組織のトップの引責責任



自分の関知しないトラブルでも組織のトップになると監督責任を問われて折角築いた地位を失わされるのは一般社会の通例である。みずほフィナンシャルグループの会長、社長及び銀行頭取が今年2月以降8回ものシステム障害を起こした責任を取って辞任することになった。IT分野では全く知識がなく自分の関与していないにも拘らず責任を問われたのである。


半年もの間に8回もシステム・トラブルを起こし、都度再発防止策を作成して監督官庁に提出したが、技術的な防止策の内容すら理解出来ないのに責任を取らされたのは直接の原因となったシステム・トラブルのソフトやハードの精ではない。経営陣がシステムの保守費用を削減するなど、リスクや専門性、ITや営業の現場の実態を軽視していたこと。「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」企業風土が真因であると経営面で不備を問われたのである。


再発防止策の内容は公表されないので、一般にはどんな内容かは判らない。みずほは旧富士や日本興銀など三行が合併した寄り合い所帯である。その中で指摘されているような企業風土は通常は歴史の古い組織で自然と生まれ育つもので、新しい組織では定着するとは考えられない。システムの保守費への資金投下は経営上の判断かも知れないが、その点だけを取らまえれば会社経理の運用だけで物理的に解決出来る筋合いのものである。


問題は三行が夫々別のシステムで運用していたのを統合した結果トラブルをもたらしたのであれば、やはりIT技術上の問題である。この点を徹底的に検証してトラブルの根源を究明し、対策を講じなければいくら指摘されている経営上の問題を追及しても問題解決にはならない。この分野を担当したと言われる富士通や日立の技術陣の責任を問うべきだろう。


しかし、企業内の社員の不祥事や技術上の欠陥で起きた問題の最終責任は、自分が直接関与してなくてもトップが責任を取らされるのは日本社会の通例である。しかしそれも官公庁や民間の組織に限られ、政界では適用されない。永田町では、自分が関与していても責任を痛感していると口に出しただけで責任をとらない、これも日本の政界での常識である。






今の時代の労働組合



私の若い頃は会社の労働組合のいっぱしの活動家だった。初めは所属している工場の代議員からスタートし、3~4年後に代議員の中から選出される本部委員まで務めた。勿論、毎日の仕事のかたわらの組合活動なので専従ではない。代議員は職場の中からの選出なので所属職場の中から推薦で良いが本部委員ともなると、代議員の中から選挙で選ばれる。所属工場の中で立会演説を行った末、選挙で選ばれた。


勤務していた会社の労組は、ユニオン・ショップ制で従業員は全て組合員にならなければ、会社の社員としては認められなかった。当時の労組の重要な活動は組合員の雇用確保、労働条件の向上・改善、賃上げ闘争で、会社に対する申し入れや主張が受け入れられない場合は労働拒否(ストライキ)を行使する権利を持っていた。中小企業でも組合が力を持っている範囲で大企業の組合と同じ権利の行使を法で保障されていた。


このような組合活動が出来たのは、被雇用者が全て正規社員であり、今のように非正規社員採用の制度はなかったからである。僅かに、季節的に雇用されるアルバイトや特殊技能が求められる限定された職種(例えば、外国語通訳、タイピストなど)の派遣社員が短時間就労することが法律で認められていた。派遣社員の職種が生産職場など広範囲に認められたのは、小泉政権の時に竹中平蔵特命大臣の提言で法制化されて以降である。竹中氏はこの制度を利用して現在は派遣会社パソナの会長として大儲けし、政商として各方面から批判されている。現在社会問題となっている非正規社員の急増、労働待遇の低下をもたらした原因である。


労働組合の力が急速に低下したのはこの政変が遠因となっている。労働者の雇用を守り、賃金の向上に戦った当時の労働組合の力はない。では今の労組は何のために存在しているのか、どんな活動をしているのかについては、組合活動が盛んだった我々の世代では全く判らない。僅かに国政選挙の時に野党への支持団体として同盟などの名前が出て来るが、当時のように単位組合が弱体化した現在、どれだけの支持圧力があるのかは疑問である。


働き方改革を提唱するのであれば、現在の非正規社員の制度を撤廃し、労働者は全て平等という憲法の理念に沿った制度に復帰させるべきである。















孫の手



加齢と共に夜中に就眠中、背中が痒くなる頻度が多くなり、体が硬くなって手が届かずイライラすることが多い。そのため、いつもベッドサイドに「孫の手」を置いている。百円ショップで110円のシロモノである。齢と共に体が痒くなるのは乾燥肌の人に多いらしく、老人性乾皮症などの皮膚病の一種と言われる。バカに出来ない症状もあるという。


昔、ヒッチコックの映画に「裏窓」というのがあった。主人公のジェームス・スチュワートが片脚全体にギブスを着けて車椅子に座ったまま全編を過ごす役だが、ある時足先が痒くなってもギブスのために手が届かない。苦労をして車椅子を操作してなんとか「孫の手」を探し出し、患部を掻いてホッとする顔付きが絶妙の演技で観衆の笑いを誘った場面があった。


痒さを堪えて懸命になって「孫の手」を探し出す時の苦しそうな表情、掻いた後の安堵した表情など、米国の俳優は顔の表情を表す演技がなんとも優れている。ジェイムス・スチュワートは別のスペクタクル映画、「地上最大のショー」で終始、顔を真っ白に塗った道化師の役目で折角の美男子俳優が素顔を見せない演技が評判になった程、顔の表情の変化を見事に表す名優であった。


その「孫の手」だが、ジェームス・スチュワートが使っていたものは、日頃我々が使っているものと全く同じ形のもので、てっきりヒッチコックは日本には便利なものがあると、日本製のものを使ったと思っていたが、どうも間違いだったらしい。実は「孫の手」の起源は不明で、そのデザインは洋の東西に変わらないものが偶然に各地域で発生したものらしい。古代ローマには全く同じデザインで材料は象牙だったという記録がある。原始人は木の枝を切ってそのまま背中を搔いていたという説もある。昔から「痒いところに手が届かない」苦労があったらしい。


ただ、名称が日本の「孫の手」は孫が優しい手で掻いてくれる奥ゆかしい表現に対し、英語ではback-scratcher (背中掻き)など直接的な無粋な表現から、中国語では「美人の優しい爪」など聞くだけで痒みが取れる言葉まで色々あるらしい。


ジェームス・スチュワートが「裏窓」で使った孫の手は日本製ではなかったらしいのである。









これは一種の精神病?



最近、「陰謀論」という言葉が新聞報道、特に米国紙に良く登場している。難しい概念だが、判り易く言えば、確固たる証拠がなく根拠のない情報を正しいとして発表するもので、トランプ前米大統領の後半以降の言動に顕著に表れた。2020年の大統領選で明らかに敗北したにも関わらずこれを認めず、開票に不正があったとか、本当は自分が勝ったと固執しているのがその一例である。トランプ氏は何度も裁判所に提訴したがその都度証拠不十分で却下されている。


この陰謀論が嵩じて直接行動に移され米国議会史上最悪となって事件が「1月6日、連邦議会議事堂襲撃事件である。トランプ氏の要請で参集した大衆が大挙して議事堂に押し入り、暴動の限りを尽くして議事堂の一部を破壊し、丁度開催中の議会を中断させ、あまつさえ警備の警官を殺傷した。


大衆の多くは陰謀論者とされ、今回その行動の首謀者の一人である陰謀論団体のQアノンのシャーマン(霊能力者)を自称するチャンスリー被告が禁固3年5ヶ月の実刑判決が言い渡された。1月6日襲撃事件の実行者として今迄700人が逮捕され起訴されているが、今回はこれまでで最も重い判決となり話題になっている。


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被告はトランプ前米大統領をあがめる根拠のない陰謀論「Qアノン」の信奉者で顔を赤・白・青で塗り、角のついた毛皮の帽子をかぶったいでたちで、自分は「Qアノン・シャーマン」だと名乗っていた。


「陰謀論」という言葉は、英語のconspiracy theory を文字通りに直訳したものだが、「陰謀」の意味が一般に使われている「秘密の計画、策謀」とは全く異なる意味で、私には違和感を覚えている。他に適切な日本語表現が見当たらないらしい。


同時に1月6日事件の背景調査の進展に大きな興味を持っている。今はその直接行動者からその背景を聴取しているが、事件を起こしたそもそもの動機はトランプ氏にあり、捜査関係者はどうもトランプ氏を本丸として、最終的には大統領の犯罪に持って行くのではないかと見ている。


一方、気味の悪いのは米国民の約半数を占めるトランプ支持者がこの陰謀論に傾いている可能性があることである。




説明能力も文章力もない議員



一国の総理が、問われたことに対する説明能力が欠如して批判されたまま辞めた人があったが、総理にしてこの状態であれば閣僚や一般議員にしては推して知るべしである。今日の朝日新聞デジタルにでた、「議員の挨拶文依頼、厚労省に一年で400件」の記事に呆気に取られた。


「国会議員の一部が支援団体などの会合に出席する際、挨拶文や講演資料の作成を厚生労働省の職員に依頼していることが、同省の内部調査で判った。依頼件数は、2019年12月から20年11月までで少なくとも400件にのぼる。与党からの依頼が中心だが、野党分も数十件あったという」という内容である(こちら)。


質問されたことに答えられず、議員の最大の武器や能力である筈の弁論能力の欠如が著しいと議員の資質の劣化が批判されて久しいが、文章を書く能力もなく、そうでなくても過労気味の官僚に原稿作成を依頼するとはどんな心臓の持ち主か呆れかえる。そのためにこそ、公設秘書や私設秘書を抱えて税金で人件費を貰っているではないか。秘書は一体どんな仕事をさせられているのか、議員秘書の事務分掌規定の中身を知りたくなる。


一昨日のこのブログページで、議員の「文書通信交通滞在費」と「議員パス」の税金ボッタクリを取り上げたが、議員としての職務遂行能力とは無関係に特権だけ享受する昨今の沈滞した社会の中で、全く天国のような職業である。これでは、低所得者層の一日一日の生活困窮の状態に目が届かない、届けようとしない政治が行われている日本社会の背景が良く判る。





転がり落ちた先



「転ばぬ先の杖」という言葉があるが今日の話題は「転がり落ちた先は?」である。つまり、落とした物が中々見つからないことである。


最近の日本の生活形態は「畳から椅子」への変化である。ある日本料理の宴会場マネージャーがこぼしていたが、従来のように、ご自慢の豪華な分厚い座布団と座椅子を用意した日本間は敬遠されて椅子席を要望されるという。そんな部屋がなければ、畳敷きの日本間に低い椅子の準備を要求される例が多いらしい。用意出来なければ予約をキャンセルされるので、売り物の豪華な日本間にテーブルを持ち込んだ椅子席に替えざるを得なかった。まさに明治維新の西郷隆盛たちが利用した席の再現である。


実を言うと我が家も食事はDKのテーブル・椅子席である。これからの季節にふさわしい鍋物は従来の日本間の畳席が落ち着くのだが、加齢と共に膝が弱って座り込むことが出来なくなった末の止むを得ない変化である。上述の日本料亭の利用者の要望も高齢者の要望に応えざるを得なくなった事情が背景にある。


この生活様式の変化が今日の本題の落とし物の行方を困難にしている一因である。ダイニングルームだけでなく、不用意に落とした物を探し出すのは難しいものである。元々存在した場所から落ちた物がその真下に落ち着いていれば問題ないが、大概の場合は落ちた先から思わぬ先前で転がって行方不明になるので問題を難しくしている。


高山の岩登りで滑落した人の行方が分からなくなり、アルプスなど雪深い場所では翌年の雪解けまで見付からない場合が良く知られている。人間の身体のように大きな場合でさえこんな状態だから、家庭内の小さな物など推して知るべしである。


最も厄介なものは飲み薬で、最近の薬は大概丸薬で薄いプラスチックの中に一つ一つ小さな枠の中に収められており、指先でウラから押し出して取り出す方式のものが多い。指先の力が衰えた高齢者にはバカにならない仕事である。失敗すれば床の上に落としてしまう。元々丸い薬なので落としたら同じ場所に留まっていない。飛んでもない方向に転がって大抵の場合見付からない。大切な薬を一日分無くしてしまう結果になる。


こんな出来合いの丸薬でも、薬局から渡された明細書には「調剤料」の名目でカネを取られている。小石川養生所で薬草を薬研で磨り潰して上皿天秤の上で調剤する訳でもないのに納得の行かない出費である。転がり易いように作られて失くしてしまうデザインにも納得出来ない。




議員の文書通信交通滞在費



日本維新の会の新人議員が、在職1日の新人議員に「文書通信交通滞在費」が1か月分の100万円満額支給されていたのはオカシイと問題提起し、自民党だけでなく他の野党も今まで知っていながらバレたかとばかり、慌てて在職日割り制度に法改正する方向に検討を始めた。


維新の会だけに花を持たせられないとの動きであり、吉村大阪府知事が議員の時にも貰っていたではないかとイヤなくすぐりをいれているが、ここは誰が見ても維新の会が一本取った形である。


永田町は挙党体制で、日割り制度の法整備に動き出したことを発表しているが、そもそも毎月百万円もの文書通信交通滞在費が必要経費なのかという疑問から国民の目を逸らせる意図が見える。議員はこの他に「議員パス」と呼ばれる交通費が支給されているという。その内容は;


(1)新幹線のグリーン車などJR全線の無料パス

(2)JR全線無料パスと月3往復分の航空券引換証

(3)月4回往復分の航空券引換証


で、(2)と(3)は地方選出議員に限るとされているが、ここでいう「地方」とはどこかは明らかでない。「文書通信交通滞在費」の名目の「交通費」については二重支給である。しかも月4回航空機で選挙区への往復をする程、議員は東京での仕事はないのかと疑いたくなる。使い道に困って、山尾志桜里氏のように、私的に美容マッサージ店や買い物に行った際に使用したことを週刊文春に報じられて言い訳が出来ず、「区別が曖昧にみえる行動をとるのはよくないと深く反省しています」と謝罪したことがある。


要するに議員は国の税金を食い物にして生きて行く職業である。不祥事を起こして国会やマスコミ、世論から議員辞職を勧告されても簡単に引き下がれるものではない。木下都議が「鋼鉄のツラの皮」の持ち主と言われるが、国会議員の中には同類がゴマンといる。


国民はこんな議員の不埒な特典の詳細は知らされていない。今回の日本維新の会の新人議員のように内部告発して貰うしか策はない。






待ち時間1時間10分、診察時間1分



昨日は3ヶ月に一度の済生会病院での消化器内科の定期検診日。昨年10月に胃の切除手術の後、潰瘍に癌細胞があったか、他の器官に転移していないかの確認である。施術をした外科の委託で詳しい検査のため消化器内科に回されたものである。


当初はMRIやCT、一般撮影や血液検査、胃カメラや大腸検査など精密検査が続いたが、幸いにして癌細胞は発見されず、当初の2週間に一度の検診から月1回に緩和され、前々回からは3ヶ月毎に変更されている。今回は予約診察時刻の1時間前に採血センターで採血され、血液検査の結果を診る診察日だった。


当日は月曜日とあって、採血センターは長蛇の列。20人待ちだったがそれでも消化器内科の予約受付の30分前には終わっているので、通常は10~15分で結果が出る血液検査のデータは十分診察予約時間前に消化器内科に電送されている。早過ぎると思ったが受付デスクに登録して診察室前の待合場所に行った。しかし「密」を通り越した混雑で座る場所がない。隣の診療科の空きスペースに潜り込む。ここでは自分の名前を呼ばれても聞こえない。


スマホをいじくりながら待つこと1時間、ソロソロ声がかかっても良い頃と自分の診療科に戻ると、流石に2~3の空き席が出来ている。10分してやっと声がかかった。診察室に入ると医師への挨拶もソコソコに「血液検査の結果、異常はありませんでした。ヨカッタですね。次の予約は3ヶ月先に久し振りにCT検査をします。当日朝食は絶食でお越し下さい」とだけで終わった。この間1分足らず。


1時間10分待って3ヶ月に一回の診察が1分では費用対効果の悪い事この上もない。色々聞きたいことがあったが、次に待っている人のために「一寸早いですが、良いお年をお迎えください」とイヤミを言って引き下がった。


これ位の診察なら看護師に伝言を頼んでケイタイに連絡するなど、患者の待ち時間を解消する方式は取れないのかと思う。これで本日の診察料は血液検査料を含み10%負担で1,180円。






腕を組む姿勢の意味



「手持無沙汰」という言葉がある。手とか腕は、モノを掴むとか持つ、叩くなど自分の意思を具体的に行動に移す大事な部位だが、何もやることがない場合は腕や手を持って行く場所に困るものである。それで両腕を交叉させて胸の前で組み合わせる。これがまた自分をリラックスさせる気分にさせる。「振り上げた拳の下ろし場所に困る」との表現もあるが、この場合は少し意味が違う。手を振り上げさせた理由が自分の考えていたことと異なるのが判った時に収拾に困るバツの悪さを表す表現である。


実はこの「腕組み」には自分の意思を表現する意味がある、いや意味があったと言う方が正しいかも知れない。自分では単に気楽になる積りで人前で腕を組んだ場合は「その人の話に賛成出来ない、逆に反対の意思表示」の意味があるらしい。反抗を示す態度ですらあると取られるので、特に欧米人の前では厳に慎むのがビジネスマナーであると現地人から教えられたことがある。


そう言えば、今でもネットに出るニュースの写真で腕を組んでいる姿は見かけない。唯一の例外はアメフトやラグビー、サッカーの選手などが横一列に並ぶ集合写真には全員が腕を組んでカメラに向かっている姿を良く見る。「自分達は強いんだぞ」と威力を誇示しているように見える。


ところが、最近の日本ではこんな尊大な印象を与える腕を組んでカメラに収まる人が増えている気がする。多くの人が見るテレビ番組でもコメンテータや解説者などが腕を組んでシタリ顔で話す姿を良く見る。その他、新聞に掲載されている写真や広告欄で紹介されている著者、推薦人など比較的教養人に多い。


今迄、自重すら促されていたこのような反抗的な尊大な感じすら与える腕組み姿勢が急に増えて来た理由が良く判らない。概して男性に多い。


女性にもこの腕組み姿勢は随分以前からあった。ハンドバッグを肩からぶら下げて胸の前で両手を交叉させながら街中を歩く姿をよく見かけた。特に夏場の薄着の季節で満員の電車の中など、痴漢防止の意味も兼ねていたと聞く。ただ最近の若い女性は身長も高く、体格も良くなっているので折角組み合わせた腕より胸がハミ出て防御になるのかナと他人事ながら懸念している。







秋の夜長の晩酌の醍醐味



晩酌が出来ない夜食程味気ないものはない。一日の締め括りの晩酌には肉体的な疲れや心労を癒すえも言われぬ味わいがある。飲めない人、酒を嗜まない人の晩酌なしの夜食とは、奥さんが手腕を尽くして準備した料理も味気ないものにしてしまうと思うと気の毒になる。こんな人の晩飯は概して早く済ませると聞く。


私は毎日晩酌を欠かせない層である。例年は暑い夏の季節には湯上りにグラスが汗をかくキリリと冷えたビールが定番だったが、今年は昨年の胃の切除手術で炭酸飲料を禁止されたので、成人になってからの人生で初めてビールなしの夏となった。しかも、術後暫くはアルコール厳禁を宣言されたが、医師や栄養指導士に対する粘り強い交渉の結果、焼酎の湯割りを1:9の薄い比率から徐々に改善(この場合は勿論焼酎の比率をあげること)することで折り合った結果である。今では、3:7か4:6でこの夏を過ごしたが、いずれメーカー推奨の6:4とする目標である。


晩酌と言えば、「林間に紅葉を焚いて酒を温む」のように燗をして飲む日本酒を連想するが、私は日本酒は一滴も飲めない。中卒で就職した職場の忘年会で初めて飲まされ、しこたま飲んだ末にぶっ倒れた苦い経験があり、後に残った酒のイヤな匂いに辟易したからである。その後は、登山で汗をかいて下山してからのビアガーデンで山仲間と飲んだ冷たいビールに魅せられてもっぱらビール党であった。その後、京都河原町三条に開店したトリスバーに連れられてウィスキーを飲み始めた。


日本酒が飲めないため、焼酎もその系統にあると思って手にしなかったが、飲み始めたのは60才を過ぎて会社のOB会で先輩から薦められてからなので結構オクテである。先輩の麦焼酎に習って私も麦又は蕎麦焼酎である。ところが本当の焼酎とは芋焼酎らしく、その他は亜流だと言われていると知った。鹿児島など南九州の人達からは軽蔑すらされているらしい。ところが私には芋焼酎のあの強烈な匂いが耐えられない。しかし、飲み屋で麦と指定を忘れて注文すると芋焼酎が来るので困る。


いずれにせよ、秋の夜長の晩酌は人にやすらぎを与える風情があり、毎日の夕食の楽しみでもある。






日本の議員は超特権階級



「人間は生まれながらにして平等である」とか「全ての国民は法の下に平等であって、人 種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的 関係に おいて、差別されない」と日本国憲法は述べているが、その憲法が議員だけは除かれているらしいことを初めて知らされた。


都議会議員が、無免許運転で人身事故を起こし、議会をボイコットして全会一致で二度も辞職勧告を受け、都民より非難の嵐を浴びながらも居座り続けていることに対し、当該議員を辞めさせることが出来ないのは、「憲法ではいかなる問題を起こそうとも選挙で当選した事実を覆すことは出来ない」との精神があるらしい。


こんな議員を辞めさせる法的手段がないものか、多方面から検討した専門家の判り易い解説からの引用である。これだけ辞めさせる手段があっても、適用出来ない背景があることに驚かされる。「保障された選挙権・被選挙権という権利は崇高(すうこう)なものというのが基本的な選挙の原則である」とある。プレジデント紙デジタルに掲載のこの記事は極めて判り易い解説で是非一読頂きたい(こちら)。


最後の救いは、ご本人の人間性である。社会倫理・道徳・社会規範に照らして、人間社会で常識人として交流し生活出来るか、それとも自身のツラの皮の厚さだけを武器に、4年間8千万円を獲得して一人で生きて行くのか、自分独自の選択しか解決法はないようである。


我々民間人は、かかる議員の特権を持たないため、いつ如何なる場合でも辞職させられる、つまりクビを切られる立場にある。人間は平等と言うが、民間人と議員のこの差はどんな法律が認めているのか。言っても栓のない話である。






プリンター・インク、純正品vs.非純正品



年賀状作成のシーズンになった。年賀状交換の数は年々減少しているとされているが、それでも欧米のクリスマス・カード交換と同様、日本の伝統的文化として、電子メールやLINEなどの伝達手段の発展に関わらず、郵送による交換の根強い習慣が続いている。年賀状作成は肉筆が原則とされた時期もあったが、今ではパソコンによる作成や印刷業者への委託で手間を省ける方法が一般的である。


パソコンで作成したものは、自宅のプリンターで印刷することになるが、欠かせないのはプリンター・インクだが、このインクが結構高価な上に消耗が激しく、良く物議を醸している。市場にはその為に、プリンター・メーカーの純正品と関連付属品・部品メーカー供給の非純正品が併売されている。純正品は余りに高価なため、消費者の少しでも費用負担減に応えるために非純正品が出て来たのである。後者は医薬品のジェネリックの目的に良く似ている。


プリンター・メーカーは電化製品の競合に対処するため、本体の価格を下げてインク販売で稼ぐ方式をとっているため、極端な場合は格安セールスでプリンター価格がインクセットより安値で販売されることすらある。一旦、プリンター本体を買って貰えば、高いインクを繰り返し買って貰えるとの発想である。


この結果、プリンター・メーカーは非純正品メーカーに対しインク製造の特許侵害、非純正品メーカーは独禁法違反で夫々提訴、最高裁まで行った結果、最近最高裁はプリンター・メーカーに対し、独禁法が公平な競争を禁じる「抱き合わせ販売」に当たると認定した(こちら)。「抱き合わせ販売」とは、主商品とそれを補う商品をセットで購入せざるを得なくする行為のことを言う。


今回の例はプリンター・メーカーのブラザーと非純正品メーカーのエレコムの論争であり、純正品は4,130円、非純正品は3,608円で市場に出ている。


プリンター・インクの純正品は他にも、景品表示法に定める内容量の明示がない、実際の内容量を調べた消費者の調査では5年前に比べて現在は30%減っているとの未確認報告もあり、何かと疑惑が多い。いずれ消費者センターなど消費者保護の団体からの動きが出ると期待されている。





18才以下一律10万円給付問題



今回の選挙で各党のバラ撒き公約は、国民だけでなく一部党内でも批判があるが、中でも自公公約の「18才以下10万円給付」については、特に反発が多かった。「一律支給」を主張するのは公明党で自民党ですら「一律ではなく所得制限」の条件を提示している。理由は前回安倍政権時に実施した国民一人当たり一律10万円給付を検証した結果、実に70%の国民が貯蓄に回して、肝心の困窮家庭救済の実効が薄かったことが判明したのが一因とされている。


今回の何故18才以下に限定するのかの疑問も出ていて、子供の養育費・教育費支援の目的が理解されたものの、富裕層にまで一律給付の対象となることが疑問視された。ここでも、18才以下の子供を持たない家庭への配慮が眼中にない問題が残されるからである。


「一律給付」を頑強に主張したのが公明党で、流石の自民党がこれを宥める構造となっている。では何故、財源の保証も責任も持たない公明党が頑ななまでに主張するのか。それは今回の選挙の大きな公約として展開して来たからである。その背景は、公明党母体の創価学会婦人部の圧力とされているが、学会会員や公明党支持者には特段に困窮家庭が多い訳ではないことは我々の周囲を見ても良く判る。むしろその逆と言っても過言ではない。


結局、公明党が固執するのは、選挙での公約に応えて票を投じてくれた支援者への態度表明、近く投票権を得る若年層に対するPRなど一票に対する宣伝など、票に対する自分の懐が痛まない投資である。


結果的には今日、自民党提案の年収960万円を限度とする代替案に同意することで公明党は譲歩した。この960万円という数字の背景は良く判らないが、公明党としては自分の腹は痛まないし、自分達は一律支給を固執したものの自民党や国民多数の意見に同意したと一部公約違反に対する弁明になる。


いずれにせよ、職を失い今日の食い扶持にも困窮しているシングルマザーや本当に給付を必要とする無所得・低所得層には、またもやカヤの外に置かれる結論となった。




奇異に聞こえる“近江ことば”



地方には方言という伝統的な表現がある。我が滋賀県にも江州弁とか滋賀弁と呼ばれる表現がいくつかあるが、地理的に京都・大阪に隣接し、これらの地域と人的・文化的交流が密接なところから、京言葉・関西弁といわれる京阪方言と共通するところが多く、京都から滋賀に転入して来た私も言葉の表現で困ったことは殆どない。その中で、唯一違和感を覚える表現に「おく」というのがある。


滋賀県の方言でも、湖北や湖西のように地域性があると思われ、この「おく」という表現も湖南地方、それも限られた狭い地域でしか使われていないのかも知れない。というのは、私の住む守山以外では聞いたことがない言葉なのである。ウェブで調べた近江弁辞典でも「滋賀の方言一覧」でも出て来ないのである。


使い方は、「今回の旅行は“おく”ワ」とか「あの人は会員を“おく”と言っている」などに使われている。前後の脈絡から判断すれば“中止する”、“辞める”、“やめにする”などの意味らしい。守山生まれ・育ちの土着の人の間では抵抗なく使われている。


もう少し詳しく調べると、デジタル大辞泉に下記のような唯一の説明があった。


【おく(置・措・擱)】(三)の④項:

  やめにする、中止する、よす

  参考:浄瑠璃「夏祭浪花鑑(1745)

     「いらぬことじゃ、おけやい」、「いやぁおくわけにはいかない」


最初聞いた時は、何のことか判らなかったが、古くからこの地にいる知人や友人から平気で話しかけられて弱った。東京に転勤した時は数年で関東弁に慣れて一部自分も同化したが、この地に住んで20年を超えても滋賀弁の「おく」だけは使う気にならない。聞いても未だに奇異な気持ちになる。いかにも泥臭いニュアンスがあるからかも知れない。





クソ面白くもないブログ記事の続き



昨日のこのブログページに投稿した「今回の衆院選に関するローカルな印象」で書き忘れたことがあるので、今日はその「続き」である。実は、昨日は面白くもない内容で、書いている本人も途中でヤル気を無くした程なので、殊更蒸し返す程のテーマでなく放置すれば書き殴りだけで放置すれば良いのであるが、内容が片寄り過ぎなので補完しておくものである。


「片寄り過ぎ」とは、滋賀県の濃い保守色による自民党だけを眺めて、対局の野党の動きに対する周囲の人々の考えや意見を述べる記述に欠けていた。これは全4選挙区を自民が独占したのは、京阪神から移転して来た新住民の多数が支持する反自民の意向が野党共闘候補に反映されなかった一因とも思われる。


私が属する第3選挙区は、県庁所在地の大津市を初め、草津市・栗東市・守山市・野洲市という所謂湖南地域で、京阪神への通勤者のベッドタウンと言われる。農業従事者の比率が高い他の選挙区に比べて人口密度も高く、どちらかと言えば反自民色の濃い土地柄である。


それに着目してか今回の野党共闘の特徴である立憲民主党と共産党が佐藤こうへい氏を立て、他に日本維新とれいわ新選組が立候補して自民党所属公民推薦の候補者と相対した。立憲・共産候補者は共産党所属であった。佐藤氏は「小選挙区は野党共闘、比例代表は共産党」を旗印に選挙戦に臨んだ。結果的にはこの戦略に問題があったようである。


反自民派の周囲の知人・友人から聞いた話では、「野党共闘で立憲民主党の候補者なら投票する気があるが、共産党ならその気にならない」と棄権してしまった人が意外と多かった。加えて、滋賀に進出のムラタや京セラなど京都企業が多い土地柄で、京都の労組の影響が強い企業や、京都への通勤者は京都の組合組織の影響を受ける。共産党が強い京都と言われるが、これらの企業は旧新産別などで構成されるJAMに属していて、本来は立憲民主党を推薦する傾向が強く反共産党の立場だったので、今回滋賀3区は佐藤候補の推薦を外したと言われている。


枝野氏は共産党が持っている支持票の数に魅かれて共闘を組んだようだが、立憲支持層は乗らなかった。共産党には潜在的な警戒感があったらしい。結果的には滋賀3区は反自民3候補の得票数を合計しても自民候補に届かなかった。投票に行かなかったのである。これが滋賀県の投票率の低さに表れている。







今回の衆院選に関するローカルな印象



今回の衆院選挙投票に関して、私の周囲で感じた極めてローカルな印象を記録する。


滋賀県の選挙に対する関心は概して低く、投票率も57.33%と全国平均を下回り、戦後3番目の低さだったと報じられている。歴史的に保守色が極めて強い土地柄であるが、最近は京阪神からの移住が加速され、全国でも珍しい人口増加の傾向があり、この色合いが変わりそうな雰囲気が期待されたが、若い世代の選挙に対する関心の全国的な低さが反映してか、全県の4選挙区で今回も自民党候補が独占した。


選挙戦期間中、河川敷の常設グラウンドゴルフ場で各ホールが全て愛好者で埋まっている中を、隣接する堤の上に自民党候補が選挙カーで通りかかり、車から降りて支持を要請するとプレーヤーの多くが手を振って応じている。「政治とカネにまみれた自民党を、いつまでも支持するのか」と周囲の知人に聞くと、殆どが「農協から頼まれている」との回答である。そう言えば、私のような京阪神からの転居者が多いプレーヤーでも豪華な賞品の農協主催やJAバンク主催のグラウンドゴルフ大会の常連者だけでなく、農業に従事している人も多い。農協の影響は農家以外にも広く日常生活に浸透している。


特に地盤・看板に乗っかかる二世議員がいる訳ではないので、農協の影響力が県民の保守色に働いていると見て良い。但し知事などの地方選挙では、例えば現参議院議員の嘉田由紀子(無所属碧水会)が「もったいない」を合言葉に、京都駅から僅か10分の場所での新幹線新駅建設に反対、他に国交省が強力に進めていた大戸川ダム建設、過疎地の町に計画されていた廃棄物処理場建設中止を訴え知事選に出馬、滋賀県知事選史上最多得票で保守候補を制したのを初め、後を継いだ現知事の三日月大造(元民主党、国土交通大臣政務官、国土交通副大臣)のように非自民が圧倒的多数の支持を得て当選したなど、明確な政策を持つ人材が現れれば、現在の自民党議員が地元に何の功績も配慮もない、影の薄い存在だけに、保守王国は堅固なものではない。


滋賀県民はいつまでも農協主導に委任する程、ノンポリでもなく愚かでもない。







新たな手口の迷惑メール



メールの受信ボックスに入電する迷惑メールには多くの場合詐欺の目的と理解されている。現実に各個人の端末に入り込んで個人情報を狙う目的で、一般には社会的に信用されている企業や個人名を騙って安心してアクセスさせる手口が多い。詐欺メールかどうかの判断は、来信先が日頃通信している相手かどうか判断する他はない。


かかる詐欺メールと判断した場合は、個人の責任で内容を読まずに即時削除するよう勧められている。不安な場合は削除する前に、メールを開封しないでタイトル或いは送り先をウェブで調べると、大概の場合それが詐欺目的であることを警告するタイトルが並んでいる。


こんな不良メールをブロックする場合の対策として、その来信メールアドレスを受信拒否する対策が薦められている。当該来信メールのurlを登録するか、メールアドレスの(@)の後ろのドメインを指定しておけば以降の入電は防げる。ドメインは送信主がメールを送る時にいつも同じなのでこれを指定して受信拒否すると同じ送信主が繰り返し送り付けてくるのを防止出来る一般的な方法である。

迷惑メール (2).JPG

ところが、同じ送信主が送って来るドメインがその都度違っている新手の迷惑メールが登場した。それも2~3分毎に執拗に送って来るので受信拒否する手段がない。畳みかけるように送って来るので、メールの内容を読ませようとする意図でなく、こうなると嫌がらせの愉快犯である。本日、私のスマホの受信メール中、迷惑ホルダーに入った同じ送信先からのメールは実に379件に達した(上述画像はその一部)。勿論読まないので放置すれば良いのだが、メモリーを喰うしホルダーに保存されているだけで電池も消耗する。ボタン一つで一括して消去出来るので痛痒は感じないがそれにしても不愉快である。


都度ドメインを自動的に変えられる理屈は不明だが、この新手の嫌がらせを防ぐ方法はウェブで調べても出て来ないので、各社とも対策を研究していると見られる。放置して置けば30日経過すると自動的に消去されるらしいが、1日400件近くが殺到するとスマホがパンクする。対策が発表されるまで、小まめに消去するより他に手がないようである。




                                                                                                                             


国産至上主義



日本人は何でも日本産、日本製とあれば安心する傾向が一般的にあるらしい。スーパーの食料品コーナーで、例えば国産牛肉や国産豚肉の生鮮などは外国産と場所を替えて陳列されていることが多い。売値の異常な差が目立つことを避ける配慮の意味もあるのかも知れない。


我が娘は肉が好物であるが、外国産は絶対に買わない。国産肉であれば何でもブランド品の印象があるという。その癖、オーストラリアへ旅行してステーキを食べる時は現地産でも抵抗はないと言う。私も肉が好物で豊富な外国出張経験から、外国産牛肉には全く抵抗がない。アルゼンチンに出張した時などは毎晩ステーキを食べていた。どんな日本のブランド肉でも及ばない柔らかな高級肉がベラボウに安い料金で楽しめたのである。


日本のスーパーの野菜コーナーや豆腐売り場に「国産大豆100%使用」、とか菓子コーナーでも100円均一の駄菓子コーナーのビスケットや納豆販売の棚には「100%国産小麦使用」など大きな表示がある。日本の大豆国産比率は5.3%、小麦は13%から推察すれば虚偽表示であることは容易に推察される。


「日本産」の表示があるだけで安心する顧客心理に乗っかっている。同じ国産でも、野菜コーナーでは「滋賀産、地産地消」の表示があれば、他府県産より少々高くても安心する心理が働く。


日本の食料自給率は34%、半数以上が外国産である。どんなに国産と強調表示されていても殆どが外国産である。鮮魚コーナーの鮭や鱈、鮪などは国産品の入手は殆ど困難である。従って、ノールウェイ産鮭とかカナダ産など食品表示法で正しく表示することが義務付けられている。


にも関わらず、日本人の国産嗜好は「食の安全」がいつも根底にある。米国産の牛肉でBSE発生が確認され一時輸入禁止になったこと、中国産冷凍餃子による薬物中毒被害が広まり、いずれも日本で広く愛好されていただけに、日本産の食品品質管理に異常な信頼性が置かれているのが判る。最近も「中国より危険なヤバイ韓国よりの輸入食品」のタイトルで、日本で人気の「辛ラーメン」や韓国海苔など多くの食品で品質管理不備による危険が報じられた記事がある(こちら)。


この記事は日本の食品産業や農水産業界の陰謀とも疑われるが、我が国の乏しい食料自給率から考えると我々の注意を促すものと自戒して読む必要がある。



米国版「モリカケ桜」問題



ワシントンポストからの毎日のメールの中に見つけた案内状がある。今年の年初早々、米国で起った衝撃的な米議会襲撃事件にトランプ大統領の関与が疑われながら、トランプ氏が大統領特権で当時の記録開示の拒否を申立てているので真相は明らかになっていない。丁度我が国で「モリカケ、桜」問題で安倍元首相が再調査を拒否しているのと酷似している。


襲撃

ワシントンポスト 編集主幹、サリー・ブズビーの特別メッセージ

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愛読者各位殿

1月6日の米国連邦議会議事堂への襲撃事件は米国の歴史の中で最も汚点を残した象徴的な出来事の一つでした。当日の事件は連邦政府により広範囲な調査が行われ、現在まで既に650名の逮捕者を出し、徹底的な訊問が続けられて来ました。

事件から既に10ヶ月、いくつかの主な疑問が残されています。警官など当局は事前に襲撃計画を把握していたのか?トランプ大統領はかかる残虐な襲撃行為に対し、どのように対処をしたのか?大統領選挙の集計結果に対する米国の信頼性や正義は何か?などなど。

今年の大半を通じて75人以上のワシントンポストの記者達で構成される特別調査チームは当日1月6日の正確な内容、その原因や損失、その後遺症の調査に取り組んで来ました。その調査結果を3部にまとめて集約してこの程出版し、当日の暴力沙汰は衝動的な行動でもなく、特殊なその場限りの偶発的事件でもないことを明らかにしました。(詳しくは別頁参照)

第1部 【事前の動き】トランプは支持者に対してワシントンへの集結を要請し招集していたのに対し、当局は1月6日の暴動について事前把握の特別な注意が欠如していた。

第2部 【当日の動き】凄惨な3時間7分、大統領は支持者が議事堂に侵入して破壊の限りを尽くす攻撃行為の始終を注視していたが、彼らの行動を停止させることを拒否した。

第3部 【事件の後】議事堂内攻撃の後、米国全土に偽情報と批判に対する脅迫が拡まり、米国の民主主義の基盤を危うくしている。


案内記事中、各章に「別頁参照」とあり有料購読者でなければ見られない内容である。本問題の米国での取組みが我が国と異なるところは、日本では安倍氏への追及が野党にのみ依存しているだけに対し、議会として与野党で全面的に取組んでいること、日本のようにメディアの及び腰や忖度の報道姿勢でなく、ワシントンポスト紙だけで独自の特別調査チームを編成し、その報告書を刊行するジャーナリズム本来の任務を実行している点にある。

いずれこの内容が、何らかの形で入手出来ることを期待している。




辻元清美氏落選に見る立憲民主党の限界



立憲民主党副代表の辻元清美氏が、ご本人も想定外の衆院選小選挙区で落選、比例代表にも入れず失職した。強敵は本人談では「ローカルな党で眼中になかった」日本維新の会。選挙戦に突入した時は、自身の選挙区でのぶっちぎりの優勢という評価に、全国区の知名度を利用して全国を飛び回り、地元には力を入れていなかった。過去7選という実績もある。


辻元氏はその派手な活動から逸話には事欠かないが、小泉首相の時に予算委員会で「ソーリ、ソーリ」と12回連呼したことが良く知られている。その後、秘書の給与詐取容疑で逮捕され、議員を辞職する際に「国会でもっともっと質問したいんです」と泣いた場面を良く覚えている。私個人的にはこの時の印象が強く、ご本人の議員としての限界を感じた。


野党議員の活動とは時の政権を追及するのが本職で、自身の政策や展望を持たないと見たのである。同氏のその後の言動を見ても、今に至るまで変わっていない。それよりも、立憲民主党そのものも、同じ政権批判だけに終始している。政策で論争するという姿勢が薄い。


それに反して今回日本維新の会は、現状を変える「改革」の姿勢を前面に出した。具体的にはそれに対する明確なテーマや政策は示されていないのに、その空気の「勢い」という風が吹いた。元々その母体となった大阪府政・市政改革の実績、政策で財源を生み出す実績が評価されたのであろう。日本維新は関西という限定された地域での評価しかなく、地方には判り難いとされているのは、この地方行政の結果である。


辻元氏はこの維新の改革という明確な空気に敗北した。「メじゃない」と全国区的視野で軽視していた姿勢に鉄槌が落ちたのである。この「改革」の姿勢が立憲民主党だけでなく自民党にもない。安倍・菅政治が批判されて、その改革を図るべきところを安倍という影の力に怯えて進められないからである。


日本維新は自民以上に右翼色が強いとの評価があるが、いつそのツノが出るかも要注目である。