っていたようである。しかし、他人の所有物であるアスリートの金メダルまで噛むのは許されない。それも写真を見るとメダルの隅を少し噛むのではなく、ガブリと奥まで噛んでいる。東京五輪の金メダルが歯形が残る程の純度であれば、貰った選手は気持ち悪くて市長の歯型の付いたメダルを知人に見せられるものではない。


上掲画像はBBC記事より借用。










検証をしない国家



文法用語で「仮定法過去」というのがある。「過去の事実に反する仮想」と聞いたら思いは直ぐに学校の教室に飛ぶが、英語だけではなく多くの国の言語にもある。勿論、日本語でも頻繁に使われているが特に意識していない。例えば、「あの時に金を持っていたら、パソコンが買えたのに(実は十分金を持っていなかったので買えなかった)」と言った状況を説明する時などに使う。実際には文法上の時制は結構複雑なので皆悩んだ経験がある筈である。


この授業の時に教師から「アフリカのある部族語でこの表現法がない国がある」と聞いた。理由は、過去に実際になかったことを今から言っても意味はないと極めてドライな考えから来ている。つまり過去になかったことを蒸し返しても、今では何の解決にも利益にもならないということであろう。実は日本もこのアフリカの部族と同様である。文法上の時制ではなく、その考え方である。


戦後、日本政府は太平洋戦争や東京裁判に対する検証を一切避けて来た。この点、今でもナチスの戦犯を執拗に追い求め、第二次世界大戦の敗戦を国家事業として徹底的に検証を続けているドイツと対照的と国際的に評されている。理由は、戦後の日本は岸信介のような戦犯とされた人物が政権の中枢を占め、フィクサーとしての黒幕が数多く影響力を持っていたので、検証作業を進めると自分達が火の粉を浴びるのが明らかなためである。丁度現在の森友問題で麻生財務大臣や財務省が公文書改竄・廃棄・隠蔽疑惑の調査を避けたり、「桜」問題で安倍前首相が「国会で説明を尽くしたので問題は解決済み」として更なる検証作業を拒否する姿勢へ引き継がれている。


東京五輪を終わって、識者や世論の間ではコロナの渦中で強行した経緯の検証の必要性が叫ばれている。しかし、政府は検証を行えば不祥事続出の東京五輪の舞台裏が明らかになり作業を主導するとは思われない。そうでなくても検証作業には消極的どころか忌避的な習性を持っている。「東京五輪は終わった。次は衆院選挙だ」の姿勢に違いない。要するに「仮定法過去」の表現を持たないアフリカの部族と同類である。






東京五輪が終わって



東京五輪は終わったが、パラリンピックはまだこれからである。多くのメデイアは五輪を振り返り一息ついたような報道や論評が多いが、今総括するのは不平等である。しかし、この雰囲気に乗って私なりに東京五輪を振り返って見る。


と言っても、今回は開会式から始まる一連のテレビ中継は何も見なかった。2013年に「福島アンダーコントロール」との歴史的虚言で東京招致が決定し日本中が一時的に沸いた時に、「その頃は私はこの世からおさらばした後の行事」として冷ややかだった。それがコロナで1年開催が延びても生き永らえているのが想定外だったのである。これが、今回の東京五輪に対する無関心につながっているのかも知れない。


競技の結果はネットのニュース速報や新聞報道だけで十分で、それよりも大会が始まる前のエンブレム・デザイン採用中止問題に始まり、JOC竹田会長贈収賄疑惑と退任、森喜朗組織委員会会長の女性蔑視発言と辞任、聖火ランナー辞退者続出、五輪開催可否の世論調査などの方に興味や関心が強かった。


一年遅れの開会日直前になって、開閉会式総合統括の佐々木宏氏がタレントの渡辺直美氏の容姿を侮辱する演出を提案して辞任、開会式の楽曲を担当する小山田圭吾氏が昔に同級生を虐めていた武勇伝を雑誌のインタービューで語っていたことが指摘されて辞任、開閉会式のショー・ディレクターの小林賢太郎氏が27年前にホロコーストを揶揄するコントを公開していたことで五輪開会直前の32時間前に解任されるなど不祥事が相次いだ。小林氏の場合、四半世紀も経って何故今頃?の感があるが、開会式に出演を予定していて前日に辞退した俳優の竹中直人氏の場合は36年前に発売されたビデオ作品で視覚障碍者を揶揄したことが問題にされたと言う。こうなると、過去の言動が際限なく追及されることになる。


これを考えると、昨日の閉会式で前回の東京五輪に使用されたオリンピック・マーチが使用されたと聞いた。新聞で知っただけだが、私も直ぐにメロディーが浮かんでくる好きな曲である。しかし作曲は古関裕而氏。数々の名曲を発表した国民的大作曲家であるが、戦時中に多くの軍歌を作曲し国民を死地に駆り立てるのに加担した過去がある。今は故人だが、ではその人の作品を何故今回の閉会式に利用したのか、採用の規準はどこにあるのか、前述の辞任・解任された人達との違いは何か、一瞬疑問に感じた。




ハラスメント非難のウラに潜む不正



『注:今日のこのブログ記事には、現在では禁止されているセクハラ表現が出て来ます。当時の社会感覚では問題にならなかった時代に実際にあった例として引用するもので今、それを殊更取り上げるのは問題が現代社会に引き継がれていないかを考える材料とするためです』。


先週の毎日デジタル経済プレミア記事の中に、「男性の育休取得、なぜ7月末に集中?」の特集があった。育児休暇に名を借りて実際には別の目的で利用されている実態をレポートしたものである。特休の名目を利用して実際には別の私的な目的に利用されていることを知り、一悶着を起こした自分の現役時代を思い出した。


男性より女性社員の方が多い部署を統括していた私にある日、人事部より電話があった。「キミの課のA子が先月生理休暇を2回取っている。一体どんな人事管理をしているんだ」との詰問である。冗談じゃない、25人以上もいる女性の生理休暇取得日をイチイチ覚えられる筈がない。申請書が出ればメクラ印を押すしかない。


しかし規則は規則、以降生理休暇の申請書が出る度に、密かに私の能率手帳に記入して管理することにした。ところが、それを見られていたらしい。「課長は私達の生理日を手帳につけている」とまるで助平管理職のような噂がたった。これがまた人事部の耳に入って、「あまりこの手の問題に触るな」と耳打ちがあった。何を言う、元はと言えば管理不足を指摘して来たのは人事部じゃないかと反論した。人事部長は、「女性グループの中からお局(つぼね)さんを選んで管理を委託すれば良い」と知恵を授けられた。


一ヶ月後、彼女から管理表の提出を受けて驚き、急遽女性課員全員を会議室に集め質問した。「生理日は何故金曜と月曜に突出して多いのか。皆、毎稼働日にキッチリ休暇を取っているが、土曜や日曜、祝日には生理はないのか。バイトで来て貰っている人は生理休暇をとったことがない。生理日は本当に仕事が出来ないのか」と男には判らないので教えて欲しいと懇願調だったが、大勢の女性課員からは寂として声なく会議室は静まり返った。お局さんの依頼で席を外したので後はどんな話になったか、結果報告の申し出を受けたが聞かなかった。一時的な自粛はあっても、長続きする問題ではないと思ったからである。


今はこんな話をすれば管理職の首が飛ぶ。当時の男性の素朴な疑問も口に出すことは許されない。では慣行だった不正行為は是正されたのかと言うと、それを話題にすることすら許されない時代なのである。








益々巧妙化するネット詐欺


偽ポップアップ.jpg

パソコンでネットサーフィング中に突然ポップアップ通知が現れ、あなたのパソコンはウィルスに感染したとか、代金が支払われていないので裁判所から呼び出しがあるなどの警告メッセージや迷惑メールとして着信することもある。人の弱みにつけこむ脅かしが多いが、長年の経験で偽モノであることは直感的に判る。触らぬ神に祟りなしと、指定されたボタンをクリックしたり連絡先に返信や電話などは絶対することはなくそのまま削除してしまう。


そんな私でも今回は危うく引っ掛かりそうになって一瞬ビクリとした事態が起こった。今迄アクセスしたことがない海外の通信社のサイトに面白そうな見出しがあり読んで見ようとクリックすると間髪を置かず上掲の画像のような警告が相次いで表れたのである。アクセスした記事は怪しげなアダルトサイトではない。ナイジェリアの首都ラゴスが地球温暖化の影響で海面が上昇した結果浸水して今世紀末には水没してしまうという危機的な情報である。


相手が初めてアクセスした先であること、ポップアップの警告文はどう見ても今までの子供騙しのようなものでなく、思わず信用ある通知と思わせるもので、思わず「Yes」のボタンを押してしまった。その後、別の画面に誘導されることもなかったが、似たようなポップアップ・メッセージが何度も続くので対処法をウェブサイトに求めたら、当該の警告は偽の詐欺目的として注意を促す情報が何件かあった。


その中には、セキュリティ・ソフトの大手であるマカフィーの「当社の名を騙った偽のポップアップ通知と問題の解消法」という、私のように応答してしまったユーザーに対する丁寧な情報があった(こちら)。他にも「Windows 偽警告対処方法」と題した参考になる情報がある(こちら)。いずれも今回新手のポップアップ詐欺の巧妙さを詳しく分析・紹介し、特にマカフィーの「当社のソフト購入を強要するものではない」として中立的な視点で対処法を公開している姿勢に敬服した。


両者の対処法を実施した結果、雨霰のように現れたポップアップ通知はピタリと止まった。有益な情報だった。




固定電話の利用



我が家に設置している固定電話(周囲では「家電」と呼ぶ人が多い)は、家族が在宅していても常に留守番電話に設定している。理由は、日常の知人との通話は携帯電話で済ましていて固定電話の利用は殆どないこと、従って固定電話に着信する多くは勧誘電話が殆どで対応するのに煩わしいからである。


着信音が鳴っても放置して置くと、「ピーッと鳴ったらご用件はファックスでお送り頂くか、録音でお伝え下さい」のアナウンスの途中で電話が切れるので勧誘電話だったことが直ぐ判る。たまに知人の声が聞こえて来ると、相手が電話を切る前に応答するので相手に迷惑をかけないで済む。


この留守番電話は、治安の良い日本ならではの習慣である。私がペルーのリマに駐在していた時、駐在員の数が少なかったこと、お互いに全中南米を飛び回っていて事務所は数日間、誰もいない日が多かった。日本大使館から連絡事項が伝えられない、在リマ駐在日本人の安全確認の支障にもなるので、留守電の機能のある電話機設置を度々要請された。ファックスがまだ普及していない時代のことである。しかし冗談じゃない。留守電にすると不在中であることをわざわざ公表して空き巣を誘うようなものである。他の日本人駐在員仲間より、ヤメロと同意の助言もあった。


という訳で、固定電話は利用価値が少なくなっている。こちらからダイアルすることは殆どなくなった。勿論、電話帳にも登録を抹消して久しい。今、家屋の屋根や壁面塗装の勧誘、太陽光発電設置やガス会社・電力会社のオール電化の勧誘などの執拗な電話は、無差別ダイアルの精か、十数年前の電話番号帳から選ばれたものかどうかは判らない。


カミサンが固定電話で唯一楽しみにしているのは、選挙戦前など出口調査のアンケートで、コンピュータ音声に基づきダイアルボタンを押すことだそうである。調査機関がどこか、どんな形で結果が発表されるのかは知らなくても、ボタンを押すだけで暇つぶしになると言っている。


その内に、街角の公衆電話ボックスが無くなったのと同様、各家庭から固定電話が無くなる時代がそう遠くないと思う。





煙草またまた値上げ、セブンスターが600円に



一日40本のヘビースモーカーだった私が禁煙して13年になる。医療禁煙パッドや舐めると煙草が厭になる禁煙飴などで苦労して止めようと務めたが意志薄弱と言われて中々成功しなかった。脳出血で人生で初めて1ヶ月半入院した結果、ウソのように辞められた。それ以来、煙草を手にすることなく、欲しいとも思わなくなって今に至っている。


新聞で、「JTが葉タバコ作付けを廃止する農家には協力金を支払う」との報道があり、本来は奨励を続けていたJTも愈々自分の首を絞める方向転換に動き出したなと思った翌日、「本年10月より増税対策のため、煙草を再度値上げする」ニュースがあった。JTもまさに先細りの苦悩の行動に向かっている印象がある。


ところが、財務省の発表によると煙草税増税は国民の健康のために喫煙を押さえるのでなく、「高齢化の進展による社会保障関係費の増加等もあり、引き続き国・地方で厳しい財政事情にあることを踏まえる」ためとある。JTも喫煙者の健康に配慮する表現は見られない。昨年10月にも値上げしたので、毎年値上げが続くことになる。


喫煙者の多くは、むせながら苦労して押入れの中で内緒で吸い始めたと聞くが、私の場合はオクテで大学を卒業した22才より初めた。喫煙者でもないのに、葬式に参列した引き出物に貰った両切り煙草のピースが机の引出しに入れておいたのを発見して興味本位で始めたのが最初である。アメリカの西部劇でジョン・ウェンやゲーリー・クーパーが、煙草を口にくわえ、マッチで長靴の底を擦って火をつけ、一口吸って投げ捨てる姿が格好良かった。当時の日本人の喫煙率は男性で82.3%だった。それがJTが喫煙者率調査を終了した2018年には27.8%に急減した。


私の喫煙本数が増えたのは、フィルター付きの紙煙草のハイライトが売り出されてからで、その後ニコチンの少ないセブンスターが登場した精である。1箱220円だった。当時は事務所の中でも会議中でも気兼ねなく煙草が吸えた。罪悪感など覚える社会情勢ではなかったのである。


禁煙して後は煙草に全く興味をなくしたが、今でもグラウンドゴルフ仲間に幾人かいる。220円だったマイルドセブンが600円になるよと禁煙を勧めても「1000円になっても辞めない」と言う。そんな人がいるから、未だに男性の1/4もが愛煙家なのである。