ここまで毒された日本の選挙制度



一昨年の参院選での大規模買収事件で、東京地検特捜部は元法務大臣の河井克行被告から現金を受け取った地方議員ら100人全員を不起訴処分とした。買収目的と知りながら多額の金を受け取っても罪にならない、検察はそんな規準を作った。


選挙買収事件では、現金を受け取った側も被買収罪で起訴されるのが通例で法の下での平等の筈である。100万円単位の現金を受け取った広島県議らもいる中、一律に全員を不起訴としたのは極めて異例。


早速これを慣例化したように、一昨年の参院選で落選した溝手顕正氏が選挙活動の依頼のため、県議3人に50万円を渡したなど公職選挙法違反の疑いで告発されていたが、広島地検は6日、3人を不起訴処分とした。また、別途小島敏文衆院議員と岡崎哲夫県議も告発されていたが、いずれも不起訴処分となり実績造りが進んでいる。


ある大学の刑法名誉教授は、「買収事件で片方だけ起訴されないのは明らかに不自然。検察の意に沿う証言をすれば不起訴にするという事実上の司法取引が行われたのではないか。検察権の乱用で問題だ」との批判もある。


買収された人も法定刑は3年以下の懲役か禁錮または50万円以下の罰金。現職の政治家が起訴されて罰金刑以上が確定すると、公民権停止となって失職するとのキツイ罰則がある。今後の正常な選挙活動の実現のためにも、法を公平に適用すべきである。


100人には、地方議員や首長などの政治家40人が含まれ、そのうち30人は現金授受の発覚後も辞職していない。現に起訴されていないことを理由に辞職の必要がないと開き直る議員も多いらしく、議員の品格、資質向上は望めない。


ただ特捜部は、100人全員の不起訴の理由に「自民党内で影響力のある克行被告に一方的に渡された事情などを考慮した」と意味深長な説明を挙げており、ここでも『忖度』が働いているらしい印象がある。


受領した金額に5万円から300百万円の開きがあり、起訴のためにはどこに線を引くかが困難との理由があるらしい。事務的な手数が煩わしいため一律不起訴で済ますのは法の下での平等に対する暴挙である。結論が急がれる訳ではないので法の平等な執行のために徹底的な審査が望まれる。



検証をしない党



自民党及び自民政権は結果に対しそれを検証しないで済ましている。検証する能力や気持ちに欠けるのが理由らしい。今回も都議選を終えてメデイアから次のように喝破されている。


『政権幹部や自民執行部は、党内の動揺を抑えるため、都議選と衆院選を切り離そうと躍起だ。最終段階で小池都知事が「都民ファーストの会」の応援に駆けつけたことから、「小池氏は天才的なプレーヤーだ」(ベテラン)などと指摘し、小池氏人気に負けたとの総括に終始。党を挙げて選挙戦術の課題を洗い出し、敗因分析を進めようとする姿勢は見られない』。


全くその通りである。ここまで言うのであれば、では何故小池氏に人気があるのか、応援に駆け付けた理由は何かを究明する姿勢はない。また、『首相は告示日に党関係者向けの出陣式に顔を出しただけ。「トップとしてなぜ必死な姿を見せなかったのか」との恨み節も出ている』と言うが、首相が出ると選挙戦に不利だからと消極的だったのは自分達である。『それでも党内で選挙の顔を変えようと「菅降ろし」を始める動きはない』ともある。検証能力欠如はこんな所にも出ている。


「政治とカネ」の不祥事が止まるところがない現状に対し、その原因を調べることなく、いつも「国民の政治不信を招いたとの批判は党として重く受け止める」と同じ紋切型表現で逐一その経緯を検証することなく離党させて済ますだけではいつまでも党内粛清は出来ない。自民党の自浄能力とは本人を離党させて党を守ろうとするだけである。


それでも、長期政権が維持されているのは弱小野党のお陰と言われるが、自民党内部も主義主張の異なる派閥の寄り合いで表面上は結束しているようでも決して一枚岩ではない。単に閣僚の椅子が得られる政権与党であるとの魅力で集まっているだけである。今回の都議選でも、党内対立で同じ選挙区で同時擁立し共倒れになった結果も検証する雰囲気はない。現在の野党各党もこの内情を見て、少々の主義主張の違いには目を瞑って連合し、二大政党政治を実現すべきである。





良く利用した会社の保養所が流された?



まるで津波が押し寄せたような熱海の土石流の光景をテレビニュースで見ていて、現場が熱海市の伊豆山地域とのアナウンサーの声に仰天した。勤務していた会社の厚生施設の保養所「熱海荘」があった場所なのである。


慌ててグーグルのストリート・ビューとテレビニュースで映し出される現場近辺の光景を交互に見比べた。テレビニュースに表れるいろんな惨状を伝える光景が映し出されるが、その中に見慣れた建物や道路に見覚えのある映像がある。まさしく「熱海荘」の近くである。


「熱海荘」はJR熱海駅から1.5kmの距離にあった。タクシーで行く場合もあったが、大抵は同僚と喋りながら徒歩だった。熱海駅前通りを左に曲がり国道135号に出る。そのまま国道を道なりに沿って行くと右手海岸に水葉亭という大きなホテルがあり、やがて逢初橋に出る。バス停があり、ここから左へ少し坂を上ったところが「熱海荘」だった。熱海駅から徒歩15~20分である。今回の土石流はまさにこの逢初橋を通って伊豆山港へ達したようである。


東京勤務の頃は、支社の囲碁部合宿の定宿だった。定時退社が出来た部員はJR在来線の快速で先行したが営業職が多いため後続者は新幹線で追いかけた。私はいつも後続で「熱海荘」に着くと先行者は先に温泉に入り麻雀をして待ち受けていた。後続車も麻雀の魅力に負けて囲碁の合宿が麻雀の合宿に化けることもあった。麻雀をやらない者同士が横で囲碁をやるのが通例だった。


「熱海荘」は東京支社だけでなく、京都本社や地方の支店も良く利用し、当時の社員で利用したことがない社員はいない程の人気保養施設だった。何しろ熱海という観光の一等地で宿泊料金だけでなく、新鮮で豊富な魚介類、おまけに良質な温泉がウソのような安い料金で利用出来た。欠点は浴室が一室しかなく男女の利用時間が指定されていること(家族利用者のみ混浴可)と国道に近いため夜を徹して走る車の音に悩まされることであったが、誰もがしこたま飲んだ後なので熟睡出来た想い出がある。


多くの同僚から「熱海荘」の安否を心配するメールが行き交っている。誰もが夫々の想い出を抱く人気保養施設だった。




太平洋北西部



日本列島ではこのところ梅雨空が続き、大雨で洪水や土石流の被害も出ているが、北米大陸西海岸では雨が降らず歴史的な熱波に見舞われている。緯度では北海道より北で例年夏の平均気温が20℃前後のカナダ・バンクーバーで観測史上最高の49.5℃を記録。合衆国のオレゴン・ワシントン・ブリテイッシュコロンビアでも40℃を超える高温が続き、この3州だけで6月末の1週間に486人が高温で突然死したと報じられている。


この状況をワシントンポストでは、「北西太平洋での歴史的熱波のため、先週合衆国とカナダで数百名が死亡」との見出し記事で報じた。英文では“Historic heat wave in Pacific Northwest has killed hundreds in U.S. and Canada over the past week.”とある。何でもないタイトルだが一瞬「アレッ!」と感じた。


「Pacific Northwest (太平洋北西部)と言えば、我々日本を含む太平洋西側地域ではないか。米国・カナダの太平洋岸なら“Pacific Northeast”の筈」との軽い疑問である。


早速辞書で調べて見た。“Pacific Northwest”には「太平洋岸北西部(PNR)」とあるが、“Pacific Northeast”という単語はない。更に「太平洋岸北西部」をウィキペディアで見ると「太平洋から見た北西部でなく、北米大陸の陸地で見た北西部」とある。何のことはない、韓国がいつも苦情を寄せるように、韓国や中国の同意を得ないで国際的に「日本海」と呼ばれるようになったのと似ている。


私は世界の多くの国を飛び回った経験があるのに、中南米を活動拠点としていたため、日本との中継地点としてロサンゼルスやサンフランシスコ、マイミには良く立ち寄っていた。しかしそれも空港のみか空港近くのホテルで翌日便搭乗の待機のためだけで、米国内での仕事のための渡航は一回きりしかない。従って、米国社会の習慣や常識は殆ど知らない。本や報道から得た知識のみである。「太平洋北西部」という言葉が米国で常用されている意味は今回初めて知った。


不祥事のデパート



三菱電機が鉄道車両用空調機器の出荷前検査を省略して架空のデータを記入するなどの不正検査を35年以上も前から繰り返されていたことが判明した。挙句の果ては不正検査データの自動化という確信犯罪めいたシステムも開発していたとの驚いた事実が判明した。同社は直前の株主総会でも報告せず、株主より「三菱電機は不祥事のデパート」と酷評され、杉山社長が引責辞任を表明した。


株主が指摘する「不祥事のデパート」と言えば、『同じスリーダイヤでは、長年にわたりリコール隠しや燃費不正が相次いだ三菱自動車が“元祖”。当時、家電量販店に行くと、店員が「電機は関係ないのに三菱のマークが付いているだけで客は目を背ける」と嘆いていたことを思い出す』とある程、三菱グループ全体が「不祥事の超大型百貨店」で三菱重工や三菱造船、三菱自動車など各社にワンサと例がある。共通しているのは、その不祥事を自ら発表することのない隠蔽気質である。


「三菱は大名商売」と良く言われる。三菱のブランド名だけで営業が成り立つ。私が中南米事務所に赴任した時は丁度各国の対外支払い債務返済停止(いわゆるデフォルト)が発表され手持ち外貨不足のため外国製品購入は完全に停止した時だった。新任挨拶で日本商社を回ると、伊藤忠や丸紅などは「良い時期に着任したな。こんな経済状態でどうすれば商売が出来るかジックリ考える力が養えるよ」と激励されたのに対し、懇意になった三菱商事駐在員は「焦って動いたらアカンよ。動けばケガをして会社に損失を与える。ジット我慢して嵐の通り過ぎるのを待つことだ」と言われた。会社の企業風土が伺えた。


私が勤めていた企業は三菱直系ではないが、銀行系列が三菱銀行で東京海上や明治生命が大株主だった。従って、三菱系列企業と言われている。支店の営業車は全て三菱自動車、新任社長が意気込んでベンツを社長車に選ぶと大株主から、「三菱自動車にはデボネアという高級車がありますよ」と言われて買い替えた話を聞いている。


私のお向かいさんは三菱電機に勤めている。自家用車は三菱自動車で、三菱人とすれば常識と言う。特別な割引優遇制度があるかと聞けば「何もない」と言う。


三菱は国のバックアップもある。ブランドの力だけで成り立っている企業である。





加齢と共に進まない断捨離



ある日の毎日新聞朝刊の読者投稿川柳欄に、その日の優秀作品10句と上位3句に対する選者のコメントにこんな記述があった。


最優秀句:「目に付かぬ場所に移して断捨離と」

選者評: 「気持ちは“断”しているので結構ですが、物理的に“捨離”出来ていません。一年間使っていなかったものは思い切って捨てましょう。そして必要になったら買い戻す、それで経済は廻るのです」


選者のコメントは「断捨離」を進めるための正論かも知れないが、投稿者と選者の間にジェネレーション・ギャップが感じられる。人が長い間所有している程、処分出来なくなるものがある。その所有物には簡単に買い足せない、新品では充足出来ないものに包まれている。それは所有主がその持ち物と一緒に歩んできた人生行路の記録である。その所有物を見れば香って来る所有者のみが感じられる想い出である。



上掲の写真は、私が進める断捨離作業の都度、押し入れから出て来ては最終的に目に付かぬ場所に戻しているゴミである。具体的には、現役時代に海外に飛び回った時に空港で職員が手荷物に括り付けてくれた荷卸し空港を表示したタグの山である。座席には持ち込めないので貨物室に格納され、到着目的地に着けばコンベヤに乗せられて廻って来るものをピックアップして手荷物検査に持って行く。本来ならそこで任務を終えてタグを引き千切って捨てるべきものだが通常は次の便に乗るまで手荷物に付いたままになっている。それを海外出張の想い出として特に意識せずに残しておいた束である。勿論、再度使用するものではない。


上掲の写真はその中で南米駐在時代に飛び回った中南米方面でのタグの束だが、別に頻繁に出張した欧州版の束もある。文字通り、今後何の使い道がないゴミの山なので断捨離の一番候補だが、これが捨てられない。定年退職して行動範囲が極端に狭くなった今、尚更世界を飛び回ったことがあることを思い出させる貴重な品物である。現地を撮影した写真はゴマンとあるが、写真にはない現物として私には貴重品である。川柳の選者が言うように「買い足せる」ものではない。






継続は力



数十年前の現役時代に、韓国の代理店に聞いた話では、当時の韓国では企業規模の大小に関わらず、毎日始業前の15分間、全従業員に日本語・英語・中国語のいずれかを選択させて外国語会話の訓練を行うことが通例との話を聞いたことがある。複数の韓国取引先からの裏付け話もあった。日本企業による「朝礼」のような企業文化として定着していたものらしい。タレント事務所も例外ではなく、K-Pop などの人気タレントで日本語に堪能な人が多いのはその精らしい。


日本の多くの「朝礼」も始業時刻前に行われているのは遅刻防止の意味もあると言われ、一部従業員から就業時間内に行うべきであるとの声があるが、管理職も業務上の指示伝達、要請という内容ではなく、他社や社会の動きなど一般的な話題を選んで精神教育をする努力をしている。韓国企業でも、自社としては外国語を必要とする部署で仕事をして貰うためでないが、外国語を習得させて一般的な社会人としての素質を備えた人材を養成する経営者理念が根底にあると聞いた。


外国語習得.jpg

その外国語訓練も、日常業務に影響が出ないように毎朝15分間に限られているらしい。それでも毎日続ければ効果が出ているのが継続の背中を押している。上掲の画像はワシントンポストのデジタル版に出ている外国語習得塾の広告で、ここでも「新しい外国語を身に付けるために毎日15分自習ルールを」のキャッチフレーズを掲げている。


15分と言えば、私が大学で英文タイプライターをブラインドタッチで操作が出来るようキーボードの配列を覚える訓練をしていたが、そのテキストでもレッスンは「毎日15分で打つ単語集」で構成されていた。当時、英文タイプライターは各家庭になく、大学のタイプライター収納ボックスに収められていたのを競い合って借りていたのである。


「15分」と言えば毎日継続するのに最も効果的な時間らしい。短いと不十分だし、長ければそれに没頭されてしまう。但し、外国語習得の場合はその中身が問題である。私が小中学生の頃、NHKラジオの”カムカム・イングリッシュ”も15分番組で会話主体だった。続けられていたら多くの日本人は英語が話せたかも知れないが、その後大学入試のための「英語教室」に変更され、文法中心で毎日続けても10年経ってもモノにならない。その点、韓国での訓練とか中国の語言学院のような会話中心の手法を見習うべきである。