今の時代の回覧板



郷ひろみを知らない中学生がニュースになる現代、「♪とんとんとんからりと隣組 格子を開ければ顔馴染み 廻して頂戴回覧板 知らせられたり知らせたり♪」の歌い出しで始まる「隣組」の唄を知っている人は現在の日本に何人いるだろうか。私は長い間この唄の題名を「回覧板の唄」と思っていたが、実は「隣組」だったそうだ。


いずれにせよ、隣組制度も回覧板制度も戦時中のことである。隣との交際が希薄になった現在にも回覧板制度が全国で80%実施されていると言う。戦時中の制度が未だに引き継がれている希有な例である。私の町内でも頻繁に回って来る回覧板だが、書類を挟むバネ金具が付いた板が中々戻って来ない。次の書類を受け取ったのに板がないと悩んだ班長さんが板の裏表紙に班員の家庭の名と受け取った日、次に廻した日を記入する紙を貼り付けた。その結果、板の回収率は改善されたが、早く転送する意識が先行して肝心の情報が良く読まれたかどうかは判らないと言う。


回覧板とは地域社会の連帯、コミュニケーションの深まりに大きく貢献していた。私が若い頃、「隣組」の歌詞にある「知らせられたり知らせたり」の文言に一時感服したことがある。回覧板とは「知らせられる」受け身の姿勢と「知らせる」という能動的な性格と双方向の機能を持っていると思っていた。しかし「知らせたり」は自分の考えを知らせるのでなく、あくまで隣から知らされたことをそのまま別の隣人に知らせるという機械的な機能のことと判ってガッカリしたことがある。


現代は紙に書かれたことを読む習慣が薄れて来ている。新聞の定期購読者が減少している社会現象もその一つである。この中で昭和15年に始まった回覧板もその意味が薄れている、単に機械的に動き回っているだけではないかとの気がする。


私はスマホと持っていなくても、同居している娘が持っている。どの家庭にも誰かスマホ保持者がいる筈である。スマホを持たなくても、私のようにパソコンでメール更新する人もいる。町内の自治会は各家庭のITインフラの整備状況を調査し、従来の回覧板制度から電子メールで伝達し、或いは意見を求める双方向の情報伝達手段を構築すべき時代ではないかと思う。


今度自治会長と話す機会があれば打診してみようと思っている。またウルサ型の老トルの意見と思われるかもしれないが・・・・。