地元の意見を良く聞いた昔の議員



その中の何人かが、単に座っているだけで高給が保証される折角の職を失うにも関わらず、何故かバンザイを叫んで一斉退職し衆議院を解散して愈々選挙戦に突入した。議員は自分の選挙区に帰って辞を低くして地元民に接し一票を依頼に回る。私の住む選挙区では、日頃は地元選出の顔を見たことがないが、この時ばかりは顔を見せる。ところが、私の小中学生の頃は地元選出議員は選挙の有無に関わらず頻繁に顔をみせていた。


京都第一区、当時は全国に名を馳せた二人の議員がいた。一人は自民党の田中伊三次氏で法務大臣や衆院副議長などを歴任、特にロッキード問題調査特別委員会の委員長として剛腕を発揮、もう一人は日本共産党幹部の谷口善太郎氏で通称「タニゼン」と親しまれ、今に至るも共産党の強い京都を定着させた。


本来ならこの二人は全国区の要人として日本を飛び回る程の議員だが、選挙期間でなくても新幹線がない時代にも関わらず頻繁に地元に帰り、選挙区の中の町内を万遍なく回って国政報告会の名の下に人々と接していた。私の町内にも度々訪れ、天理教の教会を借りて座談会形式の気楽な雰囲気で話し込んだ。


今なら、「タニゼン来る」と大々的に支援者が幟を林立させて集まる程の大物だが、そんな大袈裟な集会ではない。特に田中伊三次氏の場合は親族が私と同じ学区に住んでいたからか、下駄履き開襟シャツ姿で飄然と現れ、畳の部屋に集まった人々の間に胡坐を組んで車座になって話をした。ひとしきり話が終わると人々の国政に対する希望や意見を聞く会となり、むしろそれが目的の集会のように熱心に耳を傾け、時にはメモに書き込んでいた。参加者も気軽に話が出来る雰囲気だけに、毎回活発な意見が交わされていた。日頃は近寄ることも憚れる大物が相手だけに勇気を鼓舞された思いだったようである。


残念ながら今の選挙区の議員には、このように地元の人達と親しく話をする雰囲気はない。「地元の意見を中央に反映する」と言いながら、自分の所信を述べて支持を求める一方通行である。精々選挙期間中に握手をして回るのが精一杯である。


我々国民の意見や希望が国政に反映される手段や機会がない、これが現在の参政権保有者の我々が置かれた実態である。





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