また大きな星が堕ちた





我が青春時代の一時期に影響を与えた巨星の名を久し振りに耳にした。失礼ながら「まだ達者だったのか」と思わず口にした程遠い昔の人である。その名はジュリエット・グレコ、93才で亡くなったとのニュースが世界を駆け巡った。世界中にフランス・シャンソンを流行させた偉大なアーティストの一人であった。

歌謡曲や軽音楽と異なり、シャンソンとは独特の性格を持つジャンルの音楽である。曲のメロディーやリズムは裏方に追いやられ、歌詞を物語を聞かせるように聴く者に話しかけ、身振り手振りを交えて表現する音楽である。例えばシャンソンの代表作の一つとされる「枯葉」も、歌手により違った曲のような印象すら与える。

シャンソンの歴史は古いらしいが、全世界に流行したのは第二次世界大戦の直後で、テレビやビデオが登場する直前だった。その映像メディアがない時代に、視覚に訴える要素が強いシャンソンを広めた多くの歌手たちの表現力は卓越したもので、ジュリエット・グレコもその一人だった。当時の最高の歌手の一人として「シャンソンのミューズ(女神)」ともあがめられた。

私は若い頃からいろんなジャンルの音楽に親しんで来たが、シャンソンを紹介してくれたのは日仏学館京都でフランス語を習得していた友人だった。それ程、シャンソンは物語の要素が強い音楽だが。フランス語が判らなくても聴く者の胸に沁みる不思議な力を持っていた。

日本にシャンソンの火をつけたのはジュリエット・グレコとされているが、数多くの来日公演の中から1991年11月に昭和女子大人見記念講堂での演奏会の映像がある。曲は極め付け「パリの空の下」、「聞かせてよ愛の言葉を」、「パリ・カナイユ」の3曲。



60才代とは見えないシャンソンの神髄が良く表現されている名演である。その当時、相前後して来日したイブ・モンタンの長時間テレビ・ライブを観た本場シャンソンの雰囲気を改めて思い出させてくれた。

彼女の死去の報に、フランス・マクロン大統領も「彼女の顔と声は、我々の生活と共に生き続けるだろう」との弔意を表明している。